<はじめに>
「エジプトからアルジェリアまで、ジハードを支持する活動家達は、
権力を握っている政権:「近くの敵」を打倒しようとしたが、結局、
その試みは至る所で失敗に終わった。
この下降気味の流れの向きを変える為にには、戦略を根本から見直して、
アメリカに大きな打撃を与えなければならない。
この打撃は、その大胆さと規模の大きさによって、イスラム世界の優柔不断な
一般大衆を勇気づけ、中東や北アフリカの背教者のリーダー達を擁護している
傲慢なアメリカの弱さを見せつけなければならない。
しかし、欧米の地でテロの手法を使って挑発行為に出たからといって、
活動家達が本来の目標を見失うようなことになってはならないというのが、
ビンラディンやザワヒリの考え方だった」

本来の目的とは、イスラム世界に「イスラム国家」を建設することだ。

「ジハディストとネオコンの究極の目的は異なっているが、
どちらも中東地域の権力者を政権の座から引き下ろそうとしている。
どちらも権力者の強権政治と堕落を非難している」

「ジハディストは権力者を挑発して弾圧を引き出し、その弾圧が行き過ぎて
邪悪な効果を生み出し、弾圧の犠牲者との結び付きを強めるという、
昔ながらの政治の力関係の循環を有利な方向に利用しようとしている」

「インターネットを利用することによって、戦争は個人の空間に侵入し、
イスラム教が興って以来14世紀にわたって信徒の考え方を支配してきた
地理と政治の関わり合いに関する概念の中から、「イスラムの領域」と
「戦争の領域」を分ける昔ながらの地理的な意味での「前線」を消し去った。
世界中が無差別の空間となり、全てが混じり合ってしまった」


 <第一章:オスロ和平の挫折>
下から自然発生的に起こった第一次インティファーダと異なり、
第二次インティファーダはアラファトの計算により上から組織的に始まった。
ファタハの「機構」(タンジム)に実行させた。
そのモデルはヒズボラの消耗戦。
しかしその目論見は失敗。タンジムがイスラエル軍により壊滅させられる。
そこにハマスなどの自爆テロが出現。ヒズボラの自爆テロをまねたもの。
アラブ諸国の軍事独裁政権はソ連圏崩壊により軍事援助が途絶える。
対等な軍事力のない中で、自爆テロは唯一の効果的な対抗手段と
考えるようになった。
湾岸戦争でフセインを支持したPLOは湾岸諸国からの財政援助、
仕送りなどの一切を失い、資金は先例がないほど枯渇。
湾岸諸国からの援助はハマスなどの宗教勢力へ向かう。

ソマリアにおけるアメリカの挫折は、
イスラム過激派の活性化を示唆する最初の兆候


 <第二章:ネオコンの革命>
湾岸戦争後、アラビア半島では民主化の機運が高まった。
しかしアメリカは安定維持、つまり独裁政権を支持した。
中東諸国自身による打開策としてイスラム思想が浸透していった。
ネオコンはそれを機敏に把握していた。

イラクに対する禁輸措置の効果を逆転させる計画
政権を傷つけることなく民衆を痛めつける代わりに
上部構造を破壊する

これまで共産主義の脅威を念頭において築いてきた対決姿勢を、
これからはイスラムの世界の方に向ければよいと考えた。


 <第三章:遠くの敵を攻撃する>
「テロ攻撃や死傷者のテレビ映像は敵側をパニックに陥れるが、
同時に信奉者を勇気づけ、支持者の数を増やす効果にもつながる」

エジプトでは1997年のルクソール事件で大衆の支持を完全に失い、
武装闘争中止を宣言
アルジェリアでも停戦

ザワヒリなりに反省したのだろう。
失敗を教訓化し、いかに担い手を創造するのかを。
「ジハディストの運動は、大衆に接近し、大衆の名誉を守り、
不正を妨げ、大衆を勝利につながる道に導いていかなければならない。
ウンマが十分に反応しない、課題に立ち向かおうとしないなどと
非難してはならない。
我々の考えが、思いやりの気持が、どんな犠牲を払ったかが
大衆に伝わらないのは、我々の責任である」
ザワヒリの文章には自己批判を感じさせる。
ザワヒリの文章の行間には、ザハード戦士が孤立することへの
脅迫観念があふれている。


 <第四章:追いつめられても倒れないアルカイダ>
ビンラディンとザワヒリの「二人は単にジハードやウンマの申し子ではなく、
最先端の電子技術とアメリカ式グローバリゼーションの申し子でもある」
2002年4月7日アルジャジーラで9.11を始めて認める。
これは丁度パレスチナのジェニン難民キャンプ襲撃事件と時期が一致している。
国連安保理ではアメリカの拒否権発動によって、
ジェニンの虐殺は討議の対象から外された。
アラブ世界は怒りに燃えながらも、無力感に襲われていた。
アルカイダは敵に強力な打撃を与えられるのは自分達だけだ
というメッセージをイスラム世界に広く伝えようとした。

2002年12月にザワヒリが書いたとされる「アルワラ・ワ・アルバラ」
「忠誠と離反」この思想の発端はサイイド・クトゥブ
「「バラ」は宗教的な教育を受けた博学のアラビア語使いでなければ、
すぐに意味を把握することはできない。言い換えれば、
ザワヒリのパンフレットは言葉の面で強い迫力を持っている。
彼のパンフレットは、意見を異にする者に対して、
おまえはコーランで使われている言葉も知らないで反対するのかと迫ってくる」

「テロのネットワークが中央集権から地方分権に移行していることを
如実に物語っていた」
「アルカイダは、各地に散在するチェーン加盟店の
名目上の統括本部のような存在になった。
ビンラディンの名は地域におけるテロ活動の営業権を入手した
個々の零細起業家が二流三流の作戦を実施する際に
振りかざすシンボルマークに相当する」

マドリードのテロ事件は
「「九月十一日の正確に二年半後に」発生したことを強調している。
テロ活動のインパクトを増幅させる象徴的な効果に
強迫観念といえるほど強く固執している」

「アメリカの対テロ戦争の進め方は」
「経験不足の外科医のように、
テロという悪性腫瘍の目に見える部分を切り取ろうとしたが、
世界中に転移し始めていたガン細胞を
根源から治療することはしなかった」

ビンラディンは、イスラムの人々を
「幅広く結集して、1979年にイランで成功した唯一のイスラム革命を
再び実現させる力を得ることはできなかった」


 <第五章:台風の目:サウジアラビア>
1932年に成立したサウジアラビアは、
サウド王家とワーッハーブとの連合による権力機構により成り立つ。
サウド王家の他の部族への攻撃をワッハーブはジハードと宣言する
という取引により成立した。
この両者の連携によりアラビア半島を席巻した。
「これは預言者ムハンマドがアラビア半島を制した偉業の再現であり、
サウジの若者達は、その波乱に満ちた叙事詩の中に自らも没入してしまう。
聖典と剣でアラビア半島を征服した英雄的な物語は、
ネットなどを駆使して送り出されていく。
アルカイダの宣伝ビデオに登場するビンラディンの発言や、
ザワヒリが執筆したパンフレットのイメージ豊かなタイトル
「預言者の旗の下の騎士達」にも、その姿が見え隠れしている」

1923年頃宗教民兵組織「兄弟」(イフワン)創設
好戦的部族を取り込み、反抗する部族と戦わせた。
それはジハードと宣言され、虐殺・略奪すら許された。
当時の英国はハーシム家を牽制する為にサウド家を支援した。
不信心者の英国人が聖地に存在することに怒ったイフワンは
英国人追放に立ち上がった。
サウド王家は英国の空爆の支援の下、イフワンを壊滅させた。
ワッハーブ派はイフワンという最も熱心な門弟組織を失う。
「ワッハーブ派の説教師達にこのイフワン壊滅の記憶は脳裏に残っている。
宗教的権威を保障するサウド王家支持を表明しながらも、
王家に堕落の気配があれば直ちに教義を振りかざして立ち上がる用意を
怠らなかった。
イフワンのジハードは建国神話の一部として学校教育にも
取り入れられたままになっていた。
先人の叙事詩に熱中した若者達は、自分も同じようなことをしたいと
夢見るようになった」
王家は、ジハードの矛先を海外に向けさせた。
アフガン、ボスニア、アルジェ、チェチェンなどに送り込んだ。

「ワーッハーブ派の台頭を1980年代の人口急増と分けて考えることはできない」
また、アラブ民族主義・軍事独裁政権から亡命して来たイスラム聖職者の多くを
サウジは歓迎し、サウジで宗教教育にあたった。

1980年代、サウド王家は、ワッハーブ派とクトゥブ思想の混合物である
サーワ運動を通じて、ワッハーブ派を牽制しつつ、建て直しを図ろうとした。
1979年のメッカ占拠事件を反省してのことであった。
またイラン革命への対処でもあった。

湾岸戦争で米軍の聖地駐留を承認することの引き換えに、
ワッハーブ派は権限を急激に増大した。
留まる所を知らない思想教育にまで突き進んだ。
「この交換条件を機に、サウジはイスラム化の底無し沼に
足を踏み入れてしまった」

「アラーの支配権(ハキミーヤ)をイスラム国家と不信心者の世界を区別する
崇高な基準として認知する解釈はクトゥブ兄弟の著作から直接汲み取ることが
できる。
サウド王家は神聖なるハキミーヤではなく己の気まぐれと財政的・政治的な
利害関係に基いて国を治めているというのは、サーワの思想の受け止め方」
サーワの主な活動家達は一斉検挙された。
1999年釈放され、再び運動が活発化。
しかし彼らはテロは非難する。
サウド王家は一定の民主化によって危機を乗り切ろうとしている。
しかし、「象徴的なジェスチャーが実質的な政治改革の役割を
肩代わりすることはできない」


 <第六章:パンドラの箱:イラク>
「1980年代における人口の爆発的な増加によって、
歴史の記憶などに関わりのない若者が世に出て、ただ生きることに専念した。
この地域では、既存の正統的政治体制が
暴力と身勝手な専制政治に打ち負かされてしまった。
富や仕事を手に入れようと思えば、汚職か詐欺か力に頼る以外に方法はない。
このような欲求不満の固まりのような若者達が、イラクの人口の大多数を構成し
ワシントンでイラクの占領政策を立案している人々の予想を
完全に裏切ってしまった」

「イラク侵攻作戦が継続している間はアメリカとクルド人に共通していた目標が
今後も共通の目標としてとどまる保証はない」

フセインは湾岸戦争後、独裁体制延命の為、
イスラム宗教色を政治的に利用しようとした。
その為、イラクでは、バース党の弾圧で消滅していた各種宗教勢力、
そのネットワークが復活した。(シーア派やムスリム同胞団)
(サーディク・サドルによる金曜礼拝の再開など)
フセイン政権崩壊後、権力の空白の場に、姿を現したのは、
シーア派のネットワークだった。
アルバインの儀式には三百万人が参加。
メッカへの巡礼は二百万人だった。

九年間にも及ぶイラン・イラク戦争で、相互に殺し合った。
「相手が同じ宗教を信じているかどうかは関係なかった。
いや、むしろ愛国心を強固にしたのではなかろうか」

「アメリカがイラクでテロ対策に追われている間に、ジハードの信奉者達は
敵の背から新たな戦線を開くことに成功した。ヨーロッパ戦線である」


 <第七章:ヨーロッパの戦い>
以前は共産党の支持母体だった貧困者層が今ではイスラム教徒で構成されている
テロ活動が地方分権化
「テロ事件の実行犯は地元の活動家が中心で、
それをジハディストのネットワークが国境を越えて支援した形になっている」

<欧州で再現される内部対立>
・ワッハーブ派はテロを非難し、精神的内面生活の充実を訴える
・タブリーグ、シェイク主義者、ムスリム同胞団は市民社会に溶け込む

「不信心者の土地」にも二種類あり、
・「戦争の土地」ダール・アルハルブ:ジハードが許される
・「協定の土地」ダール・アルソルフ:暴力は許されない
 ジハディストにとっては、前者であり、
 シェイク主義者によれば後者

「内戦の最中、アルジェリアのワッハーブ派は地下に潜行し、
戦闘の中止を働きかけた。
アルジェリア政府は、サウジアラビア政府と暗黙のうちに協力関係を結び、
これらの聖職者を支援した。
そして、ジハードに走る若者達を政治と関係のないワッハーブ派の道に
立ち戻らせるファトワを出すよう働きかけた。
この戦略は成功し、1997年、内戦は終結した」


 <結論>
「中東のイスラム教徒にとって、中東の民主化や近代化を
目標に掲げている人々は、ブッシュ政権のイスラエル寄りの姿勢と
一体化しているようにしか見えない」
「今日、教養ある中流階級のイスラム教徒にとって、「欧米型の」という形容詞
を冠した「民主主義」という言葉は、強いマイナスの意味合いを持っている」

「中東諸国の独裁政権にとって、この民主化に対する幻滅感が極めて有効である
統治者達は、あたかも外国の帝国主義と戦うナショナリズムのチャンピオンの
ように見せかけながら、実は中身のある改革を無期限に先送りしているだけ
である」


 <私の感想>
アルカイダといっても、既に『地方分権化』し、統制もとれていない。
更には第二世代、第三世代が登場している。
そもそも9・11は、ジハード戦士を獲得する手段というのが、
第一義的だったのではないか。
テロだけでアメリカが倒せる訳がないのは彼らにとっても自明だ。
戦士獲得の手段として第二、第三の9・11は可能性はあるが、
あくまでも本来の目的はイスラム諸国の政治権力者を倒し、
イスラム宗教国家を創立することだった筈だ。
しかももはやそんな展望もないと思う。

他方、ブッシュ政権の対テロ戦争も完全に行き詰ってしまっている。
むしろ「対テロ戦争」の遂行によって、更なる戦士を生み出す効果の方が
大きかったことが証明されたのではないか。
「テロリスト掃討作戦」によって、一般民衆に多数の死傷者を生み出した。
それが更なる戦士を生み出し、支持する背景となる。

正真正銘のテロリストは、犯罪者として処罰せねばならない。
各国の警察の役割であり、国際的刑事組織で取り締まればよいのではないか。
国際刑事裁判所もある。

「対テロ戦争」がなければ、テロリストなど、誰からも相手にされない
単なるカルト集団であり、一般市民の敵であるから、一般市民が通報してくれる
「対テロ戦争」のマイナス面の故にこそ、一般市民の中に一定のシンパシーが
生まれてしまっている。

もう一度、本質的な意味での、テロリストとの対決戦略を立て直し、
政治的、経済的、社会的、文化的、宗教的等々の
総合的な戦略を立て直さなければならないと思う。

アルカイダは確かに一時期、イスラム世界の民衆レベルでは、
英雄視されていたと思う。
しかし現在では既にもう変わってしまっていると思う。
ムスリムをも多数殺害する行為が何度も繰り返されたからだ。
それを宗教教義で何とか正当化しようとも
全世界のムスリムに対してすら説得力がない。
ムスリムをも虫けらのように殺害し続ける蛮行に対して
ムスリム自身が憤慨している。

まずは、イラク戦争を終結させねばならない。
イラクのレジスタンス十組織の統一司令部は停戦を申し出ている。
米軍は停戦し、
レジスンタス十組織が「アルカイダなど力で抑え込む」と豪語しているのだから
彼らにアルカイダなど粉砕してもらえばよいではないか。

米軍と何年も果敢に戦い続けたイラクのレジスタンスが
アルカイダを粉砕する姿を全世界に見てもらえばよいのではないか。
そうすれば、全世界のムスリムも納得するのではないか。
ジハード予備軍に対しても、最も説得力があるのではないか。
己の未来の姿なのだと。

イラクの政治レベルでは、スンニ派も与党に加わり、
特にスンニ派住民に不信感を抱かれている内務省に
スンニ派の大臣を据えるべきだと思う。
それ以外にスンニ派の内務省への不信感を払拭できないのではないか。
SCIRIは抵抗するだろうが、それをアメリカが説得するのだ。
そういうアメリカの姿をスンニ派に見せつければよいのではないか。
そうすれば、スンニ派のアメリカ観も少しは好転するのではないか。

アメリカが本気で撤退したいのなら、そして、
アメリカが本気でイラクの民衆の平穏を生み出そうと考えるのなら、
そこまでしなければならないのではないか。

「ジハードとフィトナ」:ジル・ケペル(NTT出版)