「イラク開戦から三年、イラク南部では何が起きているのでしょうか。
内戦突入瀬戸際の今、イギリス部隊と十日間を共にしました。

その間に英兵二人が死亡。
私達は彼らの最後のパトロールを映像に収めていたことになります。
このように新たに命を落とす価値はあるのでしょうか。
イギリス部隊をいつ帰国させることができるのでしょう。

バスラ中心部の英軍基地パノラマは三年前にイギリス部隊がイラク南部を
侵略した際、ヒュージリア連隊のズールー歩兵中隊を取材しました。
ここはバスラでも最も危険な所で、エイドリアン・ギャラガー軍曹が
歩兵中隊に新しく参加した兵士達に訓示を垂れます。
(Sergeant ADRIAN GALLAGHER:Zulu Company Royal Fusiliers)
『今到着したばかりの君達は今すぐに成長しなくてはならない。
甘ったれた態度では話しにならん。
今、私の下で任務に当たっている兵士達は、
ここバスラに到着して以来、この四か月で大きな成長を遂げた。
極めて優秀な兵士達で、まさに一夜にして少年から大の男に生まれ変わり、
日夜テロと戦っているのだ』

2月22日、いつもと変わらぬ朝でしたが、基地の外には、
気が立った群集が集まり始め、監視塔の兵士らが慎重に動きを見守ります。
ここから数百キロ北のサマラでシーア派の聖廟が
スンニ派抵抗勢力に攻撃されたのです。
報復を求める感情が高まる中、内戦勃発の懸念が広がります。
バスラの住民達は宗教指導者の呼び掛けに従い、大規模な抗議デモを始め、
その数はあっという間に数千人に膨れ上がります。
スンニ派のモスクに次々に火が放たれるなど、報復は既に始まっていました。
英兵は銃ではなく、暴動鎮圧用の装備を身に付け、待機します。
バスラの住民が果たしてイギリス部隊を攻撃してくるかどうか、
予測はつきませんでした。
部隊は基地で待機するよう命じられます。
イスラエルとアメリカを罵る横断幕は見られても、
イギリスを非難するものはありません。
イラク警察と軍が通りの秩序を保ちます。
二時間後、デモは平和裏に終わりました。
基地の生活はいつも予想がつかず、糸がピンと張り詰めたようです。
三年前と雰囲気は全く違います。
ズールー歩兵中隊の司令官ジョン・ストット少佐に
駐留に対する住民感情について伺いました。
(Major JOHN STOTT:Commander Zulu Company Royal Fusiliers)
『半々ですね。住民の半分はもしイギリス部隊が撤退したら、その空白を誰が
埋めるのか、警察は準備ができているのかと心配して駐留継続を求めています。
でもあとの半分はこれまでのことは感謝するが、もう撤退していい時期だという
意見です』

ズールー歩兵中隊の兵士が三年前の映像を観ています。
バスラ入りした部隊が温かく迎えられています。
『ギャラガー軍曹は2003年にここに来て、2004年に帰国した後、
また赴任しましたね。どんな違いがありますか』
『今はもっと緊張感が漂っています。国民は今では民主主義の洗礼を受けて、
自分の意見を自由に発言するようになっていますしね』
『アロウェイ中尉はバスラでイギリス部隊への敵意を直接経験していますね。
簡易爆弾で重傷を負われたんですよね』
(Lieutenant DAVID ALLOWAY:Zulu Company Royal Fusiliers)
『それ程の重傷ではありませんでしたよ。頭に小さな破片が当たっただけです。
私達は重装備ですし、装甲車が守ってくれました』
『ここはバスラの真ん中で様々な危険にさらされていますよね。
現在の住民感情に神経質になりませんか』
『いいえ、私達は概ね一般住民には好かれていますからね。
石を投げたりするのは、極一部に過ぎません』

しかしサマラの聖廟が攻撃された翌日、
イラク人は連合軍ではなく、お互いを攻撃し始めます。
国が騒乱状態に陥る中、報復攻撃で百人以上が亡くなりました。

(JANE CORBIN)
『私はイラクへは何度も来ています。この三年で七、八回来ているでしょう。
今のこの情況は私の目から見て、とても危険に思えます。
手に負えない情況に陥るとずっと以前から皆が心配していたことです。
シーア派とスンニ派の衝突です。
暴力に対し暴力で応える事態が起きればどうなるか、
それはこの24時間に起きたことをみれば分かります。
つまり暴力が際限なく広がる危険があるということです』


ジャファリ首相に会う為、バグダッドのグリーンゾーンに飛びました。
ヘリは攻撃を避ける為、閃光を発し、機体を傾けて急カーブを切ります。
連合軍はイラクに民主主義をもたらしたかもしれませんが、
イラクの政治家はいまだ新しい政府を樹立できていません。
グリーンゾーンの外で続く暴力を抑えるには、
外国部隊に頼るしかないのが、現実です。
(IBRAHIM JAAFARI:Iraqi Prime Minister)
『私達は国内、そして地域全体のテロと対峙しているのです。
たとえばサマラで起きたような破壊行為を阻止するには、
治安体制の強化が欠かせません。
つまりイラクの治安部隊をできるだけ早く充実させなくてはならない
ということで、その為に私達はより一層の努力をする決意です。
現在の治安情況から多国籍軍の駐留延期が必要だということになれば、
我々自身で対処できるようになる迄、撤退は要求しません』

(Dr JOHN REID MP:Defence Secretary)
『私達は民主主義と治安部隊を確立するのを助ける為に
イラクに駐留しているのです。
それが実現すれば私達の役目は終わりです。
必要とされる限り、駐留するだけで、帝国主義的目的がある訳ではありません。
イラク国民が無事に民主主義と治安部隊を築くことができれば、
私達も部隊を撤退させることができるんです』

現在イラクには、イギリス人兵士八千人が駐留しています。
イギリス部隊が管理する四つの州は、イングランドとウェールズを
合わせた面積に相当し、イラク人口の二割がここに住んでいます。

第七機甲旅団はバスラを制圧した時、
三年後もまだここにいるとは思ってもいませんでした。
(Brigadier PATRICK MARRIOTT:Commander,7th Armoured Brigade)
『2006年にもここにいるとは誰も予想していなかったと思います』
『何故今もここにいるのでしょう』
『これ程複雑な問題に直面するとは
おそらく誰も思っていなかったのだと思います。
フセイン政権がどのような悪事を働いたか、
それにより国民にどのような被害がもたらされたかを
理解していなかったと思います。
30年にわたる圧政によりイラク南部はすっかり変わり、
民主主義をもたらすことが難しくなってしまったのです。
人々は自由を手にしても、それをどう使っていいのか分からないです』

英軍は第一段階として、現在管理下にある四つの州の内、
二つから部隊を撤退させる計画です。
その一つが我々の眼下にあるメイサン州です。
これから飛行場に向かいますが、ここはしばしば攻撃の対象になります。
英兵の犠牲者の数が一番多いのがメイサンです。
飛行機を迎える為、チャレンジャー戦車が送られます。
着陸と同時に積荷ベイが開きます。
ここはイランとの国境に近く、対立するシーア派民兵組織同士の戦場と
なっており、監視役のイギリス部隊がとばっちりを受けることもしばしばです。
メイサンからの撤退計画の成否が
連合軍の撤退計画の将来を占うと言っても過言ではありません。

『イギリスがアメリカより先に撤退することは可能でしょうか』
(Dr JOHN REID MP:Defence Secretary)
『イラク全土が全く同じ情況ということはありえません。
米軍はかなり難しい地域を受け持っていることは事実です。
任務の引渡しは、ほぼ同時期になるとは思うものの、
どの地域も同時にということにはならないでしょう』

アラマラは、この独立した部族地域の中心的な街です。
住人は三年前、自力で自らを解放しました。
占領軍は歓迎されません。

二年前、暴動の後、イギリス部隊がイラク人を殴っている所が
撮影されたのは、ここです。
この映像は最近公表され、議論が沸騰しました。

今、アラマラでイギリス部隊の先頭に立っているのが、
ザ・ロイヤルスコッツ近衛竜騎兵連隊で、
最近では、新しい州議会とイラクの警察、軍に街の運営を任せるなど、
新しい試みに出ています。完全撤退へ向けた一歩です。

権力委譲に弾みをつけるべく、軍高官が現地に飛びます。
州議会は協力を取り下げると警告していましたが、本気ではないようです。

イラク駐留英軍総司令官が地域担当の司令官を後押しする為、
アラマラ入りしています。
クーパー少将訪問を受け、知事、州議会の代表、警察署長が一堂に会し、
建設的な話し合いが行われています。
会議は成功で、事態は改善に向かっているようです。
間もなくイギリス部隊は、治安の責任を
イラク人に引き継ぐことができるかもしれません。

しかし、地域の部族マーシュ・アラブ族の長
アブドル・カリム・アル・ムハマダウィさんは、
実際には、いかに一触即発の情況にあるかを承知です。
(ABDUL KARIM AL-MUHAMMADAWI:Tribal Leader,Marsh Arabs)
『街は統制がとれていないから、暗殺事件が起きるんです。
混沌とした状態です。
外国軍に撤退を要請する時は、誰が英軍や多国籍軍から
治安責任を引き継ぐか考えなくてはなりません。
警察か、イラク軍か、武装した政治民兵か、
あるいは州議会、州知事なのか、それがここの大きな問題です。
今は規律がありません。イラク軍は情況を掌握していません』

この言葉は翌朝、地元警察に護衛され、
英軍の車輌で街の中心部を通った時、痛感しました。
力を持つ民兵のリーダーは、連合軍の撤退を求めています。
州議会からは私達が予定通り取材に来ても、
市庁舎内での安全は保証できないと警告されました。

私達はイラク警察と軍が、英軍と調整を図る共同作戦センターに行きました。
パラシュート連隊のチームと会います。
リチャード・ホームズ大尉の班は、ここの常連です。
地元警察との連絡役です。
(Captain RICHARD HOLMES:2nd Battalion The Parachute Regiment)
『ここが街です。この建物は警察本部です。
通常はとても静かで安全な地域です』
『危険なのは』
『特定するのは難しいですね。アラマラはかなり落ち着いたし。
でも常に不安定な地域が存在します。だいたい少数派の地区です』

『警察の建物を出て、パラシュート連隊と共に、巡回パトロールに出ます。
街の様子を肌で感じるチャンスです』

これから30分後、ホームズ大尉とエリス二等兵が、
アラマラの通りで死亡することになると誰が予想したでしょう。
二人にとって最後となるパトロールの映像は遺族の同意を得て放送しています。

いつもと変わらぬ朝でした。
『平静そうですね』
『ここに来て四か月になりますが、地元住民は友好的で、歓迎してくれます』
民間防衛会社の建物でホームズ大尉は
習ったアラビア語を使って地元の人に話し掛けます。
ホームズ大尉は地元警察の訓練が
武器の押収という結果に繋がっている様子を見せてくれました。
『これは何ですか』
『107型カチューシャ砲です。
アブ・ナジ・キャンプ砲撃に使われているロケット砲です』
『英軍基地に飛んできた訳ですね』
『そうです。イラク警察が非常線を張り、
民間防衛会社が安全処理をして、持ち帰ってきた武器です』
『ここの端にあるのは』
『対戦車地雷です。農村部には地雷が散らばっていて問題になっています。
比較的簡単に自家製の爆弾装置に改造できるので、
それを使って地域を不安定にしようとする人達がいるんです』
『連合軍を攻撃し、地域社会を攪乱する訳ですね』
『連合軍を直接狙っている訳ではないようです。
武器の安全処理と押収は我々ではなく、イラク人がやっています』

通りに戻りました。緊張が高まっているようです。
ホームズ大尉は私達を巡回車輌に導きます。
パニック感はなく、あるのは静かな緊急性です。
130m程歩きましたが、護衛隊は明らかに心配しています。
長居はできません。街の感触を得るのは困難です。
大丈夫な感じもしますが、アラマラはかなり危険な所で、
予断は許せません。出発することにしました。
街の近郊を目指します。
パラシュート隊は違うルートで基地への帰路につきました。
街の近郊では重装備の兵士が待っていました。
必要以上に留まりたくありません。
基地に近づくとヘリがアラマラ方向に飛び立ち、
重装備の兵士と戦車が緊急発進していました。
何かが起きたことは確かでした。
道路脇の爆弾で基地に戻ろうとしていた英軍車輌が吹き飛ばされたのでした。
兵士が死傷者を救出しに行った所、
今度は地元イラク人に石と火炎瓶で攻撃されました。
ホームズ大尉とエリス二等兵が死亡したことを司令官から知らされました。
(Lieutenant Colonel BEN EDWARDS:Commanding Officer;
Royal Scots Dragoon Gusrda)
『この近くにある作戦室からの情報で詳細が分かりつつあります。
しかしこれで我々の任務が軌道を外れることはありません。
これからの一週間で街中にいる全員が認識するよう確認します』
『貴方の部隊への影響はどうですか。二人死亡したことは大きな打撃ですよね』
『ええ、でもこれが初めてではありません。
冷酷に聞こえるかもしれませんが、ここの皆は覚悟しています。
対処の仕方も知っています。一人で静かに過ごす時間が必要です。
そのスペースを与えます。でも同時にそれに惑わされない決意もしています』

英軍は報復することなく、起きたことを受け止めなくてはなりません。
(Major General JOHN COOPER:Commanding Officer Multi-National Forces,
South-Eastern Iraq)
『ホームズ大尉とエリス二等兵の死は悲劇です。
でも惑わされることはありません。我々は武力で勝り、民主化も進んでいます。
民主的方法がなかったり、自分の思い通りにならない時、
人々は暴力に訴えようとします。
イラクではしばらく続くでしょうが、どうにもならない情況ではありません』

(Dr JOHN REID MP:Defence Secretary)
『人が亡くなることは悲劇です。
死亡した英兵の近親者に手紙を書かなくてはならないのは私です。
だからいかに悲劇であるかよく分かっています。
亡くなった兵士は皆その家族とこの国にとって尊い存在です』

イラク南部で英軍を殺害しているのは誰なのでしょうか。
バスラの英軍基地が夕刻、迫撃砲の標的となりました。
基地で過ごした四日の内、二日攻撃を受け、避難しなくてはなりませんでした。

『驚くばかりです。イラク侵攻から三年経ちますが、
バスラではいまだに英軍が攻撃されています。
犯人はシーア派か、抵抗勢力か、民兵か、
誰であっても英軍の駐留を望まない勢力です。
幸運にも迫撃砲が命中することは稀です。
英軍への嫌がらせのようです。
人々は懐中電灯を持って、テントからテントを回り、無事を確認します。
また、周辺への着弾情況も調べます。
私達は安全が確認される迄、中にいるようにと言われました。
南部は他の所程、スンニ派とシーア派が対立している訳ではありません。
敵を特定するのは困難です』

(Brigadier PATRICK MARRIOT:Commander.7th Armoured Brigade)
『何故英軍が狙われるのか、理由は色々あるでしょう。
我々が政治民兵を拘束して勢力が削がれたことへの報復、
あるいは撤退して欲しいから、上からの命令で動いているのかもしれません。
断定できません』
『英軍が問題の一部になりつつある危険性が出ています。
権力闘争の板挟みになっています。英軍がここに駐留する限り、
彼らの怒りと暴力の矛先を向けられます』
『問題を理解しない限り、自分が問題の一部になる危険があります』

問題は民兵です。
フセイン時代の抵抗戦士の多くが、今では政党の軍事部門に属しています。
連合軍が育む新民主主義の中で、民兵は拷問、殺害を行っています。
英兵を殺害しているのも彼らです。
しかし民兵は政治的リーダーの傘下にある為、英軍は報復できないでいます。

(Councillor Dr HAMID AL DHALIMY:Basra Provincial Council)
「軍事部門を持っている政党もありますが、
それらの軍事部門が外国軍をどの程度攻撃しているのか分かりません。
攻撃しているのは別の勢力で外国軍と民兵の間の緊張を作り出す為に
犯行責任を軍事部門や民兵に押し付けているだけかもしれません」

ホームズ大尉とエリス二等兵は、政治に関わる民兵の
分派組織による攻撃で死亡したものと思われます。

『兵士を殺害している民兵の一派と何故交渉を続けるのですか。
問題解決になるのですか』

(Dr JOHN REID MP:Defence Secretary)
『私達は長年の経験からどんなマイナス面があるにしても、
現実の世界、現実の人々を相手にしなくてはならないことを学びました。
部族関係や歴史、またその国の遺産に関わらずです。
理想論は通用しません。
どんな欠点があっても今日の現実に対処しなくてはならないのです。
そしてその現実は数年前よりずっと良くなっています』

しかしイギリスの忍耐も限界があります。
昨年9月19日、バスラの警察に民兵が潜入していることを
浮き彫りにする事件がありました。
英特殊部隊の二人が警察のゴロツキ分子によって人質にとられたのです。
戦車が警察署に突入し、兵士は解放されました。
イギリスは以来、テロの脅威とみなす警官を拘束しました。
これに反発した州政府は、英軍への協力を中止しました。

(Councillor Dr HAMID AL DHALIMY:Basra Provincial Council)
『拘束者が必ずしも犯罪者とは限りません。
何も悪いことはしていないかもしれません。
イギリスは捜査して、証拠を示すべきでした。
何故全て秘密にするのでしょう。
罪があれば有罪にする、証拠がないのであれば釈放すべきです。
イギリス次第です』

ズールー歩兵中隊がバスラの夜間巡回パトロールで、
管轄地域にある八つの警察署の内の一つを訪問します。
通りは不気味です。二日前にはサマラの聖廟が攻撃され、
イラクでは流血の事態が続いています。
バスラの大半の人は家で喪に服しています。
緊張しましたが、実際に人々に会ってみると
恐れていた反応ではありませんでした。

『イギリス人だ』
『イギリス人?』
『もちろんそうだ』
『マイケル・オーエン? ベッカム?』

スコット少佐は地元住民がパトロールに加わるよう説得したいと思っています。
教育はヒュージリア連隊の主要な目的です。
『右手の建物に知事の事務所が入っています』
『これですね』
『この上です』
『州知事ですか』
『そうです』

州議会の協力停止によって、地元警察と英軍の関係は悪化しました。
しかし少佐は警察署を訪れて、関係修復を図ります。

『今晩は』
イラク警察の司令官と面会できることになりました。
『サラーム はじめまして』
『イラク警察から四、五人出してもらって合同パトロールができませんか』
『いいですか、素晴らしい』
州議会の協力停止は建前だけだったようです。
『司令官との面会の首尾はいかがでした』
(Major JOHN STOTT:Commander Zulu Company Royal Fusiliers)
『思いの外良かったです。元々友好的な人でしたが、歓迎してくれたし、
合同パトロールにも賛成してくれて、予想以上の成果です』

ところが全ては御破算に。
『誰に聞いた』
『指揮官の一人です』
『今からお会いしに行くと伝えろ』

『どうしました』
『さっきは喜んでいましたが、情況が一変しました。
その若い司令官が電話を受け取って、
合同パトロールはできないことになったんです』
『上からの指示ですね』
『命令のようです。でも今じかに見てもらったように、
下のレベルが英軍との友好関係を求めているのは事実なんです』

民主的に選ばれた州議会がバスラにできて三年になります。
英軍との正式な関係は依然ありませんが、水面下の交渉はあります。

バスラでの一番大きな問題は、地元警察は市民を守れるのかということです。
バスラ警察にはフセイン時代の残虐で腐敗したイメージがありますし、
現在も部族政治の影響が強く残っているからです。

イラクで民兵に対抗するだけの力と高潔さを備えた警察が
できない内は、英軍のバスラ撤退はあり得ません。
バスラの警察学校では、イギリス人将校が二万人の新人警官を養成しました。
これから二万四千人を訓練します。
科学捜査の基礎を教え、警察官としての心構えを変えようとしています。
『何かをみつけた、おそらく武器だ』
『押収して袋に入れる』
(Superintendent IAN ELDER:Director,Basra Police Academy
『訓練していると、部族問題がいかに根深いかが分かります』
『イラク国民というより、部族意識の方が強い、
部分的にしか忠誠心がないという訳ですね』
『そうです。警官がある者を捕え、その人間が別の部族だったりすると、
報復を恐れて逮捕しない場合が多いんです。逃げる方が簡単だからです。
法の統治が機能していないんですね』

イギリスも学習しました。
最初はイギリスの警察を模範にしようとし過ぎて貴重な時間を無駄にしました。
今ではもっと準軍事的な警察ができつつあります。
党派間の紛争なら経験のある北アイルランドの元警察官がイラク警察の教官です
しかし新規採用者の質、汚職、民兵の侵入など問題は山積みです。

(Colonel ABDULLAH ABDEL BAKI:Dean,Basra Police Academy
『バスラの警察は腐敗しています。
汚職を一掃する為にクリーンな新しい警察の青写真が必要です』

(Superintendent IAN ELDER:Director,Basra Police Academy
『まだまだ道のりは長いですよ。
英軍駐留の間にイラクの警察が改革されるなど最初から思っていません。
30年はかかるだろうと私は思っています』


他にも長い時間が掛かるものがあります。
長年戦火を交えてきた隣国イランとの敵対関係です。
国境付近には、長い湿地帯が広がります。
国境線を示す要塞が所々にあるだけです。
イランは長年この地域で影響力を行使してきました。
英軍に訓練されたイラク国境部隊が形成されました。
イギリスはこの地域の安定化に長い間関心を持ってきました。
イランがイラク南部で何をするかを警戒しているからです。
英政府はイランが支援する民兵の爆弾攻撃によって英兵が死亡したといいます。
(Lieutenant JOSH JONES:2nd Parachute Regiment)
『向こう側はイランの監視塔です』
『同じような建物ですね』
イラク国境部隊はまだ完全に訓練された訳ではありません。
資源不足と人材の問題があります。
しかし二件手柄がありました。
英軍とイラク軍を脅かしてきた爆弾装置を押収しました。
『英軍が去った後も効果的な仕事ができると思いますか』
『全力を尽くすと思います』
『どれくらい良い仕事ができるでしょうか』
『これまでより良い仕事をするでしょう。
既にメイサンでは大規模な押収に成功しています。
七月には爆弾装置を積んだトラックを止めました。
英軍やイラク治安部隊を狙った武器でした。大手柄です』

イランが核問題を巡って国際社会との対立を深める中、
イラク南部でのイランの活動が活発になるとの恐れがあります。
英軍はあからさまに標的になるかもしれません。
『イランが将来、イラク南部に干渉する兆しがありますか』
(Brigadier PATRICK MARRIOT:Commander.7th Armoured Brigade)
『今の所その直接の証拠はありません。
国境付近で不吉な動きを示すものはありますが、直接の証拠ではありません。
しかし英首相や外相も我々同様懸念しています。
しかし現時点では誇張すべきではありません』


イラク治安部隊が自国を守れるようになってはじめて英軍は撤退できるのです。
およそ25万人のイラク兵が多国籍軍の協力によって訓練されてきましたが、
ペルシャ湾岸から25キロ沖の最も危険な地域では、多国籍軍に依存しています。
多国籍軍がイラクを侵攻した動機は石油だと専ら言われてきましたが、
油田の管理と保護権は戦後すぐイラク政府に戻されました。

しかし海上では、英海軍が主導する多国籍のタスクフォースが
イラクの最も貴重な財産を保護しています。
二つの油田プラットホームです。
抵抗勢力による攻撃を理由に北部のパイプラインが閉鎖されている為、
イラクの石油収入の九割以上がこの地域からの輸出によるものです。
つまりこれら油田プラットホームはイラクだけでなく、
世界の経済にとって欠かせないのです。

(Commandore BRUCE WILLIAMS:
Commander,Multi-National Naval Force Northern Arabian Gulf)
『この二つの油田プラットホームが攻撃されれば、イラク経済は傾き、
欧米のプライドは傷付き、石油価格も高騰します。
世界の経済にとっても、これらの保護は大変重要です』

イラクの石油は既にテロの標的になりました。
二年前アルカイダは小さな舟に爆発物を積み、プラットホームに近づきました。
接近を妨害した米兵三人は命を失いました。
『鋼鉄の輪に囲まれているようなものです。
アメリカの船だろうと、イラクのパトロール船だろうと、
沿岸警備隊だろうと、英海軍の戦艦だろうと、
ここに近づく船は徐々に警告を受ける仕組みになっています。
それでも更に近づこうという船にはイラク海軍が攻撃します』

多国籍軍の訓練を受けたイラク海兵隊は、
プラットホームの治安を守る責任を引き継ぎました。
付近の海を監視するのは、イラク海軍です。
自分達の経済的資源を確保する姿勢を示すことは政治的にも重要です。
しかし今も実際に力を持っているのは、多国籍軍の戦艦です。
イギリスのフリゲート艦モントローズは
到着して数分以内に活動態勢に入りました。
ダウという漁船三隻がプラットホーム付近の立ち入り禁止区域に接近した為、
モントローズが発砲の準備をします。
アルカイダはこのような漁船を使って爆弾攻撃を仕掛けていました。
この付近には魚が多く、危険を冒してやって来る地元の漁師もいます。
ギリギリの所でダウは方向転換しました。

『多国籍軍にとって経済の建て直しをイラクに完全に移譲するのは
まだ無理であるのは明らかです』

(Commandore BRUCE WILLIAMS:
Commander,Multi-National Naval Force Northern Arabian Gulf)
『すぐに逃げ出す訳にはいきません。
イラクの人達が秩序と希望を手にするのを確かめる迄は、ここに留まります』
『数か月、あるいは数年、どれくらい掛かるでしょう』
『全てうまくいけば、時間は掛からないでしょう』

実際、イラク海軍に最も重要な国家資源石油を守る能力が備わる迄、
数年は掛かるでしょう。
地上ではそれよりずっと早く陸軍や警察が治安の監視にあたるかもしれません。

(IBRAHIM JAAFARI:Iraqi Prime Minister)
『多国籍軍がイラクを去ることは嬉しいことです。
それはまずイラクが自らの治安を守ることができることを示します。
次に外国の力の象徴がイラクの通りから消えることになります。
同時にイラク人の感情も落ち着きます。
多国籍軍に撤退を要請する時、
恐怖の影を残して去っていって欲しくありません。
愛と尊敬を残していって欲しいです』



今回は興味深く、刺激的な旅となりました。
予想していたことを、この目で確かめただけではなく、
英軍がイラク南部で今も尊重されているという意外な事実を知ったからです。
英軍の理解や柔軟なアプローチが評価されていました。
私自身成功も悲劇も含め、軍の活動を直に見たことが印象的でした。
取材をした僅か数分後に兵士二人が道路脇の爆弾攻撃で亡くなったこと、
アラマラでは、英軍がイラク治安部隊に役割を移譲しようと
徐々に撤退しています。
英軍からも死者は出ましたが、このプロセスはもう後戻りしないでしょう。
英政府は五月迄に八百人軍を減員すると発表したばかりです。
今週二人の英兵が埋葬されました。
指揮官だったベン・エドワーズ中佐が次のように追悼の言葉を述べています。
(Lieutenant Colonel BEN EDWARDS:Commanding Officer;
Royal Scots Dragoon Gusrda)
『この機会をお借りして、
リチャード・ホームズ大尉、リエリス二等兵についてお話しさせて下さい。
我々がショックな出来事、良き友を失うという悲しみを
分かち合ってきたことは衆知の事実です。
ここに統合作戦センターの職員から送られた手紙があります。
その一部をお読みしたいと思います。
『この悲劇に際し、あなた方と悲しみを共にします。
私達は親愛なる友、心からの友を失ったのです。
一方でこのような犯罪行為を強く非難します。
神様、この兵士達に慈悲と許しを与え給え。
そして遺族の方々に忍耐と慰めを与え給え』


イラク戦争によって英兵103人、
多国籍軍全体では二千人以上
イラク人数万人もの命が奪われました。

イラクでは、いつ内戦が起きてもおかしくありません。
イラク軍は準備ができておらず、
政府もでき上がっていません。

英軍の撤退がいつになるのか定かではありません」

Exiting From Iraq ? (THE WORLD UNCOVERED):BBC