「悪者見参:ユーゴスラビアサッカー戦記」     :木村元彦(集英社文庫)
「終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ」  :木村元彦(集英社新書)
「見ることの塩」                      :四方田犬彦(セルビア/コソヴォ編)
「新世代は一線を画す:コソボ・東ティモール・西欧的スタンダード」:ノーム・チョムスキー
「ユーゴスラヴィア:衝突する歴史と抗争する文明」:岩田昌征(NTT出版)
「ユーゴスラヴィア:多民族戦争の情報像」     :岩田昌征(お茶の水書房)

「セルビア・モンテネグロ復興の光と影」       :NHK
「コソボ 消えぬ民族対立」               :NHK
「新たな民族対立の懸念:ボイボディナ」      :NHK
コソボは今                         :露RTR
「紛争予防をどう支援するか」             :NHK
「埋もれた警鐘」旧ユーゴ劣化ウラン弾被災地をゆく:テレメンタリー2005

Intervier with Emir Kusturica


チトーを完全に美化するつもりはないのですが、チトーの下で、そして
チトー死後の後継集団指導体制の下で、まがりなりにも45年間も多民族・
他宗教国家ユーゴスラヴィアは、相互に、何とか平和に暮らしてきました。
 少なくとも血で血を洗う「兄弟殺し」など起きませんでした。
 しかし、そのユーゴがものの見事に血で血を洗う兄弟殺しの末、5つの国に
分かれていってしまいました。

 一体何故こんなことになってしまったのか。
 いまだに私には全然分かりません。

 しかし、何故なのかを少しずつ考えてはいます。

<国内的側面>
・チトーの死
・社会主義的国家所有から私的所有への転換
・トータル・ディフェンス
・チトー下での政策
 ・民族対立を不問に付す
 ・自主管理社会主義を「上」から試行錯誤
 ・反対派を逮捕・投獄

<国際的側面>
・ソ連圏からの破門
・ソ連・東欧圏の崩壊
・バチカンによるカソリック国であるスロヴェニアとクロアチアへの支援表明。
・ドイツによるスロヴェニア・クロアチアの早過ぎる承認。
・西側諸国による東への勝利感。 それに基づく
 「ヨーロッパ最後のボルシェヴィズムの砦」たるユーゴ連邦軍の解体策謀。


 旧ユーゴでは、ソ連圏から破門され、いつソ連の軍事侵略があるか分からない
ために、トータルディフェンスシステム(全住民武装)という考えから、全国民
が武器を扱え、地域各地に武器を置いていたのですが、これが、民族紛争が激化
する折に、民間人が簡単に武装できた大きな理由の一つです。

社会主義が崩壊するとは、つまり、国有制度が、私的所有に変わる訳ですね。
つまり、旧国家財産を誰が私的所有するかという大問題がありました。
旧共産党系の幹部連中がそのまま大資本家になるというふざけた事態になった訳
ですが、私有財産をぼったくった連中は、その財力を背景に、更に子飼いの民兵
組織を武装し、更なる私的所有を拡大する為に、民族紛争に乗じて、武力的占領
地域を広げるべく、お互いに抗争しました。

 私兵という名の軍隊は、ユーゴの経済崩壊の下で、職の当てのない若者達を
リクルートしたものです。

 ・旧党官僚や新鋭資本家達が、
 ・「私兵」を実体的担い手として、
 ・意図的に「民族主義」を煽り立てることをテコ・手段として
 ・一回限りの「資本主義化ゲーム」を闘った

 民族対立・宗教対立は、もちろんあるのですが、このような国家所有から私的
所有への大変革という初めての歴史的逆転現象もまた、大きな動因であったこと
は、間違いないと私は考えています。

チトーが心血を注いで作った多民族融和国家ユーゴスラビア、、、、
チトーを美化したい訳ではありません。
チトーの<意義>と<限界>をこそ考えたいのです。
チトー死後、ものの見事に崩壊した旧ユーゴスラビア。
ドイツやアメリカという外からの要因も大きかったです。
また、バチカンからのカソリックへの支援という側面援助もありました。
しかし、そういう外的要因に容易に屈服してしまったのは、それに耐えうるもの
としては、チトーによっては、内的には作られてこなかった、あるいは、弱かっ
たとは、言えると考えています。

 例えば、ナチス支配時のクロアチアとセルビアの血で血を洗う凄惨な殺し合い。
このような歴史的事実に対して、チトーは、それを切開するのではなく、蓋をし
たということ。
 公式な場でいくら蓋をしても、親から子へと語り継がれていくものです。

<南北格差>
北のスロベニア、クロアチアの方が、経済的に進んでいました。
南のコソボ、マケドニアの方が、経済的に遅れていました。
チトーは、北の資金を南に援助していた訳ですね。
そして、それはそれぞれの地域に反発を醸成していきました。

ユーゴスラヴィア解体について