「死者は葬られなければならない。
残された者には、死者を悼む時間が
与えられなければならない」

「親しい人を失った人たちの儀式の重要性になぜ、
人々の想像力は至らないのだろうか」

2004年11月ファルージャ

「街を離れて疎開していた家族が自宅に戻れたのがようやく12月も半ばで、
それから姿の見えない家族の遺体を捜して、
遺体をきれいにして葬式の手配をして、あちこちの親戚を呼び知人を呼び、
死者の弔いをきちんと執り行う
そうしたことが、翌年一月末の選挙の時期まで続いていたはずだ、
とは、誰も考えなかったのだろうか。
 親しい者を弔うために儀式に駆けつけようにも、
道は封鎖され移動もままならない。
誇りをもって死者を彼岸に送り出そうにも、満足な資金も場所もない。
そんな環境で、死者を悼むより「選挙」を優先させよ、と呼ぶ政府に、
どれだけの国民の支持が与えられるだろうか」

13年前、湾岸戦争直後に、当時の大アヤトラ・ホーイ師が、
「真っ先に発したファトワが、「遺体を埋葬せよ」だった、
というエピソードと、実に対照的だ」


「同じイラク人の間でも、次々に新たな亀裂が作られ、
古い亀裂が「発掘」される」

シーア派民兵組織の中には、
「20年前は、イラン領土から、イラン軍とともに、祖国イラクに
反政府ゲリラ戦を仕掛けていた人たちである。
イラン・イラク戦争が続いていた当時、イラク国内にいた人々は、
彼らを「裏切り者」と呼んだ。
 20年前の「愛国者」と「ゲリラ」は、今立場を逆転させている」
「それは、決して宗派や民族による対立ではない」
「前者は「フセイン政権の悪弊に慣らされた者」とみなされ、
後者は、「外国の手先」とみなされる」

「呼び覚まされた亀裂を前提として進められる
戦後の政治体制作りが、対立を固定化させる」

「イラク憲法は、こうした対立の根を、
イラク国民の枠のなかで解消するのではなく、
棲み分け/分配によって解消しようとした」

「諸政党はイデオロギーや「国民全体の利益」を語るのではなく、
出身民族や出身宗派を声高に強調することで、票を集める」

アスカリ廟爆破事件

「政治家たちが集票のために利用した「宗派」の枠組みが、
衝突と抗争に動員される」

「引き裂かれたイラク」:酒井啓子(DAYS JAPAN 2006年4月号)