1992年に北オセチアとイングーシ間で武力衝突がありました。
スターリンの政策で領土を恣意的に決められたことへの歴史的後遺症です。

 今回の北オセチアの事件に、チェチェン人だけでなく、イングーシ人も
加わっていたことから、過去の民族対立の再燃を恐れています。

 北オセチア人は多くがロシア正教徒で、チェチェンとイングーシ人は、
兄弟民族で、多くがイスラム教徒です。

 事件現場の学校の校舎の壁に、
「イングーシ人とチェチェン人は始末しなければならない」という落書きが
書かれていました。

「一部の人達の行動で民族的な対立に火がつけば収集がつかなくなることを
 経験として理解している」
 と、レポーターが語っていたことが印象に残りました。

 第二次チェチェン戦争では、チェチェン内で戦争を望む勢力など、外国からの
義勇兵を中心としたイスラム原理主義過激派など、ほんの数千人程度だったと
思います。彼らのカフカスにおける『イスラム国家連合』という『イスラム原理
主義革命の輸出』という二千人の兵力によるダゲスタン軍事侵攻が第二次チェチ
ェン戦争を惹き起こす発端だったと思っています。


 事件に遭った子供達に精神的ケアも始まっています。ケアの初期に子供達の
描いた暗い絵や、その絵の中に窓はあっても出入り口のない絵が象徴的でした。
誰にも入ってきて欲しくないという気持ちの現れなんでしょうね。


 NHKの別の特集では、北オセチアの事件に遭った子供達に、カスピ海沿岸の
保養地で精神的なリハビリを行っている報告もありました。

「イングーシでの取材報告」:NHK・BS