・1986年チェルノブイリ原発事故
・2004年ウクライナ外相が訪日し、真っ先に長崎を訪問
 「同じ被曝体験をした者同士」
 ウクライナが非核化したことを印象付ける
 非核化でイニシアチブを持つ

 イラクへの追加派兵:一時停滞していたアメリカとの関係改善が目的
 
 1300に上る核弾頭など戦略核兵器を全て廃棄
 米ロに次ぐ世界第三位の核保有国だったウクライナ

・START1:第一次戦略兵器削減条約
・NPT(核拡散防止条約)加盟
 ロシアとの確執、米の介入
・1994年:米・露・ウクライナ首脳会議
 ・米露がウクライナの安全保障
 ・米が経済支援を約束
 核兵器廃棄合意文書に署名
・1996年:全核兵器が露に輸送
・2001年:最後の核ミサイル用サイロを爆破
 全核施設が廃棄

 <ウクライナ・モデル>
・国の安全を文書で保証
・核兵器の解体費用支援(米から2億ドル以上)
 経済支援

 ウクライナにとっては、むしろ核兵器を廃棄した方が、
経済支援などさまざまな利点があった。

 周辺諸国:欧米諸国や露が、この地域の安定の為にも、ウクライナの核廃棄が
必要だとの一致した同意

 韓国の盧大統領もウクライナの経験が、北朝鮮の核問題解決にも、参考になる
と述べています。

 北朝鮮とウクライナでは、
・体制も違う
・地理的条件・歴史的背景など、単純に当てはまるものでもない。

非核化ウクライナモデル:NHK・BS
(2004.6.14(月)放映)