・誤解その一
「イラクはシーア派、スンナ派、クルド民族の三つの社会から成り立っているが
現在反米テロ活動を展開しているのは、もっぱらフセイン政権時代に優遇され
ていたスンナ派である」

<酒井女史の反論>
「あのファルージャのドゥレイミ部族ですら、フセイン政権時代に叛旗を翻し、
フセインによって激しい弾圧を受けた」

<私の感想>
ファルージャ近郊のドゥレイミ部族が反乱を起こしたのは、フセイン体制最末期
であり、スンニ派優遇時代から、更に自らの出身地ティクリート閥や親族による
支配を強めたことへの、スンニ派層からの反逆であったと思う。
フセインがスンニ派を意識的に優遇してきたことは事実だと思う。
いわば、その特権層内部での利害争いだったと思う。



・誤解そのニ
「スンナ派も投票し、立候補した。
そのことでスンナ派住民は徐々にではあるが戦後体制に期待を持ち始めた」

<酒井女史の反論>
「シーア派のダアワ党やSCIRI、クルド両党は、
イラク国内で長年一定の影響力を持ってきた。
しかし、スンナ派住民にとって、慣れ親しんできた政党はない。
戦後急ごしらえで無名の政党を結成するしかなかった」
「2005年12月の正式選挙にむけて結成されたスンナ派政党は、
大別すると、旧バアス党系の政党とイスラーム政党に分かれる。
これらのスンナ派政党は、民意を反映するために結成されたというよりは、
むしろ「米軍がテロ勢力を懐柔するためのルート確保」のためにある、
と見たほうがよかろう」
「これらのスンナ派政党は、「スンナ派=テロリスト」との米政権の「誤解」を
逆手に取って、あたかも自分たちに「テロ」を抑える力があり、紛争仲介能力が
あるような顔をして、自らの政治的存在意義を強調しているに過ぎないのだ」

<私の感想>
さすがは酒井女史である。かなり手厳しい。
スンニ派政党すら、まがい物、手練手管の輩と断定している。
確かに、『したたか』な輩が多いことは事実だと思う。
武装勢力との、あるかないか誰にも分からないコネをアピールする輩は
多かったと思う。
<スンニ派政党>と<スンニ派武装勢力>、この両者の関係は、
一体どうなっているのか、
私は、ハマスやヒズボラがそうであるように、
<政治闘争部門>と<武装闘争部門>と単純に思い込んでしまった。
まだ、そうとは断言できないと思うようになった。
スンニ派議員が選出され、更には与党に参画したのなら、
スンニ派武装勢力は、その政権を、もはや「傀儡政権」とは呼ばない、
呼べないのではないかと、推測していた。
今後の現実の進展を注目していきたい。



・誤解その三
「人口的に多数派であるシーア派が常に圧勝している。
だから移行政権や正式政権にシーア派住民は満足している」

<酒井女史の反論>
「人口上シーア派住民が過半数であることと、
シーア派イスラーム主義政党が圧勝することとは、別である。
投票した全てのシーア派有権者が
「イスラーム国家の建設」を望んでいるということではない」

<私の感想>
アラウィ前首相の世俗派も一定の議席を得たのだから、
世俗派はそちらに投票したのではないか。
シーア派信徒としての、信仰の深さの度合いも人によって違うとも思う。



・誤解その四
「イラクのシーア派はイランと同じ宗派なので、
イランに強い親近感を持っている」

<酒井女史の反論>
「イラク統一同盟が大勝して、イラク国民が最も懸念したのは、
「イラクがイランと同じようなイスラーム国家になってしまったらどうしよう」
ということだっただろう。
フセイン政権時代に抑圧されてきたシーア派としての宗教儀礼や権利を
享受することは、喜ばしいことではあるが、それは決して「イランと同じ」に
なることではない、と、イラクのシーア派住民は強く思っている」

<私の感想>
熱心なシーア派信徒であっても、イランのようにはなりたくはないと
考えている人々も多いとは思う。
これもまた信仰の度合いにもよるとも思う。
ペルシャ民族とアラブ民族という差異性は決して小さくはないとも思う。
それは、シスターニ師はイラン人で、サドル師は地元イラク人だという想いが
強い人々は、サドル派やファディーラ党を支持していることからも分かる。



・誤解その五
「アメリカは、イラク戦争以前から親米的だったシーア派やクルド少数民族が
選挙で勝ったことに、満足している」

<酒井女史の反論>
「アメリカのジレンマは、「イラクの新政権成立は成功」と謳いあげない限り、
イラク駐留の米軍が「成功裏」に撤退できないということである」

<私の感想>
シーア派宗教政党は、『悪の枢軸』と規定したイランの宗教勢力と
密接な関係にある。
しかし、だからといって、その<同一性>と<区別性>も
きちんと把握する必要があると思う。



・誤解その六
「イラクでは戦後すぐに米企業が石油施設を独占し、
石油産業だけは着々と進めている」

<酒井女史の反論>
「米企業が大儲けできるほどイラクの石油産業は回復していない」

<私の感想>
それは全くその通りだと思う。
ただ、計画通りには進行していないということだと思う。
これほどまでに武装勢力が活性化するとは
想定していなかったということだと思う。
現状では、余りの治安悪化の為、異常な警備費を掛けねばならず、
大企業はまだ大規模投資はできない状況で、
リスクが高くても参入するというベンチャー企業は参入しているようである。



・誤解その七
「サマワで自衛隊が歓迎されているのは、自衛隊がサマワで行っている
人道支援活動が評価されているからである」

<酒井女史の反論>
「サマワやイラク政府の間で自衛隊賛美の声が挙がるのは、
あくまで自衛隊の派遣に伴う日本の経済援助を期待してのことなのだ」

<私の感想>
全く同感です。



・誤解その八
「今、多国籍軍がイラクから撤退すると、
イラクはますます武力での対立が激化し、内戦状態になる」

<酒井女史の反論>
「実は、多国籍軍がイラクにいるおかげで
対立が回避されているという事実はないのである」
「シーア派とスンナ派は必ずしもフセイン支持派と反対派で分かれていた
わけではないし、どちらの宗派にも宗教に拘泥しない人々は多かった。
第三者の存在がなければ二つの宗派は即座に武力対立に陥る、
という関係では決してなかったのである。
むしろ多国籍軍の存在自体が、占領容認派と反占領派という
新たな対立項を作ってしまい、今最も深刻な対立に発展しているのである」

<私の感想>
概ね同感です。
ただ、かつてのシーア派とスンニ派の関係と、
今、現在の両派の関係は、既にかなり変貌してしまっています。
昔は対立していなかったと言っても、余り意味があるとも思えません。
両派内の極一部ではあれ、両派の対立を煽っている輩が存在しており、
その為、不本意であっても、既にかなりの対立が生み出されてしまった
とも思っています。
旧ユーゴ内戦でも、大多数の一般民衆は長年多民族で共存してきました。
各派内の極一部の過激な民族主義者等の凄惨な行為によって、
対立が生み出されてしまいました。
イラクでの宗派対立も楽観はできません。
幸い、サドル師は両派の仲介ができる立場にあるので、
それは肯定的要素だと思っています。



・誤解その九
「イラク人は、日本が米軍とともに自衛隊を派遣したことで、
日本と米国は一蓮托生だと考えるようになった」

<酒井女史の反論>
「日本の対米追随姿勢が、イラク人の間で苦々しく語られることは無論ある。
しかしそれ以上にイラクが日本に期待しているのは、「米国と同盟関係にありな
がら米国よりもイラクをよりよくわかってくれている理解者」としての行動だ。
占領容認派と見なされがちな現イラク政府関係者であっても、そのほとんどが、
アメリカの無計画で非人道的な復興のやり方を腹立たしく思い、早期撤退を
望んでいると言って良い。
 それに対して、イラク人の対日認識は、相変わらず70〜80年代にイラクの経済
成長を支えてきた経済大国としての日本への憧憬である。米英の対イラク政策が
専ら軍事力に依存し、政治的形式を整えることばかりに専心してきたのに対して
イラク人は本当の復興、つまり電力や石油精製施設、農業灌漑設備などの経済
社会的インフラを着実に進めてくれる支援を求めている。その対象が日本なので
あり、それが出来るのが、日本が米国と違うところだとイラク人は考えているの
である。
 いや、「違ってくれなければ困る」というのが、彼らの本音なのだ」


<私の感想>
サマワでは、サドル派等の動向が活性化しつつあるとは思う。
しかしサマワでの自衛隊支持率は一貫して高かった。
ただ、現地の期待が過剰過ぎたこともまた事実だと思う。
自衛隊駐留には大多数が賛成でも、その満足度は高いとは言えない。
いや不満がますます高まりつつあるとも思う。
過剰な期待がそもそも間違っていると言ってしまえば、そうなのだが、
日本とイラクとの今後の長期的な関係を配慮して、
自衛隊は撤退しつつ、同時に現地での電力供給インフラ等への、
『現地の人の目に見える、納得できる形での支援』を残しているという
現地の人々の認証を取り付けつつ、自衛隊の撤退を進めなければならないと思う



 <反占領闘争における闘争戦術の歪み>

『昔はスンニ派もシーア派も仲良く暮らしていた』
そうは言えなくなったのは何故なのか、
誰が、どのように、そうは言えない状況を作り出してきたのかが
問題だと思います。

スンニ派政党とスンニ派武装勢力との関係とは、
現在の情況に深く関わる要素です。
「多国籍軍の存在自体が、占領容認派と反占領派という
新たな対立項を作ってしまい、今最も深刻な対立に発展しているのである」
というのは、今現在のリアルな問題点だと思います。

私は、ハマスやヒズボラとの単純なアナロジーから、
イラクのスンニ派も、政治部門と軍事部門へと進化したと
思い込んでしまったのですが、
そう単純には言い切れませんね。
ハマスやヒズボラは統一組織の下の政治部門と軍事部門ですが、
イラクのスンニ派は、まだそういう段階とは言えませんね。
全く関係ないとも思いませんが、
とにかく、過渡期、過渡的状態なんだと思い直しました。

「ファルージャ 栄光なき死闘」を読むと、
「二つの顔を持つ部族長と導師たち」という章まであります。
特に部族長達は、したたかで、米軍との巨額の契約を得る為に、
米軍にも良い顔を見せ、武装勢力にも良い顔を見せるということですね。
2004年のファルージャで、米軍は巨額のインフラ投資も行っています。
もちろん、「アメとムチ」、そのムチと一体になったアメなんですけれどもね。
それを部族長達は、米軍に何の感謝もせずに、ちゃっかり着服していました。

去年の12月15日のラマディで、25か所の投票所を武装自衛したのは、
「部族民兵」でした。
攻撃もありましたが、何とか防衛しました。
ラマディでの選挙は大成功だったと言えると思います。

その後登場した、スンニ派民兵組織アンバル革命軍が、
どういう性格で、どういう勢力なのかも、いまだによく分かりません。

私の個人的問題意識は、
<反占領闘争における闘争戦術の歪み>です。
無差別テロは絶対に許せません。
無差別テロを否定する反占領闘争を支持します。

反占領闘争の大義さえ掲げれば、全て許されるのかという問題です。
ファタハの汚職・腐敗に対して、パレスチナ人自身がNoを突きつけました。
本質矛盾は占領にあるのだけれども、
反占領闘争の側の問題も、それ自体の問題領域があるということです。

正式政権が発足した時に、
スンニ派議員も与党に参加した場合、
スンニ派武装勢力は、これまで通り「傀儡政権」「傀儡軍」「傀儡警察」
という表現を続けるのか、それとも変更するのか、
それは、一つの指標ではあるとは思っています。

反占領闘争における、過激派と穏健派という側面も
考慮に入れなければならないのかもしれません。
ボスニアでも、コソボでも、2004年のファルージャでも、
過激派は、穏健派をも殺しています。
それは悲劇です。

・占領容認派
・反占領穏健派
 この両者の差は、大きいのか、小さいのか、
そもそもどうやって区別するのか、
そんな問題もあると思います。

<反占領闘争における闘争戦術の歪み>という問題は
決して小さな問題ではないと思っています。
米軍が撤退した後、どういう社会をつくるのか、
アフガニスタンからソ連軍が撤退した後、どうなったのか、
チェチェンの悲劇は何故生み出されているのか、

<目的>は外国軍の撤退を実現することであり、
その為の<手段>として、
・政治闘争
・武装闘争がある訳です。

政治闘争主体で、目的が実現できるのであれば、その方がベターだと考えます。
武装闘争それ自体が目的である訳では全くありません。
あくまでも目的実現の為の一手段です。

人口の二割を占めるクルド人もまた立派なイラク人です。
彼らの多数派は親米です。
クルド自治区への米軍基地の誘致まで行っています。
米軍としては、最後の担保ですかね。
最悪、クルド自治区での基地は確保できるだろうという。

一言でイラクといっても、地域によって、その差異性は大きいと思います。
クルド地区では概ね経済再建へと向かっていると言ってもよいのではないか。
シーア派地域は、クルドとスンニ派の中間という所でしょうか、
復興と反占領の二つの要素の間で揺れ動いているように思えます。
南部シーア派地域といっても、更に細かく分かれるのでしょうね。
ダアワ党やSCIRIが地方議会の多数派を握っている、
ナジャフやカルバラは比較的安定しており、
ファディーラ党が第一党のバスラ県では、不安定要素が大きいと。

「イラクに関する九つの誤解」:酒井啓子(軍縮問題資料3月号)