170人以上の児童を含む336人が犠牲になった。
 この事件の最大の謎と言われているのは、一体銃撃戦の口火を切ったのは
どちらなのかということ。
 北オセチア共和国から北西へ車で20分にベスランはある。人口3万3千人。
首都に隣接する住宅地として政府の要人や富裕層が多く暮らす。
街には第一から第六まで六つの学校があり、中でもベスラン第一学校は
最も伝統ある名門校として知られている。

 事件後、男達の多くはヒゲを蓄え、黒い服に黒のハンチングを被っている。
伝統に従って失った家族の為に喪に服している。

 人質となったボリス氏は、
「まず『仕事』を命じられた。教室の窓に机を積み上げたんだ」

 人質の数を二百人と発表したロシア当局に対し、
反発した犯人グループが一日目の体育館内の映像を撮影して渡した。
しかしこの映像は事件が終わるまで公開されることはなかった。

 犯人グループは男達を容赦なく処刑した。
(「処刑」に使われた教室の映像)
死体は校舎の二階から投げ捨てられた。

 人質となったマリーナさんは、
「2日目の朝までは水を飲みに行くことが許されました。
 給食室にあるトイレに行くこともできました」
 大佐と呼ばれるリーダーが、人質の男性がトイレに行くの知って、
 『誰が許した』と怒鳴り、『なぜ行かせた』と
「ピストルを仲間の額に突きつけていました」
 
 15歳の少女アラーナは、けが人の手当てをし、
犯人の所へ行って負傷者の為に水を要求していたそうです。

 3日目午後1時、非常事態省のスタッフが到着、
殺された人質の遺体を引き取る作業が始まった。
その時、最初の爆発が起きる。最初の爆発は体育館の中で起きた。
そして、子供達が窓から逃げ始めた。

「体育館の中が暑かったのでリングから爆弾が落ちたようだ。
 粘着テープで止めてあったので、暑さではがれたのかもしれない。
 何かが落ちた衝撃音がした。そして爆発したんだ」(ボリス氏)

「犯人たちがバケツで火に水をかけていました」(マリーナさん)

 学校に隣接するアパート4階に住むアラーナの父ムラート氏は、
最初の爆発音を聞いて、ベランダに飛び出すと、2回目の爆発。
「体育館を見ると屋根が落ちていくように見えた。
 一度浮き上がってから沈むような感じだ。
 その直後2回目の爆発が起きて子供たちが窓から飛び出した」

 同じアパートに住むアリック氏は、
「犯人たちは校舎の上から子供たちを狙って撃ってきた」
2回目の爆発の後、逃げ出した子供達の背中に向かって
犯人グループが銃撃を開始した。
ロシアの特殊部隊は校舎の上にいた犯人グループに応戦。
銃撃戦が始まった。

 犯人グループを狙った砲弾が体育館の屋根に落ちる。
最初の爆発から20分、体育館の屋根は崩れ落ちた。
火災による有毒ガスと屋根の崩落が衰弱した多くの人質を襲った。
消防の到着も遅れた。

 午後2時半、犯人グループは生き残った人質50人を連れて、
給食室に立てこもった。第二の銃撃戦の舞台。
人質の母親は、人間の盾として窓際に立たされた。
午後7時半、給食室は特殊部隊によって制圧された。
銃声が止んだのは午前2時だった。

 マリーナの父親ティムール氏は、
「時がすべてを忘れさせるなどと思うな。
 オセチア人は流した血を決して忘れない」

 15歳の少女アラーナの遺体は腰の横の部分と顔の一部が無かった。

 事件後、街では犠牲者の為に墓地を造った。
300人以上が眠っている。


「憎しみの発露が新たな憎しみと悲しみを生んでしまう」
「報復の連鎖を断ち切るものは何なんでしょうか」

「ベスランで起きたこと:ロシア学校占拠事件の真実」報道ステーション