「黒衣の寡婦」「黒衣の未亡人」
チェチェンの自爆テロ犯の女性達は全世界で有名となってしまいました。
戦争やロシア軍の凄惨な掃討作戦で夫や子供を失って、絶望し、
自爆テロに走る。
私はそのようなイメージを持っていました。

 しかし、この本を読んで、私のイメージは正確ではなかった、
いや、むしろ誤った認識であったと自覚させられました。

 筆者は、自爆テロ犯となる女性を二つのグループに分類しています。
自らの内発的意思で実行犯となる者と
スカウトされ、家から連行され、訓練により実行犯に仕立てられていく者とに。
後者には更に、場合によっては、拷問、レイプ、輪姦、薬物投与まで行われたと
筆者は書いています。
場合によっては遠隔操作の爆破も行われました。
家族は当然知っていますが、拒めません。
ちなみに、それなりの報酬も受け取っているようです。

いずれの場合も、犯行をバックアップするかなり大掛かりな組織が
存在しない限り、実行できる筈がありません。
「不幸な女性」を見つけ出し、近寄り、宗教活動へ誘い、
宗教書を読ませ、宗教音楽で精神を高揚させ、実家から連れ出し、
あるいは、「結婚相手」をあてがい、訓練する。
これらの活動に、半年から一年以上は掛かるでしょう。
決行前にチームが集結し、ロシアへ行き、実行行為者の側で遠隔操作の
起爆装置のスイッチを握りながら、最終チェックを行う。

「彼女たちが人を殺しているのではありません。
 彼女たちを使って人が殺されているのです」
「全ての宗教的な基盤、全てのジハードの理念、つまりイスラムの聖なる戦いの
 理念は、チェチェンにおいて本末転倒してしまいました。そこにはもはや汚い
 もの以外、何も残されていません。脅迫と、拉致と、性的な暴力と、女性達が
 それを飲まされた上で死へと送られる向精神薬以外は」

「多くの場合、この若い女の子達の父親は何が起こっているかを知っていますが
 彼には為す術はありません。なぜなら彼自身、この社会の一員だからです」

「娘を連れ出した男は警察の制服を着ていました。
 特別通行許可証を所有していました」
特別通行許可証は、連邦保安局(FSB)、内務省、国防相の人間しか持ち得ない。

自爆テロ犯となる女性を実家から連れ出すスカウト・チームの一員
ルスラン・エリムルザエフは、チェチェン共和国内務省で働いた後、
英国・米国の諜報局の部署の一つである爆発処理班”HALLO-TRAST”という
組織で顧問として働いた。
2002年、国連の安全保障局の助手となり、国連職員の身分証明書を所持し、
UNというマークの付いたオフロード車で移動
2003年、FSBが主導権を握るチェチェンのテロ防止作戦本部員が持つ
特別通行許可証を所持
モスクワで、”プリマ・バンク”の警備隊長

 2004年3月、チェチェンのナウル地区でFSBに連行され、尋問された時、
筆者はナウル地区FSB長官セルゲイ・ウシャコフ氏に尋ねました。
スカウトを行ったり、テロ行為の組織に携わっている人々を
把握しているのに、何故無傷のまま放っておくのですかと。
「なぜなら、自分達にはそうするように指令が下っていないからだ」

「つまり、この戦争が依然として誰かにとって必要なものだ、
 ということでしょうか?」

 FSBのプロパガンダ
「敵はバケモノ、魔法使い、狂信者の域に高めなければならない。
 その敵としつこく、そしてたいした結果を得ずに戦うために」

 もはや民族独立という当初の大義などなかったかのようです。
チェチェンの『汚い戦争』を続けることに利益を見い出す者達。
産軍複合体。軍部。
そして、第二次チェチェン戦争とともに発足したプーチン政権。
「強いロシアの復活」を掲げ、強権的政治を断行しています。
国民も高い支持率でこれに応えています。
しかし、利益を得るのはロシア側だけではありません。
独立派武装勢力の内、原理主義過激派は、テロを繰り返しています。
イスラム諸国からの経済的・政治的・軍事的支援を得ています。
「戦争」を続けている限り、支援を受けられます。

そして、被害を被り続けているのは、チェチェンの一般市民と
ロシアの一般市民です。
チェチェンの一般市民はロシア軍の凄惨な掃討作戦により、
ロシアの一般市民は無差別テロにより。


無差別テロ事件の背後には、ロシア当局がいるという証拠はありません。
しかし、少なくとも、関与しているという証拠はいくつか出てきています。
関与していることはほぼ確かなようですが、だからといって即、黒幕と
断定することもできません。
スパイを送り込んでいるとか、より大きな獲物(バサーエフ等)に近づく為の
スパイとか、あるいは二重スパイということもあり得ます。
ロシア当局の思惑は分かりませんが、少なくとも「黙認」しているか、
泳がせているか。
あるいは、積極的に利用したり、ある場合は自らプロモートしているかも
しれません。

 ロシアでテロが続く限り、国民はプーチンによる強権的な政治支配体制を
支持してきました。
「テロとの戦い」という口実で、FSBを実体的基礎とした強権的支配体制が
構築されてきたのです。

 政治には裏取引や謀略がつき物です。
しかし、そんなものは普通は白日の下にはさらされません。

しかし、本書の筆者やアンナ・ポリトコフスカヤ等、極少数のロシア人の
良心的ジャーナリストの命懸けの取材によって、少しは垣間見えるようになって
きつつあるとも思います。

筆者は述べます。
「もしも掃討作戦がなければ、とっくの昔に
 新しい決死隊を集めることなどできなくなっていたでしょう。
 バーブ教徒はこの掃討作戦があることを利用しているのです」

「対テロ戦争」の名の下に、凄惨な掃討作戦が続き、一般市民達が
悲惨な目に遭わされ続けていること。
このことこそが、『汚い戦争』を続けられる<絶対的基礎>なのですから。

「アッラーの花嫁たち」:ユリヤ・ユージック(WAVE出版)