http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/hardtalk/4888294.stm

<米軍のイラク駐留に関して、いつ見解を変えたのですか>

「現在進行形の革命が進んでいるのだと私は思います。
元々何となく疑問はありましたが、現地で任務に就いている時に、
アメリカは占領、侵略をしているのだと確信しました。
任務の半分くらいが終わった時に、即時撤退すべきだと確信しました」

<そう考えるようになったのは、何が起きたからですか>

「いくつかの出来事がありましたが、
大量破壊兵器が存在しないことが明らかになりました。
2004年1月にイラクに入りました。嘘があったと感じました。
9.11委員会のレポートがあがろうとしていました。
それで疑わしいと思うようになったんです。
アメリカの標的になって無実の市民が大勢犠牲になっていました。
私達はここにいてはいけないと感じたのです」

<仲間に標的にされたのですか>

「故意にではありませんが、都市型のゲリラ戦ですから、
敵は民間人の格好をしています。
そういうことで市民が犠牲になっていました。
兵士達は反乱勢力の犠牲には涙を流しませんが、
多くの人が市民の犠牲には心が揺れました」

<貴方はイラクにいた一年の間、狙撃兵でした。
その典型的な一日を説明してもらえますか>

「砂漠の自動車道路を守る任務でした。
道路脇に罠がないか、ゴミなどが落ちていないか探します。
長い道路を監視する役目です。
運が良ければ道路脇に爆弾を仕掛けた者を捕まえることができます。
この他にも迫撃砲などを撃つ者達を捕まえました。
一週間に二度捕まえたこともあります。
偵察も私達の任務でした」

<部外者にとってイラクについて理解しにくい部分があります。
多くの民間人が戦いの巻き添えになる可能性があるということなんですが、
説明してもらえますか>

「普通、敵の方が攻撃を仕掛けてきます。
待ち伏せ攻撃や道路脇に爆弾を仕掛けたりということです。
ハンビー四輌でパトロールするのが普通ですが、
遠くに光が見えることがあります。
家の近くで見えることが多いのですが、
私達はロケット砲にあたらないようなスピードで
スペースをおいて走っています。
そして誰かが閃光を見ると、リーダーに報告し、
車を止めて、機関銃を撃ちます。
口径の大きな機関銃を撃ちますが、そして私達は装甲車から出ます。
普通は安全な装甲車からは出るものではありませんが、
装甲車から出て、撃ちます。
そして相手の銃弾がなくなるまで、撃ち続けます。
その内、撃つのを止めて、互に何を見たか顔を見合わせるようになるんです。
誰かが何かを見たんで、という話しになります。
誰かが待ち伏せになる場所を探していたんです。
そしてその家に行って、中を捜索すると、家は閉め切っていて、
子供など、紛争に無関係な民間人がいるんです」

<どのくらいの頻度でそのようなことが起きるんですか>

「かなりよく起きますね。都市型の戦いですから、
何か脅威を感じた時、兵士であってもパニックを起こすんです。
そこに無い物や、そこにいない敵がいると感じることもあります。
それは民間人が逃げ出しているのかもしれません。
道路脇に仕掛けられた爆弾に攻撃された兵士が、敵がいないので、
攻撃する相手がいないと激怒し始めたこともあります」

<貴方の言うことを聞いていると、
そういうことが起きるのは回避できないようにも聞こえるんですが>

「もちろんそうですね。個々の兵士や司令官の責任ではありません。
そういう情況に置かれるべきではないということなんです。
これはゲリラ戦であって、通常の戦闘は通用しません。
戦術が間違っているのです」

<こんなことをするべきじゃない、命令には従わない
という選択はできなかったのですか>

「そういうことも考えましたが、自分は同時に兵士でもありました。
軍に参加することを一旦決めたんです。
アメリカの大部分が戦争を支持していました。
私もアメリカがどうすべきか意見を持っていましたが、それは命令に従わず、
戦争に行かないという選択ができるという意味ではありませんでした」

<しかし貴方や仲間の兵士は、戦術について考え直すことはなかったんですか。
イラクに行ったことはおそらく正しいことだとして、
しかし銃口の閃光が見えるや否や、米軍から戦闘を仕掛けるという戦術を
見直すことはできなかったのですか>

「兵士の一人一人は戦略を決めることはできません。
任務についていつも不満を言う人もいましたが、
そういうことは考慮されないんです。
殆どの人は毎日任務に出る訳ではありません。
生命の危険を冒している訳です。
殆どの人は罰が怖いから任務を果たすのです。
軍の中には個々の考えとは無関係に任務を果たすように
圧力がかかるようになっているんです」

<そのような日に基地に戻るとどうしていたんですか。
互に話し合ったのですか、それともよくやったで済ませたんですか>

「そういうことを話し合うこともありました。
私も激論を交わしたことがあります。
自分や仲間や上官のことを責め始めることもあります。
誰も何も変えられないと思うようになるんです。
政治や任務のことについて、話すことがありますが、
軍服を着ると任務を果たすことが第一になって、
それ以外は考えられなくなるんです。
軍の中には一般人の理解できない世界があるんです」

<戦術についての話しを伺いましたが、
アメリカ人兵士はイラク人をどのように扱っていたのですか>

「かなりの思い込みという要素があると思います。
引き金を引く時には敵を人間と思ってはならないと考えるんです。
自分の父親や兄弟と同じようには考えないということです。
そう思い込むことで任務を継続する為に自分を守る訳です。
そして長くいれば、イラク人を人と思わなくなります」

<命令を下す立場にある士官はそういうことを知っていたんでしょうか>

「少なくとも司令官の下の方の人はイラク人を
人間扱いしないつもりはなかったと思います。
彼らは兵士に対する責任があり、
自分達は尊い任務を果たしていると信じています。
私もそのことはすぐに分かりました」

<貴方はアブグレイブ刑務所のスキャンダルが明るみに出た時、
イラクにいましたね。
スキャンダルにかかわった米兵についてどう思いますか。
彼らの気持ちは理解できますか>

「私には殆ど理解できません。どんな感情か理解しようとしましたが、
そこまでいったのは何故か殆ど分かりません。
人間性が失われたということが大きいと思います。
仕事としてやることが求められたなら、更にその程度が進むことになります。
当事者は起訴されるべきですが、命令系統の上の方に
そういうことが行われているのを知っている人は大勢います。
軍の中では各所で勝手なことが行われて、
例えば、お手洗いに行くにも許可が必要な場合があります。
上官に常に監視されることもあります。
例外的なことなのか、それとも広く行われていることなのか、
判断が難しい所です」

<責任追及は指揮系統のどのくらいの高さまで及ぶべきだったと思いますか>

「相当高いレベルですね。アビゼイド将軍でさえ、
自分の部隊の現状は知っておくべきだと言っています。
活動が順調にいくことを担当する人間がいる一方で、
誰かが現状に気付いているべきでした。
ですから情況を知りつつ黙認したのか、あるいは問題を止めるだけの
準備やシステムが存在しなかったかのいずれかでしょう。
部隊内でもっと親密に連携を行うべきだったんです」

<駐留米軍に対するイラク人の反応がスキャンダルにより変わりましたよね>

「その通りです。お陰で活動がとても困難になってしまいました。
抵抗勢力と戦いを交えても相手は絶対に降参してはくれません。
降伏しようとしないのは、戦場で命を落とすことよりも、捕虜となって
アブグレイブのような場所に送られることを怖がっているからなんです。
抵抗勢力に参加する人間も多くなり、米軍にとっては戦いづらくなっています。
もちろん参加すること自体にも魅力がある筈ですが、
むしろ米兵が虐待という犯罪を犯すことによって、抵抗勢力への支持が高まり、
兵士の数も増えているんです」

<貴方はイラクでしたことについて恥に思うことはありますか>

「恥ずかしく思う気持ちは少しはあります。
ただ後悔したまま生きていこうとは思いません。
今の自分の生き方には大変満足しています。
将来的にはイラクでの経験をポジティブに転換することで多くの人の力となり、
自分への評価を変えていきたいと考えています。
でも今は恥かしさを少し感じますね」

<貴方がかかわったことの中に行動規範を破って、
いわゆる虐待になったと思われることはありますか>

「当時私のまわりで日常的に起きていた虐待というのは、かなり低いレベルの
ものでしたので、これこそ虐待だったと一口に言える事件は思い当たりません。
ただ扉を蹴破って入って、男性と女性を選り分け、リストをチェックしながら、
生かすか、殺すかを区別した時、
また、頭から袋を被せて印を付けた時、
こういった時に虐待は起き得るんです。
IDや通行許可を持たないという理由だけで、
また、単に人間的に嫌いだとか、暴力的に反抗したという理由から
一旦刑務所に入れば、おとなしくさせるという名目の下に、
相手を蹴ったり、引き回したりという虐待も行われがちでした。
もちろんやられるのはイラク人だけで、自分自身は安全だと分かっていても、
兵士にとっては非常に不甲斐無さを感じる瞬間なんです。
もちろんイラクには、自分の任務を果たし、正しいことを行いたい、
イラクの人の助けになりたいと考えていた兵士はたくさんいます。
でもそんなチャンスは与えられなかったんです。
政治的にはそれが赴任の理由ではないからです」

<貴方がイラクに行った政治的理由は何だと思いますか>

「それに関しては長い議論が必要でしょうね。
当時は、イラクは大量破壊兵器を保有しているとか、
フセインは9.11事件に関与していたとか、
色々な嘘がまかり通っていました。
確かにイラクの主権は取り戻しました。
しかし、例えば、ファルージャでの戦闘をみると、
レイザーワイアーで街を取り囲んで、支配するといった按配です。
そんな様子をみたら、とても民主政治や自由だとは思えないんです。
例えば、ブッシュ大統領が以前、自分の部屋でテーブルや椅子の下を見渡して
大量破壊兵器を探しているフリをする様子がありました。
ジョークのつもりだったんでしょうが、大量破壊兵器を探して、
イラクで死んだ戦友の為に敬礼をした我々にとっては、
これは神経を逆撫でされる体験だったんです。
それが簡単な政治的理由ですね」

<軍に入る兵士は国内外全ての敵からアメリカを守るという忠誠を誓います。
貴方もそうです。ブッシュ大統領はフセインは敵だと言いました。
そしてフセイン政権打倒の為に戦争に突入した訳です。
そして今ではイラクでは抵抗勢力が敵だと言っています。
そして兵士の仕事は抵抗勢力を一掃することだと言っています。
ブッシュ大統領は正しくないんですか>

「敵というのは、探せば、どこにでも見つけられるものです。
しかし戦争するには、国民や軍部からの支援を仰ぐ必要があります。
国民に脅威を与え、危険だと思わせ、襲われかねないと感じる敵を
作り上げねばなりません。
テロの虚像を生み出し、その国の人々が我々を必要としていると
綺麗ごとを並べる必要があるんです。
確かにイラクの旧体制の人々は悪人だったかもしれません。
また、フセイン氏も嫌な人間である可能性もあります。
しかし世界にはそんな独裁者はたくさんいます。
でも我々は必ずしも干渉しようとはしません。
というのは、イラク戦争には別の動機があったからです。
その動機の為に、国民を懐柔し、戦争へと向かわせたんです」

<しかし多くのアメリカ人はこう言うのではありませんか。
貴方は兵士としての誓いをたてたのに、今していることは
実質的にイラクにいるアメリカ人兵士を損ない、逆に敵を助けている。
故に貴方は裏切り者だと言うでしょう>

「馬鹿げた考えですね。
私は別に抵抗勢力の動機付けの為に活動しているのではありませんよ。
私はイラクの占領を問題だと考えているんです。
検問所を設け、一般市民に怪我を負わせ、国家を二極化させています。
私はかつて猛スピードで検問所を通過しようとした車に
発砲しかけたことがあるんです。
止まれと叫んでも、相手には英語が分かりません。
でも私は大変腹を立てて、ドライバーを窓から引きずり出して、
地面に押し付けました。
でもふと後部座席を見ると、その男性の子供が
憎しみのこもった目で私を見つめているんです。
その時、この子はいつか、父親の屈辱を晴らす為に
機関銃を手に取ることだろうとふと思いました。
そうしたことが、抵抗勢力のジハード聖戦の動機になっているんです。
私が意見を口にすることなど、重要ではありません。
私はアメリカ人であり、政府に対し疑問を突きつける権利があります。
それは愛国心から出た義務なんです。
アメリカ憲法の基盤が一体何なのか、考え直すべきでしょう」

<しかしブッシュ大統領は今から三十年後、人々は今という時代を振り返って、
民主主義という信念の為に立ち上がったアメリカ人の世代がいたことに感謝する
だろうと言っています。民主的イラクにつながるプロセスの最も困難な部分が
今だとブッシュ大統領は思っている訳ですよね>

「三十年後に振り返ったら、イラク戦争を止めようとしなかったは、
過去最悪の失敗の一つだったと思うと私は思います」

<イラク戦争反対を訴える退役軍人グループのミッション宣言として
全占領軍の即時撤退によるイラクの暴力終結とあります。
米英軍が今、イラクから撤退すると、暴力が悪化する恐れはありませんか。
今、イラクには機能する政府はありません>

「確かにある程度の危険性はあるでしょう。
でも内戦というのは、いずれにせよ起きるんです。米軍が駐留しているから、
内戦への危機を緩和できると考えるのは、傲慢な態度です。
連合軍が撤退すれば、一時は暴力が激化するかもしれません。
しかし浄化機関を設けて暴力を一掃していくしかありません。
アメリカはシーア派がフセイン政権を打倒しようする革命に
力を貸した訳ですから、これはもう既に内戦なんです。
つまり一旦は暴力がひどくなったとしても、
いずれは均衡が保たれることでしょう。
干渉したり、いずれかの勢力の味方をするのは、余計なお節介というものです。
それはアメリカの目標でも、外交政策の一環であってもいけないんです」

<貴方は帰国後、そのような発言をするようになりました。
アメリカ人は貴方の発言にどんな反応を示していますか>

「反応はまちまちですね。
もちろん大統領に信を置きたいと願う人もたくさんいます。
崇高な目的があり、正しいことを行っていると、
無理からでも信じ込もうとしているんです。
しかし、私が話しをした人の大部分は、
君の言うことは正しいと言って、元気付けてくれます。
私を支援し、運動に参加してくれる人もいるんです。
アメリカ社会では今、イラク戦争を支持しない方に
流れが変わってきていると思いますね」

<ベトナム戦争の時のように、戦争体験を理解してくれない社会を相手に、
多くの帰還兵が困難な体験をしています。
貴方自身社会に再び適応するのは難しいですか>

「イラク戦争反対運動に参加する迄は、確かに困難も感じました。
今では私の意見を理解してくれる人に囲まれていますし、
経験を分かち合える元軍人もいて、一緒に声を大にしています。
自分がかつては間違ったことをしていたと認めることが、
かえって私にとっての力強い武器になっているんです。
今では違った人間になり、イラクでの経験を通して、
過去の過ちを修復することを可能にしてくれました。
つまりこの運動は私に力を与えてくれますし、生きていけるんです」

US veterans against War in Iraq :(HARDtalk)BBC