「この戦争は結局のところそれを遂行している者すべてにとって好都合なもの
 なのだ。それぞれが自分の持ち場を得ている。契約志願兵は検問所で賄賂を
 四六時中手に入れている。将軍たちは予算に組まれた「戦争」資金を個人運用
 する。中間の将校たちは「一時的人質」や、遺体の引き渡しで身代金を稼ぐ。
 下っ端の将校たちは「掃討作戦」で略奪する。そして全員合わせて(軍人+一
 部の武装勢力が)違法な石油や武器の取引にかかわっている。」(P.258)

 女史はモスクワの新聞社の評論員。劇場占拠事件では、チェチェン武装勢力側
から、交渉人の指名を受けた。

 この本は、チェチェンの一般市民(チェチェン在住ロシア人市民を含む)の
証言集とでも言うべき稀有の書だと思う。

 チェチェン武装勢力に対して一言も肯定的な言辞を呈していない。

 ひたすらチェチェンの一般市民の声を書き留めている。

 チェチェンの一般市民といっても、その置かれている立場、状況、どの局面・
時点での証言かで、千差万別だと思う。
 同じ人でも、時期が違うと考え方も変わっていくようだ。

 私が個人的に感じた特徴的なことは、

 チェチェンの一般市民達は、イスラム教ワッハーブ派のことを、「あごひげ」
と呼び、毛嫌いしている人達がほとんだだったということ。
 チェチェンのイスラム教は18世紀からのもので、それまでの土着宗教と融合
したスーフィー派だった。
 サウジの国教であるワッハーブ派自体が危険思想なのではないが、いわゆる
イスラム教原理主義過激派は、この厳格さを徹底し、イスラム原理主義を唱えて
いる。
 チェチェンでも、年配の世代はあくまでもスーフィズムを信仰し、若い世代に
イスラム教原理主義に傾倒する者が増えているようだ。
 親子間でも宗派を巡って断絶が起こり、勘当することもあるという。

 第一次チェチェン戦争では、ほぼ全民族が結束してロシアと闘い、勝利した時
と比べ、第二次チェチェン戦争が始まって最初の1、2年は、民族の誇りとプラ
イドを持っていた人々も、徐々にそれを失っていったと書かれている。

 もう何年にも亘る『汚い戦争』により、一般民衆は、日々の生活に疲れ果て、
民族的尊厳を誇るという次元はもはや過去のものとなってしまったかのようだ。

 また、多くのチェチェン市民は、独立派武装勢力に対しても冷笑を浴びせかけ
る人が多いように感じた。

 バサエフやマスハドフに対して、もはや何も期待していないかのように私には
感じられた。

 ちなみに、著者のアンナ・ポリトコフスカヤ女史は、北オセチアの現場に
向かう途上で、何者かに毒物を盛られ、現在重体で入院中。

「チェチェン やめられない戦争」
アンナ・ポリトコフスカヤ著 NHK出版 2400円+税 2004年8月発行