「セルビア・モンテネグロのコソボ自治州が、
今年中に独立する公算が強くなってきました。
コソボの独立について、初めて言及したのは、
アメリカのバーンズ国務次官です。
また、アルバニアの外相もロシアとの外相会談を前に、
独立時期を年内として具体的に述べています。
コソボ自治州の現状と課題などをキセリォフ特派員がレポートします。

コソボ自治州の首都プリシュティナ。
紛争の傷あとは、きらびやかな街並みの中に
巧妙に隠されているような印象です。
ブティックが建ち並び、
ヨーロッパのファッションに身を包んだ若者達が闊歩しています。
『やっぱりヨーロッパ・ファッションが一番よ』
独立国としてまだ正式に承認された訳ではありませんが、
全てが独立に向かっています。
流通している通貨は、セルビアのディナールではなく、ユーロ。
現在コソボ政府の決定は、コソボに常駐する国連代表の承認が必要ですが、
それもこの先長いことではないとチェク首相は言います。
『独立時期は明言できませんが、年内であることは確かです』

失業率60%、しかし現在建設ラッシュで空前の好景気です。
アメリカは人口二百万のこの国に既に数十億ドルの投資を行いました。
しかし独立国としてのコソボの生きる道はバラ色ではありません。
コソボはかつてユーゴスラヴィアの中でも最も遅れた地域でした。
産業といえば、金属コンビナートだけで、
しかも従業員二万人の殆どがセルビア人でした。
彼らは既にこの地を離れています。
コンビナートは閉鎖されてしまいました。

しかし若い世代は、コソボの資源とヨーロッパからの投資があれば、
国を興すことができると信じています。
その一人、セウミ・ペトリットさんは、メイド・イン・コソボに意欲的。
『このお酒知ってますか。コソボ産です。多分農業が切り札になるでしょう。
コソボは若い国です。半分以上が50歳以下なんです。皆やる気ありますよ」
ペトリットさんが経営するこのバーには、
最近ではセルビア人もやって来るとのこと。
しかし、紛争後コソボを離れていったセルビア人は帰国に消極的です。
教会もまた鉄柵で封鎖されたままです」

コソボは今 (露RTR)(2006.4.14)