<「婦人之友」11月号:婦人之友社>
 ・『北オセチアの悲劇に思うこと』最上敏樹
「武装グループの要求内容がいかに正しいものであれ、あのような手段では
 人々の共鳴は得られない」
「強行突入をしたロシア治安部隊の側も、『人質救出』より『テロリストの
 殺害』を優先していたようにしか見えません」
「チェチェン やめられない戦争」の著者アンナ・ポリトコフスカヤは、
「人々が踏みつけにされているうちに人間的な感覚を失い、心が壊れてしまった
 と静かな悲しみを込めて記しています」
「心が壊れてしまった人々はどうなるのか。ポリトコフスカヤは、『眼に不気味
 な光を宿らせ、自分を痛めつけた者たちへの報復という唯一の悲願を持ってい
 る』若者たちにたくさん出会ったと書きつけています」
「報復だけを悲願する若者を生み出す状況を改めることが、まず最初に必要なの
 です」

 筆者は、9・11以降の「対テロ戦争」によって、暴力と報復の連鎖が絶望的に
悪化し始めたと書いている。
テロの取り締まりが不要だというのではなく、テロとの戦争だと言いさえすれば
何をしても許されるかのような風潮が生まれ、それに対抗する側も虚無的なテロ
にまで走る―そのことが問題だと。

 そこで、「正義の旗を降ろしてみる」ことが必要だと訴えています。


 「対テロ戦争」の名のもとに実際に行われていることは、「テロリスト」に
対してだけでなく、膨大な数の一般市民にも危害が加えられています。
 あるいは、自国にとっての「政治的反対派」に「テロリスト」とレッテルを
貼り、「対テロ戦争」を政治的に利用していることです。

 テロリズムはもちろん、否定されねばなりません。
しかし、実際に多くの一般市民を傷つけることは、許されることではありません。
 またそれが、報復を生み出すという悪循環に拍車をかけています。


 「誓い」でハッサン・バイエフは、
「私達の世代がロシアで教育を受けて、ロシア人の友人がいるのとは違って、
この若いチェチェン人世代は、ロシアから受け取る物は死以外に何も知らない」
と書いています。
 ソ連時代、チェチェン人に対する偏見・差別・迫害はあっても、チェチェン人
と他民族は、ソ連国内を相互に行き来し、交流していました。
 ソ連の数少ない肯定面は、教育でした。
 相互に大学に行き交い、商業・仕事に行き交っていました。
 現在のチェチェンでは、もう長年まともに学校教育も行われていません。
次の世代は、民族の伝統すらきちんと受け継ぐことなく、報復の怨念のみ肥大化
させ、成人していくとしたら、それこそ、チェチェン民族の内的崩壊です。 

『北オセチアの悲劇に思うこと』最上敏樹(婦人之友11月号)