この本は不思議な本です。とっても不思議な本です。

 サッカー選手のルポルタージュなんですが、それをはるかに超えてしまってい
ます。
 スポーツルポのはずが、第一級の旧ユーゴ紛争の現地ルポルタージュとなって
いるという意味において、私にはとっても不思議な本です。

 ボスニア紛争、コソボ紛争、旧ユーゴでの相次ぐ紛争。
その紛争を巡る書物を5、6冊読みました。
 しかし、それらの紛争を真っ向から扱ったはずの本よりも、
この本の方がはるかに現地の生きた現実をより多く含んでいます。
そういう意味において、この本は第一級の旧ユーゴ紛争のルポです。

 筆者は、セルビアだけが一方的に悪者扱いされることに憤激しています。
しかし、セルビア側に同情的だけではありません。
コソボでのセルビア民兵によるとされる虐殺現場(ラチャク村)にもいち早く
駆けつけ、虐殺死体を自分の目で実際に検分しています。
 少なくとも、服を着替えさせた形跡はない、女性や子供の死体もあった、と。

 筆者は、「絶対的な悪者は生まれない。絶対的な悪者は作られるのだ」と
主張する。
 世界中から一方的な悪者にされたセルビアのことだ。

 筆者は、対立勢力の双方の意見に十分に耳を傾けている。
 筆者と語る、セルビア人、クロアチア人、コソボのアルバニア系住民、モンテ
ネグロ人、皆が皆、皆本当にいい奴ばかりなのだ。
なのに何故、、、、こんなことになってしまったのか、、、、
 確かに、セルビアは民族浄化、レイプ、悪逆非道なことをした、それは筆者も
認めている。
 しかし、対立勢力(クロアチア、ムスリム、コソボのアルバニア系)も同様の
ことをしたのだ。
 
 1999年3月27日、神戸ユニバーシアード記念競技場。
 ストイコビッチのアシストで名古屋グランパスが得点。
ストイコビッチはユニフォームをたくし上げて咆哮した。
Tシャツには、「NATO STOP STRIKES」が浮かんでいた。
日頃、「スポーツと政治は別だから」と語っていた彼が、、、

 ストイコビッチたち、セルビアのJリーガー達は、国際情勢を非常にしっかり
認識している。セルビアの大本営発表だけを信じているわけでは決してない。
西側先進国の情報もちゃんと入手している。インターネットの情報、現地への
電話連絡等々、しかも、彼等はミロシェビッチを支持していない。
彼らの情熱には感心した。
 しかも、私は知らなかったのだが、ユーゴ空爆直前、セルビア側は譲歩しよう
としていた。空爆回避のために合意文書に調印する予定だった。そこで、アメリ
カは、アネックスBという付属文書を提出し、交渉を決裂させた。
 その内容は、「コソボのみならず、ユーゴ全域でNATO軍が展開・訓練がで
き、なおかつ治外法権を認めよ」というものだった。
 NATO軍への課税や犯罪訴追をも免除しろというこの条項は、ユーゴの占領
地化を意味するもので、こんな条件を飲めるはずがない。
 そういうことまで、彼等はちゃんと把握していたとは驚きでした。
 私はそんな情報は知りませんでしたし、私の読んだ5、6冊の本にも書かれて
いませんでした。
 NATOの空爆は、コソボのアルバニア系住民を保護するためだという。
しかし、難民を受け入れているモンテネグロまで空爆した。
コソボでセルビア民兵による虐殺が起きたのは空爆開始後のことだ。
虐殺を止める為の空爆というのはまやかしだ。
コソボのアルバニア系住民地区に、劣化ウラン弾を大量に打ち込んだ。
その後、劣化ウラン弾を除去することは一切やっていない。
コソボのアルバニア系住民の生命を守る為ではなかったのか?
空爆後にコソボで殺されたセルビア人の数は、空爆中のアルバニア人の死者の
数を既に超えている。KFOR(コソボ平和維持軍)がいるにもかかわらずに。
そして、コソボ情勢は沈静化したそうである、、、

 現在、コソボでは、ベトナム戦争時のダナン基地に匹敵する巨大な軍事基地が
建設されている。
 「アメリカが何が何でも空爆したかったのは、世界制覇の戦略構築のためだっ
たのではないか」と。

 筆者は地雷がたくさん埋まるコソボで、実際に劣化ウラン弾を見つけ出し、
自然界の100倍の放射能を測定した。
 パンチェボのバルカン最大規模の化学コンビナートが空爆された。同行した
慶応大学の藤田教授は、「世界最大規模の環境破壊だ」と指摘した。
 筆者は、コソボのUCK(コソボ解放戦線)支配地区にも車で乗り込んだ。
現地司令官とインタビューまでしている。
 その行動力、バイタリティーには圧倒される。

悪者見参:ユーゴスラビアサッカー戦記
(木村元彦:集英社文庫)