モスクワの東約千キロにある工業都市トリヤッチ。
人口約70万人。住民のほとんどは自動車工場で働いています。
ここ数年ロシア各地では犯罪や汚職が横行しています。
トリヤッチでは過去八年間に六件のジャーナリスト殺害事件が起きています。
2002年4月地方紙「トリヤッチ・レビュー」の編集長ワレリー・イワノフ(32)が
殺害されました。イワノフは多くの人の目の前で何者かに銃で撃たれました。
一年半後、後任の編集長アレクセイ・シドロフ(31)がアイスピックで刺され
死亡しました。
ゴルバチョフ大統領の時代に、情報公開グラスノスチが宣言されました。
ロシアではその後、百人を超えるジャーナリストが殺害されています。

 1996年に創刊された「トリヤッチ・レビュー」は、有力な地方紙の一つです。
殺害された初代編集長イワノフは、政府高官による汚職やマフィアと政治家の
繋がりなどを鋭く指摘してきました。
 後任のシドロフはその方針を受け継ぐことを決意します。
しかし、ロシアで真実を語る時は、命の危険が伴うと言われています。
 副編集長リンマ・ミハレワは、
「取材に取り掛かる時、まずどこまで公表できるかを慎重に検討します。
 その境界線を越えないように常に注意していなければいけません。
 命は一つしかありませんから」

 過去七年間にトリヤッチで起こった殺人事件は三百件に上ります。
問題はこうした犯罪の多くに政府の関与が疑われていることです。
警察がマフィアに買収されたケースも少なくありません。


 モスクワを拠点とする有力新聞ノバヤ・ガゼータのユーラ・サフロノフ(23)は、
「この国の言論の自由は、とても変わっています。基本的に好きなことが言えま
 すが、言ってしまった後で、言わなければ良かったと後悔することがよくあり
 ます。すぐに圧力を受けるからです。刑務所に入れられるというような直接的
 な圧力ではありません。その代わり家賃が急に高くなったり、会社が立ち退か
 されたりするんです。ジャーナリストの仕事を間接的に妨害してメディアを
 沈黙させるのは簡単です。それは誰もが認識しています。
 だから一部のジャーナリストは、ある領域には決して踏み込まないんです。
 西側の国々ではトリヤッチの事件のような恐ろしいことは起きないでしょう」

 1993年に創刊されたノバヤ・ガゼータは、モスクワに本社を構える全国紙で、
二週に一度四十万部を発行しています。
 政治関係の記事に重点を置き、大胆な政府批判も行っています。

「新聞が大胆な報道をできるのは、テレビに比べて購読する人の数が少なく、
 それだけ影響力も小さいからだと思います。だから私達は、テレビでは
 触れられないようなことも記事にできるんです」(サフロノフ氏)

 プーチン政権は、主要なテレビ局を政府の統制下に置きました。
大統領やチェチェン紛争についての報道内容は、全て政府が指図していると
言われています。
 ロシアには二万二千種類もの新聞があります。しかし、そのほとんどは大企業
や政府に友好的な財閥の傘下に組み込まれており、記事の内容は厳しく統制され
ています。独立新聞であるノバヤ・ガゼータは地方での販売が苦しくなっていま
す。政府が鉄道による新聞の輸送を規制し始めたからです。

 ノバヤ・ガゼータ紙編集長ドミトリー・ムラノフ氏は、
「秘密情報機関は文民統制下に置かれるべきです。ロシアではそれが逆です。
 秘密情報機関が社会を統制している。あのKGBが復活しようとしています。
 恐ろしいことに、この国には憲法裁判所以外に独立した裁判所がありません。
 ここには三権分立というものは存在しない。司法機関を監督しているのは
 政府なんです」

 トリヤッチの事件について、最高検察庁は犯人が逮捕されたと発表。
シドロフ編集長を殺害したとして逮捕されたのは、トリヤッチの工場労働者でし
た。事件は行きずりの殺人事件で、被害者がジャーナリストであったこととは
無関係という公式発表に多くの人が不信感を抱きました。
近所の人達は、政府が無実の人間に濡れ衣を着せたと噂しています。
 
・容疑者は現場検証で、殺害現場について、家の入り口で刺したと証言していま
 すが、家の横に大量の血痕が残っていました。つまり殺害現場の証言に不審な
 点があります。
・容疑者は、事件当日夜10時まで行きつけのカフェに居たという証言者が出て
 きました。つまり当日のアリバイがありました。

「ロシア 相次ぐジャーナリストの殺害」NHKBS世界のドキュメンタリー