かつて北コーカサスで最も美しい街と呼ばれたグローズヌイ。
グローズヌイでは大砲で破壊された跡の残らない建物はありません。
チェチェン戦争の被害者は主に一般の市民です。

 ロシアとチェチェンの交渉に関わった人々はエリツィン大統領とドゥダーエフ
大統領の会談さえ成立すれば平和的解決は可能だったと証言しています。
「ドゥダーエフはエリツィンとの会談に同意すると言った。私は即座にモスクワ
 に電話したが、上院議長は事態は動き出したと述べて取り合わなかった」
(クロチュキン・ロシア元上院議員)

「ロシア側とも話をし、エリツィンとドゥダーエフがテレビで発表する軍事衝突
回避の声明文まで準備したが受け入れられなかった」
(シャミル・チェチェン元外相)

 それから十年、親ロシア派の共和国政権が誕生しています。
「独立派は認めない。武器を捨て、平和の為に協力すると言うなら対話の用意は
 ある」(アルハノフ・チェチェン共和国大統領)

 NHKモスクワ支局長石川一洋氏は、
「ロシアとチェチェンの問題は長い歴史はあるものの、現代において軍事侵攻に
 まで先鋭化する必要性も必然性もなかったとみています。
 94年12月に軍事侵攻に踏み切った理由は、ロシアの統一の維持の為であり、
 それが戦争の大義ということになります。
 政権浮揚の為の簡単な勝利を求めたという理由に尽きるとみています。
 94年の時点ではドゥダーエフ政権の基盤が大変脆弱化しており、グローズヌイ
 と三つの地区を支配するだけと言われ、親ロシア派の力が増しており、
 こうしたことがエリツィン政権をして簡単な勝利の幻想を持たせたのかもしれ
 ません」

「反ドゥダーエフの村でもロシアが攻めてきたらドゥダーエフと協力して戦うと
 言っていた」(クロチュキン・ロシア元上院議員)

 <現在のチェチェンの状況>
「独立派幹部が共和国政府に投降するという状況はあるものの、逆に過激な武装
 勢力に加わる若者達は後を絶ちません。
 過激なイスラム原理主義が浸透するとともに、北コーカサス全体に広がって
 います」(石川氏)

 今夏隣国イングーシの山奥で撮影されたとみられるバサーエフ司令官の映像。
チェチェンのアルカイダ代表とされるアルザイド司令官が共に映っていました。

「昔からロシアに内通したやつは多い。俺の周りもそうしたチェチェン人が
 たくさんいる。
 そっちの覆面の男は撮らないでくれ。彼はアルハノフから副大臣になってくれ
 と頼まれたので俺に許可を得に来た」(バサーエフ)

 映像の中に、ベスランでの学校襲撃事件に実際に参加した二人の男が映って
います。
 一人はアラブ人でベスランの学校からサウジアラビアの母親に電話した内容が
アメリカの情報機関からロシア側に伝えられています。
 もう一人は学校を占拠した武装勢力の中で大佐と呼ばれていた指揮官で
チェチェン人です。

 独立派の内部では、指導者であるはずのマスハードフ元大統領は既に実質的な
力を失い、アラブの過激なイスラム原理主義と結びついたバサーエフ指令官の
グループが指導的な力を強めているものとみられています。

 バサーエフの武装勢力に対して実際に戦っているのは、チェチェン共和国特殊
部隊とロシア軍参謀本部の特殊部隊です。
いずれもロシア人は含まれず、チェチェン人のみから構成されています。
ロシア軍特殊部隊は元々親ロシアのチェチェン人から構成せれているのに対し、
共和国特殊部隊は、投降した元独立派から構成されています。
 暗殺されたカディロフ前大統領が、独立派の宗教指導者からロシア側に移った
ように、イスラム過激派の勢力を抑え切れないマスハードフ元大統領に見切りを
つけて、ロシア側に投降した人々がほとんどです。

「私達はマスハードフ元大統領にバサーエフと別れてイスラム原理主義と戦う
 ように求めました。しかし彼は優柔不断で決断しませんでした」
(特殊部隊司令官)

 <独立派の中で、何故、穏健派ではなく、過激派が力を伸ばしているのか?>
「一つは、独立派とは投降を求めるのみで一切の交渉はしないという強硬方針を
 採ったことが、逆に独立派の中でバサーエフら過激なグループの力を強めた。
 もう一つは、イスラム原理主義が若者の間で今の体制に対する抗議を支える
 イデオロギーとして、この地域では浸透している。
 北コーカサス全体はロシアの中でも、とりわけ貧富の差が激しく、不公平な、
 そして、全体として発展から取り残された貧しい社会となっています。
 その中で、過激なイスラム原理主義グループは、イスラム法に基づく平等とい
 う、たとえそれが嘘であったとしても、言わば、世直しを訴えている。
 一定の若者がそのイデオロギーに惹きつけられるのは、社会的な背景と理由が
 あります。
 例えば、イスラム原理主義の政党や団体の存在が認められているのなら、権力
 側と緊張関係を保ちながらも社会的な不満を吸い上げる野党として存在する
 ことができるでしょう。その方がむしろ社会的には安定するかもしれません。
 しかしロシアの北コーカサスにおいては、イスラム原理主義というだけで、
 弾圧の対象となり、それがますます過激な武装闘争に走らせ、バサーエフの
 支持者を増やすという悪循環になっている」


 グローズヌイ大学、構内は一万人以上の学生が通う。
「チェチェンでは若者であることは、それ自体で危険を伴います。
 テロリストと疑われる危険、テロに遭遇する危険。
 午後になると、暗くなる前に学生は家に戻ります」

 クラスでは、ロシアのテレビであたかもチェチェンの少女達が全て自爆テロの
志願者であるかの如く伝えられていることが話し合われていました。
 ある女子大生は、
「ロシアのテレビで見る西側の暮らしはやはり魅力的です。
 しかし、私達は自分達の習慣や伝統を守っていきます」
「今、自分達が毎日強くなっていると感じます」


 
 今回の番組で、私はいくつかショックを受けました。
@ベスランの学校占拠事件にバサーエフが関与していたことを、自ら実写映像で
 証明したということ。
A現在チェチェンで戦っているのは、実はチェチェン人どうしだということ。
 (まあロシア軍もいるのですが、チェチェン人どうしも多いのでしょうね)
B大学で一万人もの学生が学んでいることに少し安心しました。
 次代を担う若者の教育が壊滅状態だと思っていましたから。そうではなくて
 良かったです。ただし、小中高教育がどうなっているのかは分かりません。
 しかも、教育は親ロシア派のみに可能なんでしょうね。

 マスハードフは、バサーエフと決別し、本意ではないでしょうが、ロシアに
投降し、即時停戦するというのが、現状では最もベターな選択なような気がして
きました。
 独立の大義は、しばらく我慢して、体制を建て直し、民族の再建を果たし、
経済力を回復してからでないと、独立なんていっても、空論のような気がします。
 ただ、マスハードフだけが投降しても余り意味はなく、バサーエフ等、特に
イスラム原理主義過激派を停戦させることができるかどうかは難しいでしょうね。

「チェチェン軍事侵攻から10年」:NHKBS