トルストイの同名小説をチェチェン戦争に置き換えた作品。

 原作同様、ロシア兵がコーカサスで捕虜となる。
息子がロシア軍に捕虜となっている老人は、ロシア兵捕虜二人を自宅で監視する。
息子と捕虜交換を行う為だ。しかし、捕虜交換はうまくいかず、ロシアの母親に
手紙を書く。
 母親はチェチェンまでやって来る。しかし、老人の息子は殺されてしまう。
従って、ロシア人捕虜も当然報復として殺されるはず、、、
というストーリーだ。
主人公が木の細工を娘に作ってやり、心が打ち解け始めるとか、
時計を直すという所。娘が主人公を逃がす所。
一度は逃亡に成功するがまた捕まるという設定も同じだ。
原作にはないが、老人の娘との淡い恋も描かれている。

 プーシキンの同名詩も同様の設定になっている。
映画「チェチェン・ウォー」でもロシア人捕虜という設定だ。
どうもロシアの伝統なのだろうか?

 勿論、戦争なので人も次々と死ぬのだが、全編を通して、どこか牧歌的な
雰囲気が漂っている。
 96年の第一次チェチェン戦争後に創られた映画だからなのだろう。
 第一次チェチェン戦争のある時期では、そういう牧歌的な要素も残っていたの
かもしれない。
 しかし、第二次チェチェン戦争は、そんな牧歌的な要素などどこにもない。
凄惨で陰惨な掃討作戦が繰り広げられている。
文字通りチェチェン民族絶滅の危機に瀕している。

 撮影は、チェチェンで行いたかったそうだが、不可能なので、隣国ダゲスタン
の山岳地帯で行われた。
ハッサン・バイエフの「誓い」に出てくる山腹にへばり付くように散在する集落。
「一戸の家の屋根が上の家の中庭になっているので、遠くからこれを眺めると、
トランプの札を山腹に段々とならべ上げているように見える」という風景だった。


 <<以下、ネタバレ>>
 ラストで、老人は、主人公を銃で撃つ為に、人里離れた山に連れて行く。
娘は殺さないでと懇願し、こっそりと後からついて行く。
振り向くなという老人は、主人公を後ろから銃で狙う。
山間に銃声がこだまする。
老人は主人公を撃たなかった。
老人は後ろを振り向きもせずに立ち去っていく。
主人公は、ロシア側へと歩いて逃げる。
ロシア軍の攻撃ヘリ4機が近付いてきた。
手を振る主人公。
ヘリはそれには反応せず、主人公が逃れてきた村への攻撃に向かうようだ。
「止めろ!」主人公は叫ぶが、そんな声は届かないかのように、ヘリは村への
攻撃に向かい、散開し、攻撃態勢に入るというのがラスト・シーンだ。


老人は、主人公を殺すべきかどうか最後に撃つまで迷ったのではないだろうか。
自分でもどうするか決めかねていたのかもしれない。
自分でも理解できない行動だったのかもしれない。
主人公の母親と直接会い、話をしている。
母親は教師で、老人の息子と同じ職業だと話しても、
「だから何だ。敵同士だ」と素っ気なく答えている。
そう言いながらも、親の愛と親の愛という点では同じだと認め合ったのかも
しれない。

 しかし、<個々人の想い>というレベルと、<政治・戦争>というレベルとは、
どうも噛み合わないようだ。

映画「コーカサスの虜」