にわかには信じられないような、嘘のようなロシアの現実。
軍の腐敗、マフィアと政治家の癒着、汚職と賄賂。
それらが具体的・実証的に赤裸々に記述されている。

「2002年の一年間だけで500人を超す兵士が戦闘ではなく、
 暴行によって死亡した軍隊」
上官達は兵士達を安価な労働力として民間に提供し、労賃を受け取る。
不法な、信じ難いサイドビジネスに励む。

 91年のソ連崩壊以降中流階級が創造された。
自由市場と民主主義を支える存在だった。
98年の債務不履行(デフォルト)で中流階級が消滅した。
こうして、特権階級(ノーメンクラツーラ)が蘇った。
「エリツィン政権下ではあり得なかったほど贈収賄で汚職にまみれた」
「ロシアには政権内に支援者あるいは後見人のいない巨大企業は存在しない。
 こうした職権濫用は市場経済とは縁がない」
専業主婦だった一主婦が、闇市場で早朝から深夜まで働き、闇仕入れの元締めに
信頼され、やがては、自らが闇市場の仕入れ元となり、のし上がっていく。
彼女は言う。
「議会の腐敗がどんなにひどいかあなたは知らないのよ。
 エリツィン時代の盗人どもなんて及びもつかないわ」
「物事のやり方は変わったのよ。店舗を手に入れるためには、
 自分のお金で買う権利を役人に与えてもらわなきゃいけないの。
 それがロシア式資本主義ってものよ」

 ウラルの一匹狼のチンピラが、密造酒で一儲けし、警察に金を払って癒着を
深めていた。貯め込んだ資金でより大規模で、合法的な事業を始めようとした。
警察には過去の犯罪歴を消し去ってくれる者もいる。
こうして、一匹狼のチンピラは、新興実業家となった。
相対立する政治家、裁判官、警察署長、マフィアは、それぞれ二つの陣営に
分かれて抗争を繰り返す。次第に力で関係が決着していく。
アンドレイ・クルコフの「ペンギンの憂鬱」の世界がそっくりそのまま現実世界
で行われているようだ。
共同事業者が不審な死を遂げても、強引な乗っ取りを行っても、地区裁判所、
州裁判所、州警察と癒着しているので安泰だ。
今では州議会議員となり、不逮捕特権まで手中にしている。
今では「統一ロシア」ウラル支部の活動に協力を惜しまない。
マフィアに支配された街。
州警察、州裁判所、州議会、マフィア一体となった支配体制の完成。
プーチンの言う「法の支配」「法の独裁」の実態だ。
州裁判所長官は、ソ連時代からの生き残りだ。
ソ連時代を生き残ってきたのは、『決して上に逆らわない』という生き方
による。
ソ連崩壊で、一体何に従えばよいのか、自らの価値基軸崩壊に苛まれた。
そして、新たな価値基軸を見い出した。新興権力たるオリガルヒだ。

 カムチャッカの最新鋭原子力潜水艦の艦長達は、薄給で食事は
街のパン工場の掛けだ。天気の良い日には漁に出て食料を入手する。
朝は全員徒歩で出勤する。車なんてない。ガソリンもない。
「こんなことが信じられるだろうか。国際的な大国で核の盾を守っている人間が
 施しで食べているのだ」
そんな信じられないような境遇に耐えているのは、
「私はロシア国民を守っているのであって、国家の官僚を守っているのではない
 のですから」という信念だ。

 ロシア軍大佐が、チェチェンで18歳の女性を強姦し、殺害した容疑で裁判が
行われた。
 かつてソ連時代の反体制活動家に対して、「精神障害」と判定され、
「治療」という名の下に、向精神薬を強制投与されていた。
その筆頭たる悪名高きペチェルニコヴァが復活した。
「政治目的の精神医学と診断命令が復活した」
ドイツの連邦議会やシュレーダー首相から圧力が掛かっていた
 こうして、この裁判は二転三転する。


「私たちはブレジネフの『停滞期』からスターリンのあからさまな独裁へと
 退行している」
「ロシアには独立した司法制度や検察制度が存在しないのもまた明らかだ。
 判決は政治家の専横と政治の都合に左右されるのだ」
 プーチンのロシアを筆者はそう分析する。
しかも、問題は、
「プーチンの配下は社会の反応を注意深く見守っている。彼らが国民など気に
 しないと思うのは見当違いだ。今起こっていることに対しての責任は私たち
 国民にある。まず私たちにであって、プーチンにではない」
「社会のあきらめムード、これは底なしだ。これがプーチン再選の免罪符なのだ」
「ロシアの政治情勢を変えられるのは私たち自身しかいない」
 ロシア国民である自らこそがその責任者なのだと主体的に反省している。

 ソ連崩壊で価値基軸を喪失した旧支配階層が、新興権力へと乗り移っていく、
その精神構造の分析も面白かった。


 高支持率で再選されたプーチン。
最大の原因は、高い経済成長率だろう。
石油・天然ガスの輸出が好調。
原油高という幸運も重なった。
しかし、国内産業が育成されている訳でもない。
軍需産業くらいしかない。
いびつな経済的下部構造の上に、
いびつな政治的上部構造がそびえ立っている。

 第二次チェチェン戦争開始と共に始まったプーチン政権。
軍部の復活、強いロシアの復活、
FSBという名の旧KGBを実体的基礎にして、
旧共産党のノーメンクラツーラと
新興実業家という名の新旧マフィアと
これらの複合体がプーチン体制のようだ。

 チェチェン人、イングーシ人、更にはコーカサスの人々を
民族排外主義的に国民総動員で排除する。
ロシア民族主義の高揚。

チェチェン戦争の進展と共に精神的にも腐敗が進行したようにも思える。

地方自治体の任命権を大統領へと中央集権制の強化。

相次ぐジャーナリストの不審な死。

民主主義への道から逆行しているとしか思えない。

国際的には、グルジア、ウクライナ、キルギスと、
『民主主義革命の輸出』にしてやられているように思える。
<プーチン流>は、ロシア国内的には貫徹できても、
国際的には敗退を重ね続けているように思える。


人類史上初めての「社会主義」から資本主義への退行。
資本の原始的蓄積の醜悪な再現。
私的所有という陣取りゲーム。
ただしそれは必ずしも一回限りとは限らないのがロシア的特殊性とは言えようか。
既存の理論だけでは、そもそも解明できない事態なのではないか。

「プーチニズム」アンナ・ポリトコフスカヤ(NHK出版)