著者はバサーエフ、マスハードフ大統領と直接インタビューしている。
 (99年11月)

 <今回の戦争のきっかけになったダゲスタン侵攻の真意は何か>
「ロシア軍がダゲスタンの三つの村を包囲して村民を虐殺し始めたのだ。彼らを
 助けるためにわれわれは駆けつけ、住民をロシア軍の包囲から脱出させること
 ができたのだ」(P.122)と、バサーエフは答えている。

 著者の林氏も「ロシア側の挑発だった可能性が高い」(P.26)と述べている。

 ロシア軍の行動が、もし仮に百歩譲って、『挑発』だったにせよ、ロシア連邦
ダゲスタン共和国にチェチェン側が先に軍隊を越境させたという事実は何ら変わ
らない。

 第一次チェチェン戦争を終結させた96年8月の「ハサビュルト和平合意」を
チェチェン側が先に破ったという歴史的事実に何ら変わりはない。

 当時野に下っていたとはいえ、バサーエフは、97年4月、チェチェン筆頭第一
副首相、98年1月首相代行も務めた。
 チェチェン政府高官という公的立場にいた人間でもある。チェチェンの国家と
しての責任というものがあると思う。

 また、他国のイスラム教徒を助けるという論理なら、チェチェン内のロシア人
数千人が誘拐され、迫害されていたのだから、ロシアがチェチェン内のロシア人
を助けるためにチェチェンに軍隊を送っても、同じ論理構造になってしまう。

 第一次チェチェン戦争を起こすロシア側の原因は、多民族国家ロシア連邦の
分裂を防ぐという要因と、カスピ海石油パイプラインがチェチェンの首都グロー
ズヌイを通っていたという要因があったと思う。
 この石油パイプラインは当時のロシアの国家戦略の根幹の一つを占めていたと
思う。だからこそ、チェチェン迂回ルートを建設していた。(2000年完成)
 チェチェンのダゲスタン軍事侵攻は、この迂回ルートまでをも脅かすものだっ
た。チェチェン側に、その意図があったのか、なかったのかにかかわらず、ロシ
ア側がそう受け取ったとしても、その責任はある。ロシアの国家戦略の根幹の
一つを脅かすという行為であるという認識があろうとなかろうと、客観的には
そういう意味を持つ。

 第二次チェチェン戦争の発端はチェチェン側にあったと私は思う。


 <チェチェンにはいくつもの武装勢力が存在し、マスハードフ大統領は掌握
  していないとロシアは指摘しているが>
「確かに武装勢力は存在している。働き口のない人で、私が彼らを押さえ込もう
 としたらロシアは侵攻を早めただろう。私に従った勢力もそうでなかった勢力
 も、今では『俺たちは大統領のもとでロシアと戦うつもりだ』と言ってくれて
 いる」(P.127)とマスハードフ大統領は答えている。

 「私が彼らを押さえ込もうとしたらロシアは侵攻を早めただろう」とはどう
いうことだろうか? 
隣国に軍事侵攻したことに対してどう責任を取るつもりなのだろうか?
96年8月の「ハサビュルト和平合意」をチェチェン側が先に破ったことにどう
対処するつもりだったのだろうか?
軍事侵攻した者達を処罰するつもりがないということだろうか?
予想されるロシアの反撃に対して、チェチェンを戦争へと導くつもりなのだろう
か?
 もしチェチェン民衆をロシアとの戦争に導きたくないと言うのなら、軍事侵攻
した者達を断固処罰するべきではなかったのか?

 チリユルト村、北コーカサス最大のセメント会社の副企業長は、村の市民防衛
隊の司令官になり、息子と共に闘っている。彼は言う。
「かつて独立宣言をしたドゥダーエフ大統領のような国民を統合する求心力が
 今はない。今のマスハードフ大統領は、ロシアのいうことも聞き、イスラム
 過激派のいうことも聞き、あれこれと聞きすぎた。確固とした政策がなかっ
 た、、、」
「われわれが民主的な選挙で選んだ大統領だ。われわれにも責任があるから彼を
 支えなくては」

「かねてからチェチェン内での事態を憂慮していた西隣のイングーシのアウシェ
 フ大統領は、もしチェチェンを「野蛮な秩序の洞窟共和国」にしたくないなら
 、マスハドフは「鉄腕」をふるい「独裁」を発揮するべきだ、と反政府武装勢
 力の取り締まり強化と秩序回復を訴えていた。
 マスハドフがバサエフ野戦司令官らに手を出せないのは、内戦を回避するため
 だ、というチェチェンの民族的な背景事情がある。「血の復讐」による民族の
 自滅を防ごうとすることからくる彼の「弱さ」、ジレンマと理解すべきだ。
 アウシェフ・イングーシ大統領は、このジレンマを断ち切ることを提案してい
 る」(「ロシア・CIS南部の動乱」徳永晴美著(清水弘文堂))

 マスハドフ大統領派と反大統領派との二重権力状態。つまり「内乱」一歩手前
の状態であった。
 伝統の「血の報復」もあり、両者は武力衝突はしなかった。
99年8月、その代わりに、隣国ダゲスタンに武力侵攻、イスラム国家建設を宣言。
このことは、マスハドフ大統領派は、それを阻止する力は無かった、つまり
全チェチェンを掌握してはいないことを露呈したものだと思う。
 しかも、ダゲスタン侵攻にマスハードフ大統領は反対だったと思うが、だから
といって、チェチェン大統領として当然責任は問われると思う。

 チェチェンが独立国家だと言うのなら、隣国に軍事侵攻したことに対して、
大統領としてどう責任を取るつもりだったのか。
軍事侵攻を行った兵士達を武装解除し、拘束し、逮捕し、裁判にかけ、処罰し、
ロシアと国際社会に謝罪し、二度と起こさないようにする、その実績を示す責任
があったと思う。
 マスハードフ大統領が、何を考え、どう実践したのか、どう実践できなかった
のか、何故できなかったのか、私は知らない。
 私が知らないだけで、事実は、マスハードフ大統領は、色々と努力したのかも
しれない。
 しかし、努力したけど駄目だったでは責任をとったことにはならない。
武装解除し逮捕しようとしたが、銃撃戦になりできなかったのかもしれない。
現実はどうだったのだろう、是非知りたいと思い、色々調べているのだが、
今の所、分からない。もし知っている方がいれば、是非お教え願いたい。

「チェチェンで何が起こっているのか」
 (高文研)1800円+税 (2004年3月発行)