『対テロ戦争』の名の下に一般市民への凄惨な掃討作戦が続く

 チェチェンの隣国イングーシ共和国の養豚場にビニールシートを張っただけの
チェチェン難民キャンプでは
「毎晩、夜の10時すぎに照明弾を何発も打ち上げる。それが、略奪の合図だ。
 ロシア兵は、難民キャンプを「捜索」と称して、援助団体から配給された
 わずかなソーセージや蜂蜜を押収していく」

「ロシア軍は、いつだって武装勢力をわざと見逃している。
 犠牲になるのは村人で、武装勢力はまんまと逃げおおせるのだ。
 村人の多くはロシア軍と武装勢力の両方を恐れて、なすがままになっていた」

「ロシア軍は掃討作戦と称してわざと武装勢力の一部を見逃して、市民を拘束し
 て金や財産を巻き上げようとする。さらに、ロシア政府の予算で支出される
 「復興資金」の一角は、チェチェンの有力者から武装勢力へも流れる」

21世紀現代でもコサックは極東からカフカスまで軍団組織を維持している。
「コサックには伝統的な騎士道を重んじる古風な所があり、ロシア軍のように
 無関係な市民の拷問や子供にまで手をかけるようなまねは、憎み、軽蔑する」
コサックの隊長は言う
「モスクワはチェチェン人をわかっちゃいない。女や子供まで標的にしては
 いけない。誇りを踏みにじれば血の復讐に転じる。犠牲になるのは市民で、
 政府は痛くもかゆくもない」

チェチェン武装勢力と行動を共にしたこともあるジャーナリストの常岡浩介氏は
「アフガニスタン内戦、パレスチナのインティファーダ、イラク戦争などを現場
 取材してきたが、チェチェンの戦闘を見た後では、これらは戦争というよりも
 スポーツか何かのゲームのように見えてしまう。それほど桁外れにチェチェン
 の戦争は惨たらしく、想像を絶している」と述べている。
そうなのだろうと思う。
一つの要因として、ジャーナリズムの眼ということがあると思う。
他の紛争地ではジャーナリストが入り込んで、報道する。
しかし、チェチェンでは、報道がほとんど不可能だ。
特に外国人ジャーナリストは自由には入国すらできず、軍の同行取材等、
「見せてもよい部分」への取材しかできない。
ロシア人ジャーナリストは、アンナ・ポリトコフスカヤやアンドレイ・
バビツキー氏のように、ごく数人が文字通り命がけで報道してくれている。
ソ連崩壊後のロシアでは百人以上のロシア人ジャーナリストが殺害されている。

アルハノフ現大統領も数千人の市民が情報機関や警察に連行されたまま
所在がわからなくなっていることを認めている。

ロシアは、2004年に戦争で家が全壊した家族への補償金132億ルーブルを
拠出している。一世帯当たり35万ルーブル。この補償金に群がる人々。
地元自治体では役人が補償金を給付する条件に賄賂をたかり、横領も横行する。
建築業者は法外な建築費をふっかけ、大工は建材を横流しする。

上から下まで、腐りきった社会だ。
そうさせているのは、現在の『汚い戦争』だ。

「戦争の参加者は、ロシアも、チェチェン武装勢力も、イスラム原理主義者も、
 みんなが得をしている。すべてを失うのは市民だけだ」

リトアニアの将校は言う。
「いつでも殺せたのにそうしなかっただけ。マスハドフもバサエフもそうだが、
 都合のよい時期まで生かしておくのさ。アメリカがオサマ・ビンラディンを
 まだ生かしておくのと同じじゃないか」

第一次チェチェン戦争では、米露のカスピ海石油資源争奪戦、多民族国家の崩壊
を食い止める、エリツィン政権の支持率回復策というのが主要因だった。

第二次チェチェン戦争では、カスピ海石油資源確保という要素はもう存在しない。
イスラム原理主義過激派による、周辺諸国への「イスラム革命の輸出政策」に
対して、これを阻止するという新要素と、戦争と同時に発足したプーチン政権が
軍と旧KGBを主柱とした自らの政治支配体制を構築していく過程でもあった。
国民も「強いロシアの復活」を支持し、ロシア・ナショナリズムの高揚を見せた。
プーチンを支える「シロビキ一派にとっては、チェチェン戦争とテロの激化は、
FSBを復権させる好機になった」

ヨルダン、シリア、トルコでのチェチェン人コミュニティ。
19世紀のロシアのカフカス戦争以来の追放、亡命、出国した人々。
数万人のマイノリティ集団ではあるが、政府高官、軍高官、議会議員、財界人を
輩出している。
彼らが、経済的、政治的、宗教的、人的資源を支援している。

ソ連崩壊前後、ゴルバチョフのペレストロイカ・グラスノスチにより、
統制が緩むと、チェチェンではイスラム諸国との宗教的結びつきが強くなった。
多くの留学生が赴き、また宗教指導者が入って来た。
コーラン配布やモスク建設への強力な支援も行われた。
93年までに新たに2500のモスクが開設された。


現在のチェチェンにおける「紛争のチェチェン化」
バサーエフの武装勢力に対して実際に戦っているのは、
チェチェン共和国特殊部隊とロシア軍参謀本部の特殊部隊だ。
いずれもロシア人は含まれず、チェチェン人のみから構成されている。
ロシア軍特殊部隊は元々親ロシアのチェチェン人から構成されているのに対し、
共和国特殊部隊は、投降した元独立派から構成されている。
暗殺されたカディロフ前大統領が、独立派の宗教指導者からロシア側に移った
ように、イスラム過激派の勢力を抑え切れないマスハードフ元大統領に見切りを
つけて、ロシア側に投降した人々がほとんどだ。
武装勢力を切り崩すという側面と武装勢力のシンパが入り込み、
武装勢力に武器・資金・情報が漏洩するという両側面がある。
「チェチェン人部隊による掃討作戦には、血の復讐や部族ごとの争いごとが
背景にある場合も少なくない」
チェチェン人内部における路線、宗派、部族を巡る対立。
支配者側は、内部対立に巧妙につけ込み、現地人同士による戦いへと
『衣替え』していくのは、植民地支配の常套手段だ。


独立派の中で、何故、穏健派ではなく、過激派が力を伸ばしているのか。
イスラム原理主義が若者の間で今の体制に対する抗議を支えるイデオロギー
として、この地域では浸透している。
北コーカサス全体はロシアの中でも、とりわけ貧富の差が激しく、不公平な
全体として発展から取り残された貧しい社会となっている。
その中で、過激なイスラム原理主義グループは、イスラム法に基づく平等という
たとえそれが嘘であったとしても、言わば、世直しを訴えている。
一定の若者がそのイデオロギーに惹きつけられるのは、社会的な背景と理由が
ある。
例えば、イスラム原理主義の政党や団体の存在が認められているのなら、
権力側と緊張関係を保ちながらも社会的な不満を吸い上げる野党として存在する
ことができるだろう。その方がむしろ社会的には安定するかもしれない。
しかしロシアの北コーカサスにおいては、イスラム原理主義というだけで、
弾圧の対象となり、それがますます過激な武装闘争に走らせ、バサーエフの
支持者を増やすという悪循環になっている。

イスラム復興運動の大きなうねり。
『対テロ戦争』という名の下に一般市民への凄惨な掃討作戦が続く。
そして、それへの反作用として、日々新たに武装勢力の担い手が
生み出され続ける。
現代世界に内在する悪無限。この悪無限を断ち切る術はないのだろうか。


ロシア政府と軍の腐敗は凄まじい。
だからといって、独立派武装勢力の無差別テロも決して許されない。
こうして、一般市民が最も被害を被り続ける。

チェチェンの民族としての再生産自体が危機に陥っているのではないか。
チェチェン問題の出口は、その糸口さえ私には全く見えない。


チェチェン人による現政権を傀儡政権と言えるのかどうかは私には分からない。
多くの一般市民は心からは支持していないようだ。
だからといって、武装勢力を心から支持している訳でもなさそうだ。
現政権を支持できず、武装勢力をも支持できない多くの一般市民達。
一般市民の最も望むものは、停戦だろう。
停戦に向け、最も可能性のあったのは、正当な選挙で選ばれたマスハードフ
大統領だっただろう。
EUとの良好な関係を構築したいプーチン政権は、EUの紛争解決関与を受け入れる
と表明した。
しかし、マスハードフ暗殺は、停戦を絶対に受け入れないというロシアの回答で
あり、決意表明だったのだろう。
独立派内穏健派を表に立てた停戦の可能性はほとんど無くなってしまった。


カスピ海石油資源争奪戦
グルジア、ウクライナ、キルギス
米の『民主主義革命の輸出』により次々と切り崩されるCIS諸国。
それへの反作用としてプーチン政権は、国内的には、より一層強権的支配体制を
硬化させつつ、対外的には、中露の結束を固め、上海6、BRICs、嫌米の中南米
諸国や印パと接近し提携を深め、反攻に転じようとしている。
激動する現代世界に深くビルトインされているチェチェン問題は、
相互依存と相互反発を繰り返す米中露EU諸国の動向と無縁には一歩も進展しない。

私にとってただ一つだけ確かなことは、
『対テロ戦争』という名の下に一般市民への凄惨な掃討作戦が日々続いている
ということだけだ。


ベスランの突入は午後行われた。大型の保冷車二台の運転手が言った。
「今日の昼ごろにFSBから電話があって、かなりの死体が出るから来てほしいと
いわれたんだ」
このコメントの「昼ごろ」というのが、突入前なら、突入は、言われている
ように偶発的なものではなく、事前に準備した計画的なものだったのだろうか。

「チェチェンの呪縛」横村出(岩波書店)