<第1章>
 2000年4月G−77途上国サミット(133カ国)宣言
「我々はいわゆる人道的介入の「権利」は認めない」
これは、伝統的帝国主義が新たな装いのもとに蘇ったもの

 ソルジェニーツィンは、
「侵略者たちは、国連を無視し、力が正義であるような「新時代」を幕開けさせ
た。NATOがコソボの人々を助けることを目指しているなどという幻想は、一
切あり得ない。もしも抑圧された人々を助けることが本当に彼らの関心事であっ
たのならば、彼等は、例えば、悲惨なクルド人を守ることができたであろう。」

 事実アメリカは、クルド人への残虐行為がピークに達した1990年代半ば、
トルコの武器の80%を供給していた。
トルコは「単独の国家としては、米国製武器の最大の輸入国」となり、それゆえ
、「世界最大の武器輸入国」となった。
 数万人のクルド人が殺され、2〜300万人の難民が生み出され、3500の
村が破壊された。

 1999年東ティモールの住民投票の直前には、アメリカとインドネシア国軍
との合同軍事演習さえ行った。
 人口の85%の75万人が居住地から追放された。

「1999年に起きた二つの主要な実例だけで、「人権擁護の優越」というよう
な、いかなる幻想をも消失させるのに充分なのである」

 KVMコソボ監視団の撤退にセルビア政府は公式に反対した。
監視団の撤退後、そして空爆開始後、残虐行為と民族浄化が始まったのであって
、決してその逆ではなかった。

 NATO軍司令官クラーク将軍は、空爆開始後に、セルビアによる野蛮な残虐
行為が発生するだろうことは、「完全に予期し得る」と述べている。

 NATOによる空爆は、「セルビアによるコソボからのアルバニア人追放を
阻止する為」という説明は「史実の時間的順序を完全に逆に取り違えたもの」

 コソボ難民は、空爆の結果として、しかも予測された結果として生み出された

 「「ボスニア再現の恥辱」テーゼの提案者が、もしも本当に真剣に、その意図
を実現しようとするのならば、彼は、ジャカルタ爆撃を要求しなければならない
はずなのだ。否、ジャカルタだけではなく、実は、ワシントンとロンドンもそう
であるはずだ。」


第3章
 全体主義国家において、プロパガンダはおなじみのものである、だが実は、
民主主義国家こそがそのパイオニアなのだ。民主主義国家においてこそ、国民の
支持を大規模に動員することがより必要だからである。

コソボにおいては、東ティモールとは対照的に、残虐な犯罪の証拠がかき集め
られた。そしてそれらは、NATO空爆を後付け的に正当化するために利用され
た。

 コソボにおける犯罪は空爆の結果引き起こされたのであり、また空爆によって
加速されたのである。
 唯一の例外はラチャック村の虐殺である。
OSCE(全欧州安全保障協力機構)監視団とその他の国際的監視団の報告によ
ると、ラチャック村事件は、他の事件との関連性はなく、単発に発生したもので
、空爆開始までの数ヶ月間、同様の事件は発生していない。

 アルバニア国内に基地を持るUCK(コソボ解放軍)による攻撃は、セルビア
警察官と民間人へと向けられた。この攻撃は1998年2月に始まった。コソボ
解放軍によるこのような行為は、米国から「テロリズム」だと非難されていた。

 コソボ解放軍は「セルビアによる残虐行為を誘発させることによって、独立の
ための闘いにNATOを引き込もう」としていたのだ。
 米国特使ホルブルックもコソボ解放軍は「西欧国家をこの戦争に引き込むため
に、挑発的な手段を取っていた」とコメントしている。

 コソボ解放軍リーダーであるハシム・タチはBBCの取材に対して、「我々は
自分達の取った軍事行動がまさに我々コソボ住民を標的とした冷酷な報復の引き
金になるだろうことを、十分に承知していた」、ラチャック村虐殺事件の一週間
前に4人のセルビア人警察官が殺害されたことに言及しつつ、さらに、「我々は
、住民、それも多数の住民の生命を危険にさらしたことをよく理解している」
「我々が作戦行動を取る度に、彼らが住民に対して復讐することは確実だった」

 英国の報道機関は、KVM監視団を装って活動していたCIA部員が、セルビ
ア人警察官と民間人を標的としたコソボ解放軍の軍事作戦立案を密かに援助して
いたことを認めたと報じている。

 英国国防省のジョージ・ロバートソン卿(NATO事務総長)は、空爆が開始
された時、英国下院に対し、1999年1月半ばまでは、「コソボ解放軍は、
コソボにおいてユーゴスラビア連邦当局が行ったよりも多くの虐殺に責任が
あった」と報告している。

 1998年12月24日付の国連事務総長の報告:
 コソボ解放軍によって計282人の住民と警官が誘拐された

 ワシントンポスト紙特派員「単独の事件によって政策転換がなされるなどとい
うことは稀だが、ラチャック村事件こそそれに当たる。それは米国の西バルカン
政策を転換させた」
 
 1999年2月4日ドイツ行政裁判所:
外務省高官の報告によれば、1998年5月から7月にかけての期間、「コソボ
からのアルバニア人の集団追放があったとする結論は認めがたい。1998年2
月からのユーゴスラビア軍と警察による暴力的行為は、コソボ分離主義者の活動
を標的にしたものであり、コソボ全域あるいはコソボの一部地域に居住するアル
バニア民族集団全体に対する迫害行為であった証拠はない。地下に潜伏して軍事
活動を展開している組織と、組織の作戦地域にいて直接コンタクトを取っている
人々とを対象としたもので、対象を選んで実行されたものだった。アルバニア民
族集団全体を対象とした迫害やそのための国家計画など、現在も、そして以前に
も存在しなかった」

 KVM監視団:
「戦争が始まるまでの数ヶ月間、ペチ地域全域を自由に移動することができたが
、集団あるいは個人の殺害や焼き討ち、追放などといった組織的な迫害と考えら
れるような事態は何一つ見ていない」

 ランブイエ最後通牒
「交渉終盤になってから追加された、NATO軍がユーゴスラビア全域をどこへ
なりと自由に作戦展開できるとする」特殊な条項草案がある。
「明白に受け入れがたい主権の喪失」を意味する「致命的な条項」であり、「N
ATOの一部とみなしてセルビアを自由に利用すること」(キャリントン卿)
これらの条項草案が、セルビアがNATO側の主要な政治的提案についての受け
入れを発表した後に示され、その結果、事実上、セルビアがその提案パッケージ
そのものの受け入れを拒否せざるを得ないことを確実なものにした。
NATOが「ユーゴスラビア全域とその領空、及び領海において自由かつ無制限
に移動でき、当該地域へのアクセスにも何ら制限を受けない」権利を持つことを
認める、とされている。つまり、ユーゴスラビアの法秩序や裁判権を蔑ろにし、
「最優先的に、なおかつあらゆる適切な手段で」NATOの命令に服従すること
をユーゴスラビアに要求するものなのである。(付属文書B)

「同盟軍はミロシェビッチ大統領を戦争へと駆り立てようとしていた」
「当時、NATO内部のある特定の人々が戦争を始めたくてむずむずしていた」
「ランブイエ交渉は、まさに謀略であった」
(英国国防省閣外大臣ギルバート卿:国防特別委員会での証言)

「ワシントンの目的はNATOの有効性と将来への潜在力を示すことだった」
(マクガイア:NATO軍事作戦プランナー)

国連安保理決議1244の無視に対して、セルビアとロシアが抗議すると、それ
を屈服させるために、NATOは空爆を再開した。

NATOのコソボ進駐後、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)等は、米国
は空爆には数十億ドルを投入したのに、コソボ再建の資金3790万ドルを支払
わない、「空爆費用のたった半日分だ」と。

2000年7月、米上下両院の歳出委員会は、「コソボと東ティモールに対する
1億700万ドルの経常予算要求を却下」

米国はコソボ全域にばらまかれた数千にのぼるクラスター爆弾の不発弾を撤去す
るための、爆弾処理の専門家を派遣することすら拒絶した。
「NATOは、紛争終結後の環境を浄化する先例を作りたくはなかったのだ」
(ニュージーランド軍大佐)
戦争終結から2000年3月までの間に、クラスター爆弾の不発弾によって50
人以上が犠牲になった。

1995年7月、クロアチアで独自に独立宣言を発してクライナ・セルビア人共
和国を樹立し、自ら大統領に就任したミラン・マルティッチは、国際戦犯法廷に
よって起訴された。訴因は、ザグレブへのミサイル攻撃を命令したことであった
。攻撃に用いたミサイルにはクラスター爆弾が装填されており、そのような爆弾
は「人々を殺害することだけを目的とした対人用兵器」であるため、民間人を標
的として使用することは禁止されていたからである。ところでペンタゴンは、「
米軍機は、コソボ全域に22万発の小型爆弾が装填された1100のクラスター
爆弾による爆撃を行い」、「英軍機がそれぞれ147の小型爆弾を装填した50
0の爆弾で攻撃を行った」と発表している。彼らのクラスター爆弾もまた、セル
ビアの民間人を標的として使用された。一例をあげると、ニシュの市場、最大の
病院にも爆弾が命中している。しかし、それは「NATOによる誤爆」であって
犯罪ではない、と国際戦犯法廷の判事が国連安保理に報告した。

戦争後、コソボでは、非アルバニア系の住民が迫害を受けている。更には独立系
のアルバニア人報道機関や政治団体に対する「アルバニア人社会における穏健派
の人々を沈黙させるための組織的な作戦」も発生している。
これら全てがNATO軍監視下で発生したと報告されている。
「コソボに住む12万人以上のロマ人が正式に認定された難民となり流出」

KFOR(コソボ平和維持部隊)の将校たちは、犯罪を見逃すよう命令されてい
たと報告している。あるフランス人司令官は、「もちろん、それは狂気のさただ
」、「しかし、それがNATOや上層部からの命令なのだ」と述べている。
NATO軍はまた、「武装したアルバニア人襲撃者」がコソボとセルビアの境界
線を超えて、「境界線付近の地域の住民にテロを加え、殺人を犯す」といった攻
撃を続けていることに関しても「まるで無関心であるように思われる」という。

コソボに非アルバニア系住民33万人が強制移住させられた。

 欧米の軍需産業こそが「真の勝利者」である。
モスクワもまた、「ロシアの兵器輸出にとって豊年」であることを期待。

「新世代は一線を画す:コソボ・東ティモール・西欧的スタンダード」
ノーム・チョムスキー著