「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、そして二度目は喜劇として。
 マルクスのこの警句にならって言えば、不世出の悲劇の革命家トロツキーの名著
 『裏切られた革命』を彷彿とさせる本書は、まさしく二度目の革命―社会主義
 国家ソビエトを葬り去る革命が、革命の名に値しない「茶番」の犯罪的な事件で
 あったことを克明な現地取材を通じて見事に浮き彫りにしている。」
 (「解説―深い歴史観に支えられた稀有なルポルタージュ」)
 (文庫版の巻末の解説:姜尚中氏)

 1917年、人類史上初めての<資本主義から社会主義への革命>ロシア革命が、
レーニン死後、スターリンによって歪曲されたと主張するのが、トロツキーの
『裏切られた革命』だ。
 1991年、その社会主義ソ連が崩壊する。
これまた人類史上初めての<社会主義から資本主義への革命>だった。
しかし、それは、共産党幹部、軍部、マフィア達の利権、汚職、打算によって、
『あらかじめ裏切られた革命』だったというのが本書だと思う。


 92年5月、ベラルーシのキルシャ駅、民間の協同組合貸切の貨物列車に、新品
のT72戦車24輌が貨物列車に積載。輸送許可証には「旧型の戦車を廃棄・解体し
たスクラップ」と記載。
 その民間協同組合の出資者の半分は軍人。

 CISでは、軍が独自に商業ルートを通じ、所有している武器以外の軍需物資を
売却することは法的に禁じられていない。

 武器密売には、三つのレベルがあるという。
@トップレベルの権力者が関与:国際的な取引、表沙汰にならない
A汚職官僚や軍の将校:主としてカフカスや中央アジアなどの紛争地帯を市場に
B末端の軍人やマフィアや闇商人:小ロットの盗みや横流し

 ちなみに、戦車24輌密輸事件は、@ではなく、Aのケースだそうだ。


 ソ連社会における汚職とは、機能不全を起こしている公的な権力システムを、
汚職のピラミッドが補完する、ある意味では完成された社会のサブ・システム

 ソ連崩壊によって、誰が持ち主だか分からない世界最大の帝国が競売に出され
るという、人類史上空前の、一度きりしかないゲームへの突入

 古いノーメンクラトゥーラ(特権的共産党官僚)と、利権を奪おうとする
ニューリッチ(新興成金)の利害対立

 軍部のビジネス:エリツィンが最高権力を掌握してから、真っ先にサインした
大統領令が、近代国家の軍隊では類例のない、ビジネスの自由化の許可だった。

 政治家のマフィア化、軍隊のビジネス化、これら政治マフィアと
本物のマフィアの連合、現在のロシアの政治権力を、「マフィア資本主義」と
著者は規定している。

 93年の逮捕者総数は126万人、窃盗犯の60%、収賄容疑で摘発された汚職官僚
の三分の二は保釈金を払って釈放。

92年の西側からロシアへの投資額は10億ドル超、こんなマフィア資本主義の国に
投資が増えているという不可思議なパラドックスの答えはマネー・ロンダリング

94年に新設された私企業の大半約4万社がマフィア所有・支配下(内務省発表)

 マフィア実業家=ジェリツィ:ロシア・マフィア資本主義の真の主人公

「全体主義的独裁がマフィアによる独裁に取って代わられた」

 街中をマフィアが闊歩する。警察は恐れて手も出せない。
 病院もまともに機能していないようだ。厚生行政の腐敗。
 「ロシアの病院に入院したら最後、あとは死ぬのを待つだけ」


 <第6章 ロシアの<他社>なるチェチェン>

91年ドゥダーエフが大統領に選出される。しかし、エリツィンはこれを認めず、
チェチェンの旧政権=チェチェンの共産党政権を正式政府とした。
 しかし、チェチェンの旧共産党政権は、91年の8月クーデター事件の時、
非常事態委員会を支持していた。エリツィンは、これらの勢力と闘い、倒して
政権に就いたのだが。
 エリツィンは、ドルダーエフ政権はロシア共和国憲法に違反しているとして
承認しなかった。
しかし、エリツィン政権自らが、ロシア共和国憲法の上位に位置するソ連憲法に
違反して、ソ連共産党の活動を停止し、最高会議を無視し、新憲法草案提出し、
議会の解散令。(「二重基準」=ダブルスタンダード)

唯一の外貨獲得手段である石油産業も、ロシアのエンジニアが立ち去れば、操業
できなくなる。経済合理性を考えたら、独立は無謀であり、ほとんど自殺に等し
い。

・91年11月、ソ連軍とチェチェン市民との間は良好な関係でした。
・11月9日、モスクワから内務省の部隊・スペッツナズが派遣される。
 チェチェン市民20万人が基地を包囲し、内務省部隊は15台のバスで北オセチア
 のウラジカフカスへ無事移送。
・チェチェン・マフィアの代表が50万ルーブリを寄付
・ドゥダーエフ大統領:アフガン戦争の空軍パイロット「愛国的英雄」
 チェチェン人初の将軍(少将)
 エストニアの空軍師団の指令官に就任。
 毎週日曜日に市民に基地を開放
 基地区域内の美術館を返還
 アルメニア地震の翌日、協力を申し出る
 91年1月、ゴルバチョフがバルト3国への弾圧を命じた時、その命令に従わず、
 中央から命令されたテレビ塔の占拠を行わず、懲罰を受けた。
 
・チェチェン・マフィアにとって、ロシアからの『半独立』は、非常に都合が
 良かった。

・サハロフ博士:「ソ連で唯一、腐敗していなかったのはKGBである」

・ロシア市民もそうだが、チェチェンの一般市民は、独立よりも何よりもまず、
 汚職官僚の追放を願った。
 社会の隅々に蔓延る不公正は、生活に密着した切実な課題だった。

 <第7章 グルジア>
・グルジア:シュワルナゼ大統領に次ぐナンバー2(副議長)に、グルジア・
 マフィアのボスが就任。
・グルジア:アブハジアのロシア軍を紛争当事国であるにもかかわらず国連が
 PKFと認める
 
 <第16章>
 ロシアの将軍達は国費を使って不当に高い値段で品物を買い込み、差額をポケ
ットにしまい、更にその品々を自分達が作った会社へタダ同然の値段で払い下げ
て再転売している。二重、三重にオイシイ「ビジネス」!
 そもそもロシア軍の軍人が企業を設立し、「ビジネス」に参画することが許さ
れたのは、91年8月のクーデター事件直後に、エリツィン大統領が自らサインし
た大統領令による。

 <17章>
 チェチェンはもともと国家予算の90%近くをロシア連邦からの補助金に頼って
いた。その補助金が入らなくなり、更に国内唯一の産業である石油の採掘・精製
に携わっていたロシア人技術者達が次々と出国し始めると、92年の工業生産高は
前年より60%ものマイナスを記録し、労働者の平均給与はロシア全体の4割以下
にまで落ち込んだ。合法的な収入が絶たれれば、生き残る為に残された手段は
唯一つ犯罪しかない。
一番手っ取り早いのは強盗である。チェチェンを通過する幹線鉄道の貨物車輌や
幹線道路のトラックが武装強盗に襲撃される事件は年間二千件近くも頻発した。
第二は、武器と麻薬の売買。チェチェン全体が大型兵器の大規模取引の中継地。
グローズヌイ空港は世界中の組織犯罪のハブ空港となり、独立航空会社の飛行機
が武器や麻薬を積み込んで、月に百から百五十便も離着陸する「賑わい」
独立チェチェンは世界中のどの国家にも承認されなかったが、全世界のマフィア
やテロ集団に歓迎され、チェチェンの死の商人達は全世界に暗躍。
 第三のビジネスは、紙幣の偽造や手形詐欺。93年にロシアで発見された93億
ルーブルの偽造紙幣の内、37億ルーブルがチェチェン製。
証券の偽造は4兆ルーブル。

 こうした大胆かつ大規模な犯罪はチェチェン人のみによって計画、遂行された
のではなく、モスクワの高級官僚や将軍達の中にその同盟者がいなければ不可能
だった。
 列車強盗は事前に情報を入手、ロシア軍の内部に武器を売り出す連中が存在す
ることないしには不可能。
 チェチェンという「自由犯罪解放区」を利用して大儲けした同盟者達は、その
存続を密かに願っていた。

佐瀬昌盛防衛大学教授は「諸君!」95年3月号で、OSCE(欧州安全保障協力会議)
首脳会議の合意文書に「民族自決」という文言が入らなかったことを指摘し、
「旧ユーゴの処理問題でも失敗し、もはや分離主義者による小単位の民族自決
主義は欧州では封じ込めなければならないという雰囲気が、どこの国にも強く
ある」と述べている。
 チェチェン武力介入のタイミングが、このCSCE首脳会議から「一週間と経てい
ない」。民族自決主義原則が無制限に拡大して少数民族の独立が広がり、地球規
模の「アウト・オブ・コントロール」を招くことを西欧諸国が恐れていたことを
見抜いた上で、エリツィンは武力介入に踏み切ったのではないか。

 94年の戦闘で捕虜となった暫定評議会部隊の中に、ロシア連邦防諜局とロシア
軍の将兵が混じっていた。「チェチェン内部での政争にロシアは無関係」と言い
張っていたロシア政府のプロパガンダの化けの皮が剥がれてしまった。
捕虜となった将校達は「反ドゥダーエフ派の軍事計画には、ロシア連邦民族対策
委員会や連邦防諜局の指導部などが加わっていた」とあっさり白状。
暫定評議会部隊のグローズヌイ攻撃は、実は連邦防諜局が秘密裏にお膳立てして
、ロシア軍のカンテミール戦車師団の将兵を送り込んで行った「特別任務」だっ
たことが明るみ出てしまった。
 チェチェン共和国内部の政争を内戦のレベルにまで激化させることを目的と
したこの秘密作戦は、全てエリツィン大統領、連邦防諜局長、大統領警護局長、
国防相、内相らの承認の下で遂行された。

 <終わりなき終章>
 96年1月サルマン・ラドゥーエフ率いるドゥダーエフ大統領側の部隊がダゲス
タン共和国のキズリャルで、二千人の人質をとって病院などを占拠した。
ロシア軍の爆撃ヘリ基地を叩く為に出動したが、途中で発覚した為、人質を取り
、チェチェンへ無事帰還する為の保証を要求した。
ロシア側が要求を受け入れた為、約束通り大半の人質を解放し、チェチェンへと
向かった。ところが途中でロシア内務省の特殊部隊に行く手を阻まれた為、国境
付近のペルボマイスコエ村に逃げ込んだ。ロシア側は1月25日「チェチェン部隊
が人質を射殺し始めた」という情報を流して一斉攻撃を開始し、二日後の17日に
は「人質は既に全員射殺され、一人も生存していない」と決め付け、ミサイル攻
撃まで行い、村に生存していた人間全てを無差別に殺戮するという暴挙に出た。
ところが、ロシア側の流した情報は真っ赤な嘘で、実際には人質は生存していた
のである。ロシア側にとっては人質の生命などどうでもよかったのだろう。全員
殺してしまえば「死人口なし」であり、全てをチェチェン人の所業とすることが
できると踏んでいたのだろう。
 ラドゥーエフ部隊は、ミサイル攻撃の前に、人質を連れてロシア側の包囲網を
突破し、チェチェン領内へと逃れていた。ここで約束通り、人質を無事解放した
。解放された村人達は記者会見で、「チェチェンの武装集団と一緒に逃げなけれ
ば我々もロシア軍に殺されるところだった。我々はロシアに裏切られた」と怒り
を込めて語った。

 諸民族のエスノナショナリズムの無制限な容認は、ミクロ・レベルの国家の
乱立につながり、地球規模の無秩序を招くことになりかねない。
 こうした危機を回避するには、各民族の相対的な自治権を認める一方で、地域
ごとに安定した連邦体制を形成していく他に道はない。多民族混住地域はどこで
も、「文明的同居」の模索をしなくてはならない。

 ロシア大統領評議会の故ヴォルコゴーノフは、生前に、ドゥダーエフ大統領の
提案を携えた使者が、チェチェン侵攻直前の97年11月にモスクワを訪れた事実を
明らかにしている。提案は、ロシアがドゥダーエフ政権の正統性を承認すること
を条件に、ドゥダーエフ側もチェチェンがロシア連邦に編入されることに合意す
るという内容だった。大統領評議会はその方向での解決を勧めたが、エリツィン
はこの提案を拒み、チェチェン問題の平和的解決の芽をつぶして、武力行使に
踏み切ったのである。

 ロシア軍は攻撃を停止していると毎日のようにコメントを出す一方、
チェチェンにおけるロシア軍の「戦果」が報じられている。
 チェチェン人は自国民であり、チェチェンは自国の領土だと言いながら、
公然と続行される無差別殺戮。
 こうなると、もはや欺瞞は欺瞞ではないし、嘘はもう嘘ではない。
真偽の二項対立は崩れ、言葉は全く意味をなさなくなってしまう。

「あらかじめ裏切られた革命」   
岩上安身(講談社文庫)1500円(2000年発行)