「「反日韓国」に未来はない」呉善花(小学館文庫)476円+税

・1919年の3・1独立運動以降、植民地支配の統治を武断統治から文治統治に
 改めたということ。
・3・1以降、最後の2〜3年を除く間は、比較的平穏な時期があったということ。
・「戦争末期のニ〜三年のできごとをもって、それがあたかも日本による朝鮮
   統治のすべてであったかのように語られているのです。」(P.99)

 
 私は、いわゆる「日帝支配35年間」ずっと、残酷な植民地支配をしていたん
だろうという勝手なイメージを持っていました。
 呉女史の本を読んで、それは間違っていると自覚しました。
 「強制連行」等の残虐行為が日常的に行われていたという勝手なイメージを
抱いていました。
 しかし、それは間違いですね。
 それは戦争末期の2〜3年間の出来事だったんですね。

 この点は、私の無知蒙昧として反省いたしております。

 しかし、だからといって、「強制連行は無かった」ということもまた間違い
ですね。たとえ最後の2〜3年であるとはいえ、実際に行われた「歴史的事実」
であるということには何ら変わりはない訳ですね。

「「動員の実情」について、1944年に朝鮮各地で「朝鮮民情動向」を調査した
 内務省嘱託の小暮泰用は、次のように報告しています。
 「徴用は別として、其の他如何なる方式に依るも、出動は全く拉致同様な状態
  である。其れは、若し事前に於て之を知らせば、皆逃亡するからである。
  そこで、夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて、人質的掠奪拉致の事例が
  多くなるのである。」(1944年7月31日付、内務省管理局長あて『復命書』)
(「在日朝鮮人の歴史」金英達:明石書店 P.159)


また、女史の言う日韓の民間レベルでの暖かい交流も確かにあったのでしょう。
日本の一般民衆は、帝国主義者なのではなく、日本帝国主義による被支配階級なのです
から、被支配階級同士での交流はあるでしょうね。
ただ、残念ながら日本の労働者組織は完全に壊滅させられていましたので、日韓の階級
的な連帯にはいたらなかったということなんだと思っています。


 韓国政府が日本製のCD、ゲーム等を受け入れるという発表がありました。
私は大のゲーム好きです。アメリカやイギリスのゲーム雑誌を定期購読したり、
海外からゲームを購入したりもしています。
韓国は世界最大のネットゲーム大国ですからね。
また私はアニメやコミック好きでもあります。
韓国のアニメ水準はもう日本に追いついていますね。
コミックも、
・橋無医院 :林光獣
・新暗行御使:尹仁完・梁慶一
 の日本語版の大ファンです。後者は日本でアニメ化もされます。
こういう民間レベルでの交流をどんどん広げていけばよいと思います。



 ところで、呉女史には、私の狭い勝手な歴史的イメージを払拭して頂いたとい
う感謝の念も大いにあるのですが、また素直に全面肯定もできません。

 3・1という朝鮮民族の闘いによって、日本の植民地統治がソフトになったと
いうことは、歴史的事実ですが、それは、朝鮮民族の側から言えば、勝ち取った
ということであり、日本の支配層側から言えば、譲歩したということですね。

 「帝国主義」というのは、なにも植民地人を抑圧し、殴打し、虐殺することを
目的にするものではありません。
 あくまでも「経済的搾取・経済的収奪」を本質的目的とするものです。
だから、強権的な支配をすることが目的ではなく、むしろ強権的支配による反発・
反乱・暴動を生み出すことは、植民地経営にとって効率的ではない訳ですから、
現地人を採用して、間接統治・よりソフトな統治をする方が、安定的支配を維持
することができるという意味で、より効率的な訳ですね。

 「物産奨励運動」は、生産性向上運動なのであり、「文盲退治運動」「民立大
学設立運動」は、同時にまた「労働力商品」の労働力の価値を高めるためのもの
であり、資本主義の総体的な利潤向上の為に資本主義が行う常套手段でもある訳
ですね。呉善花「「反日韓国」に未来はない」(小学館文庫 P.75)
 同時にそういう意味もあるということを抜きにして、ただ肯定し賛美するだけ
なのは、「一面的・片手落ち」だと私は思います。

 20世紀初頭は帝国主義が世界を分割支配する時代でした。
 明治維新によって、近代国家を打ち立てた日本は、朝鮮を自らの植民地としま
す。李朝朝鮮末期の党争にあけくれる朝鮮民族に代わって、日本帝国主義の植民
地支配の下で朝鮮の近代化を行う訳ですね。
後進国の上からの資本主義化で、資本の原始的蓄積過程を実現したということ。
 日本帝国主義によって創造された数百万の朝鮮プロレタリアートは、その後の
韓国の労働運動、民主化運動の担い手として、歴史を担います。