「自己防衛の口実の下に(攻撃はいつも強国からひき起こされるにもかかわらず
  )、あるいは野蛮な民族は文明化するという口実の下に(その野蛮な民族は
 文明化する者たちよりも比較にならないほどよい、平和な暮らしをしていると
 いうのに)、あるいは他の何らかの口実の下に、巨大軍事力の国家の召使ども
 は弱い民族にたいしてありとあらゆる悪事をおかす、彼らにはこうするより他
 に手がないとうそぶいて」

 19世紀のこのトルストイの言葉は、残念ながら、21世紀現代にも当てはまって
しまうと私には思えます。
 文明の衝突、未開と文明、中東民主化構想、遅れたイスラムを民主化してやる
んだという思い上がり。

 1851年、北コーカサスの山岳民族の英雄ハジ・ムラートがロシア軍に投降した
時、トルストイもまたその北コーカサスに居ました。

 トルストイは、最晩年、「ハジ・ムラート」を書きます。推敲に推敲を重ね、
生前には発表しませんでした。
 何度も何度も改稿していることから、その愛着ぶりが推察できます。

 19世紀のコーカサス戦争。
宗教指導者イマーム=シャミーリの下、チェチェンとダゲスタン一帯に
イスラム教スーフィズムに基づく神政国家を数十年間に亘って樹立していました。
シャミーリと並ぶ山岳民族の英雄ハジ・ムラートを描いた作品です。

 冒頭の踏まれても踏まれても立ち上がってくる韃靼草の描写は、主人公ハジ・
ムラートを暗示するとともに、山岳民族を暗示しているのだと思います。
無骨で刺々しい韃靼草。
「まるで体の一部を切り離され、腸を露出し、片手をもぎ取られ、片目を抉り
 出されたような具合であったが、それでもやはり毅然と立ったまま、周囲の
 同胞をことごとく亡ぼしつくした人間に、降伏しようとしないのである」
「人間はすべてを征服して、幾百万の草を滅ぼし尽くしたが、この草だけは
 まだ屈服しようとしないのだ」

 レールモントフ、プーシキン、トルストイはいずれも「コーカサスの虜」と
いう作品を書いています。
 ロシア文学揺籃の地コーカサス。

 他のロシアの文学者達は、勇猛だが未開で野蛮と、コーカサスを表面的・外面
的にロマン主義の一素材としてしか扱いませんでした。
 文学的ロマンチシズムは、未開を文明化してやるんだというロシア帝国主義・
植民地主義イデオロギーの片棒を担いでいるように私には思えます。
 ロシアによる侵略を擁護するロマン主義とは、トルストイは明らかに一線を
画しています。
 トルストイに於けるその可能根拠は、人道主義・ヒューマニズムを拠点にして
いたからだと思います。

 登場人物の内面での揺れ動きを克明に描いているのはさすがです。
ハジ・ムラート、シャミーリ、ロシア軍の将軍、夫人、皇帝、、、
主要人物の内面世界の振幅を流動的に描いています。
ハジ・ムラートとて、ロシア軍の後ろ盾を得て、シャミーリを撃破し、ロシアで
軍功を立て、故郷アヴァールの封建領主になることを打算していました。
各自の打算と打算のぶつかり合いをきちんと描いています。
まさに「万人の万人に対する闘争」そのままです。

 文学作品という限定性に於いて描かれている訳ですから、各民族の階級構成、
各階級の利害の対立構造、その過程的推移等々の分析が為されていないのは当然
です。
 小説を超えて、しかし、その背景に迫る為には、現実社会の分析もまた必須だ
と思います。

反ロシアの民族独立統一戦線という性格

<ロシア帝国の利害>対<英トルコの利害>(山岳民族への英の軍事援助)
<イスラム宗教勢力の利害>
<ダゲスタンの中小封建領主勢力の利害>
<ダゲスタンの農民層の利害>
<チェチェンの自由農民層の利害>
<チェチェンの自由農民層内部での階層分化の進行>
<平地の農民の利害>と<山岳部の農民の利害>
<農民兵主体から代官(ナイブ)の私兵主体へとミュリディズムの変質>

 <内部崩壊の過程>
諸民族の民族統一戦線は、当初は、封建領主層がヘゲモニーを持っており、
ペルシャなどの援軍を期待していました。第三代イマーム=シャミーリになり、
農民層がヘゲモニーを持つようになります。そうなると、封建領主層は手を引き
始めます。農民層の封建領主層に対する闘いへと質的変貌を遂げます。
更に、地方代官(ナイブ)が、あたかも封建領主層のように振る舞い始めると、
農民層の支持も急速に低下していきました。

・農民は高い税と徴兵という圧政を受ける
・地方代官(ナイブ)の圧政
・ダゲスタン人支配層と被支配層であるチェチェンの自由農民層との確執
・ロシア軍の戦略:消耗・飢餓作戦:森林伐採、食糧補給を絶つ、農村の破壊

 チェチェンの農民層は、暴力装置たるイマームの弟子ミュリド兵達を殺害し、
ロシアへと次々と帰順します。

 ハジ・ムラートはチェチェンの東隣ダゲスタンのアジャール地方の封建領主
勢力です。
 第二代イマームに親族を殺され、その仇として第二代イマームを暗殺します。
第三代イマームであるシャミーリと当初は対立していました。
その後、ロシアの任命した封建領主と対立し、ロシア側を離れ、シャミーリ側に
付きます。
 シャミーリの下、地方代官(ナイブ)として力を付けたハジ・ムラートは、
徐々にシャミーリと利害対立が始まります。
シャミーリの指示から相対的に別個に自らの利害を追及し始めます。
ハジ・ムラート以外の他の地方代官も同様の行動を取り始めます。

 後継者を自分の息子に指名したこと(血縁による相続はイマームが世俗の
専制君主に変質することを意味する)とハジ・ムラートの独自行動を批判し、
地方代官を解任したこと、これによって、両者の対立は決定的となります。
ハジ・ムラートはロシア側に走ります。

 本書と植田樹氏の「チェチェン大戦争の真実」を併せ読むことにより、
相互により豊かに理解する助けとなりました。
また、現代のチェチェン問題をより深く理解する一助ともなりました。
「事情は全く異なるものの、現代の第二次チェチェン戦争では民族運動が
 ワハーブ派によって乗っ取られ変質していったことを想起させる。
 特にマスハドフ大統領らを押さえこんで主導権を握った”野戦司令官”は
 地方代官(ナイブ)達を連想させるものがある」

 ロシア帝国の植民地主義には嫌悪しつつ、山岳民族の民族的戦いにも同情し
つつも、しかし、未開の山岳民が文明化されること、そのこと自体は、
『良いもの』として肯定してしまう。
 これは何故誤謬と言い得るのか?
 トルストイは、何を拠点にこれを否定し、乗り越えたのか?

 冒頭のトルストイの言葉が21世紀現代にも妥当するのなら、私にとっても
同様の問題が突きつけられています。

 チェチェン、イラク、アフガニスタン、パレスチナ等々で、『遅れたイスラム
を民主化する』という口実の下に、多くのイスラム一般市民が傷つけられている
のだからです。

 考えてみれば、ロシア帝国主義・植民地主義の尖兵たるコサック達や農奴達も
また、自らの意思ではなく、ロシア帝国の国策によって送り込まれているのです。

 イラクの米軍兵士の多くが、市民権を持たぬヒスパニックで占められている
ことを想起させます。

「ハジ・ムラート」:トルストイ