12月15日の投票日
約1500万人の有権者の内、1000万人から1100万人程度が投票したと思われる。
極めて高い投票率だと思う。
この日は車の使用が原則的に禁止された。
従って、徒歩で投票所へ向かわざるを得なかった。
投票所までの距離によっては、数キロも歩いて
いかなければならない人も多かった。
片道数キロを歩いて来た老人も多かった。
それだけ目的意識性の高い投票行為であった。
この日、投票開始時刻直後から全国14か所で35の攻撃があったという。
これでも『フツー』の日よりもかなり攻撃は少なかったという。
武装勢力の一部は投票所を攻撃しないと声明しており、
武装勢力の一部のその約束は守られたようだ。
しかし、あくまでも、「武装勢力の一部」であり、全てではない。
つまり、投票行為はやはり危険性を伴う行為だった。

『占領下での選挙など欺瞞的であり、ボイコットすべきだ』という
抵抗勢力のいくつかの組織のボイコット方針が正しいとは私は思わない。
しかし、ボイコットを訴えかける権利は当然あると思う。
フセイン独裁政権下では決してあり得なかった権利の前進の一つとして
<ボイコットを訴えかける権利>があると思うし、
それは何ら違法な行為ではない。
現在のイラクでも、ボイコットを訴えかけただけで逮捕・拘束する
何らの法的根拠はない。
私の知る限り、ボイコットを訴えて、逮捕されたという話は聞いたことがない。
(しかし誘拐・暗殺ならあり得るという陰惨な現実はあるが)

だから、ボイコットを合法的にどしどし訴えかければよいと思う。
しかし、投票行為への攻撃は断じて許されない。
それは、法的に違法だという意味だけでなく、
投票した、投票しようとした圧倒的多数のイラク人に
敵対する行為だからこそ許せない。

アラブ・スンナの地元武装勢力の一部は、
「ボイコットを訴えかけるが、攻撃はしない」と声明していた。
私に許容できるのは、ここまでだ。
ここまでなら、賛成はしないが、理解はできるし、それを守って欲しい。
守ってくれるだろうと思っていた。
しかし、残念ながら、攻撃はあった。
攻撃は全てアルカイダによるものだろうか。
私にはそうは思えなくなってきた。
地元武装勢力の中の一部には攻撃に参加した組織もあるようだ。
「イラク・レジスタンス・レポート」には、
投票日の攻撃も肯定的に記載されている。
何か所もの投票所への攻撃も記載されている。
http://www.albasrah.net/en_articles_2005/1205/iraqiresistancereport_151205.htm

投票所への攻撃は許されないだけでなく、
徒歩で何キロも歩いて投票所に向かう
一千万人以上の人々の只中で攻撃するとは、
イラク国民のほぼ全てに敵対する行為だ。
断じて許せない。
何がレジスタンスだ。
勝手にレジスタンスを自称していろ。
私はそんな者をレジスタンスだなどとは認めない。
『何様のつもりだ』『傲慢だ』とそしられようが全く構わない。
地球上の全ての人が賛同してくれなくても全く構わない。
私は投票行為に対する攻撃は絶対に許せないし、
そんな者をレジスタンスだなどとは断じて認めない。

私は今まで、アラブ・スンナの地元武装勢力を肯定してきたのだが、
それも考え直さねばならないと思っている。
私はレジスタンス十組織の米軍への「停戦提案」は今でも支持している。
レジスタンス十組織を支持しているのではなく、
この「停戦提案」を支持している。

イラク国民の大多数は、レジスタンス各派のボイコット提案を
1月30日には、多くのアラブ・スンナの一般市民も支持した。
しかし、12月15日には、ボイコットという方針を、
アラブ・スンナの一般市民の大多数が拒否したということだ。
これは客観的事実である。
地元武装勢力を支持しないのかどうかは分からないが、
地元武装勢力のボイコット方針は拒否したと言うことができる。

ラマディで投票所を警備したのは民兵だが、
この民兵は、従来の地元武装勢力とは、
全く同じものとは、言えないかもしれないが、
全く違うものとも言えないのではないかと考えている。

つまり、ラマディでは地元武装勢力の一部は、
選挙を守る側に立ったと私は受け止めている。
私はこの行為を支持する。



特にラマディで午前中、白旗を掲げながら、
米軍の攻撃により瓦礫と化した建物の間から、
IED通り:手製爆弾通りと呼ばれるデコボコになった通りを横切り
投票所に向かう人の姿に、私はこの投票日、最も感動しました。
文字通り命掛けの行為です。
生きて家に帰り着けなくても何の不思議もない行為でした。
彼がどの政党に投票したのかに関わりなく、彼を尊敬します。
投票日、ラマディでは、午前七時の投票開始時刻の数分後から
迫撃砲による攻撃と銃撃が始まりました。
人々は、怖くて、外に出ることができません。
攻撃が止んだからといって、すぐに外へ出られるものでもありません。
そして、午前中、初めて投票所に向かったのが、
この白旗を掲げた男性だったのだろうと思われます。
その後、投票所に向かう人の数が、ニ、三人、四、五人、
三々五々、徐々に増えていきました。
終わってみれば、23か所の投票所の内、10か所で投票用紙を使い切り、
足りなくなる。あるいは投票箱が一杯になってしまう。
投票締め切り時刻である午後五時になっても、有権者の並ぶ長蛇の列の為、
投票締め切り時刻を一時間延長する。
ある投票所では、キャンディとかを配り、お祭り騒ぎまで起こったそうです。
ということで、ラマディでの投票は結果的には大成功だったと
言えると思いますが、それは結果的にそう言えるだけであって、
投票開始時刻数分後の攻撃開始を思えば、
ラマディでの投票が失敗に終わっても少しも不思議ではなかったと思います。
あの勇気ある、白旗を掲げた投票者の姿は、暗澹たるラマディの街を
自らの意思で作り変えるという意思の行動だと思います。
それ故、私は感動を覚えました。
もちろん、ラマディでの選挙成功には多くの要因があります。
・ラマディ各地のモスクではラウド・スピーカーで
 投票を呼びかけるイマームの声が鳴り響きました。
・宗教指導者層の行動
・街の政治指導者層の努力
・部族長の努力
・23の投票所を警備した民兵
・民兵に投票所の警備を許可した米軍
 これら多くの要因によって、ようやく成功したのだと思います。

ファルージャでも投票用紙が足りなくなり、投票時間も延長しました。
フセインの出身地、いまだにフセイン支持のデモの起きるティクリートでも
同様に選挙は大成功でした。
ティクリートの投票した男性のコメントも記憶に残りました。
『爆弾や待ち伏せ攻撃より、選挙の方が
 米軍の撤退を早く実現できるのではないか』



「バグダッドで貿易業を営むシャーケルさん(54歳)
前回の暫定選挙はスンニ派の仲間達と共にボイコットしました。
『占領軍の陰謀だと思ってボイコットしたんです。
 イラクを民主化する為ではなく、占領を継続するのが
 目的だとしか考えられなかったんですよ』
ボイコットの結果、スンニ派は暫定議会の主導権を
多数派のシーア派やクルド人に握られ、国造りへの発言権を失いました。
スンニ派の一部は武装闘争を通じて影響力を誇示しようとしましたが、
シャーケルさんの気持は次第に離れていきました」

1月の選挙は、ファルージャへの攻撃を停止するよう要求する
スンニ派政党の要求を拒絶し、
数十万人規模の難民を出しているアラブ・スンナにとって、
選挙どころではないので、選挙の半年延期を申し出ました。
スンニ派は一月の選挙を否定したのではありません。
延期を要請したのです。
しかしそれも受け入れられなかったからこそ、
アラブ・スンナの一般市民の多くがボイコットしたのです。

この時点では、アラブ・スンナの一般市民と
アラブ・スンナの地元武装勢力はかなり近かったと思います。
しかし、物事は変動していきます。
今回の選挙では、かなり離れつつあることが
明らかになりつつあると私は思います。
ボイコット方針を大多数が拒否したのだからです。
物事には作用と反作用があります。
アラブ・スンナの地元武装勢力も
この事態を真摯に受け止め、
アラブ・スンナの一般市民の現時点での考えに歩み寄る必要があると思います。
現時点では武装解除するのは危険です。
(米軍との停戦が実現すれば最善だと思うのですが)
@アルカイダに対し「戦闘宣言」を発し、戦うことを内外に明らかにする。
A政治闘争を強化する。政治部門を確立する
 (できれば、徐々に政治闘争へのウェイトを高める)
 
アルカイダ系と戦うことは、レジスタンスがレジスタンスであり続け得る
最低限のラインだと私は思っています。
<無差別テロとは戦う>ということが言いたいのです。
そうでなければ、抵抗運動自体の正当性が損なわれます。
何故ならイラクの一般市民を残虐に殺害している
(少なくともそう声明しており、アルカイダによるものとされる個々のテロを、
 否定することもできるにも関わらず否定していない)
そういう者達との共闘などあり得ない筈です。

対米軍との戦いにおける軍事的・経済的戦力として
肯定的に評価するのだとしたら、
それは機能主義・プラグマティズムであり、政治技術主義であり、
それ自身が腐敗です。

そもそも何の為に戦うのでしょうか。
自分のエゴの為ですか。
多く恩イラク国民の為ではないのですか。
もしそうなら、イラク国民を虫けらのように殺害し続ける
無差別テロなど許せる筈があり得ません。

米軍による一般市民への攻撃を非難するのなら、
抵抗勢力による一般市民への攻撃を非難しないのは
何故なのでしょうか。
ダブル・スタンダードという奴ですか?



私はアラブ・スンナの地元武装勢力とひとくくりにすることを止めます。
アラブ・スンナの地元武装勢力の内、
投票行為を攻撃した勢力を私は支持しません。
「1920年革命旅団」はアルカイダへの攻撃を訴えています。
私はこの方針を支持します。




ラマディ:アルカイダ系との戦いの最前線

アルカイダ系との戦いの最前線はラマディだと思う。
しかもその担い手は、ラマディの住民自身だ。

11月23日
「アルカイダはカイムが破壊されたあと市内に流入してきており、
 私たちはラマディの街が新たな基地にされるのではないかと懸念している。
 このラマディは他の都市のような破滅に向かっているように思う。
 軍隊経験を持つ将校とイスラム法学者、部族指導者といった市内の
 最良の人物で代表団を編成し、市内のアルカイダ組織の「首長」に
 任命されている人物と会談することにした理由はこれである」
「イスラム・メモ通信員は、アメリカ軍が数週間前に
 瓦礫にしたカイムから逃れてたアルカイダ組織のメンバーが
 大勢ラマディに押し寄せてきているとレポートした。
 また同通信員は、アルカイダが他のレジスタンス組織から
 粘り強く繰り返された訴えを拒否したと報じた」

12月2日 アルカイダのメンバー約四百人がラマディを数時間武装占拠。
 (その映像を各メディアで観ました)

その後、米軍によるラマディ掃討作戦が継続する。
 (空爆の様子=攻撃ヘリによるラマディ空爆の映像を観ました)

そして12月15日の選挙当日、投票所を警備したのは、地元民兵だ。

ラマディの住民の大多数はアルカイダ系など支持していない。
選挙当日アルカイダ等によるものと思われる攻撃から自らを武装自衛した。

これがイラクに出現した新たな事態だ。
地元武装勢力がアルカイダ系から武装自衛する。
それを米軍が承認する。
たったこれだけでも大きな前進だと思う。
米軍は武装自衛するアラブ・スンナの都市部には入らない。
たったこれだけのことで、アルカイダ系を放逐する方向性が
示されているのではないか。

実は、レジスタンス十組織の米軍への停戦提案の第一段階は、
この「米軍が都市部へ立ち入らない」というものだ。
そうすれば、米軍への攻撃を停止し、
アルカイダを攻撃するというものだ。
米軍は従来「テロリスト」と一緒くたにしてきた地元武装勢力と
公然と交渉することは、できないのかもしれない。
まあ、それでも構わない。
『名より実を取る』ということで、
実質的に、停戦条件を承認し、
実質的に、停戦状態を生み出すことは決して不可能ではない。

米軍が撤退するには、米軍の面子を立てる必要があるというのなら、
どしどし米軍の面子を立ててあげればよいではないか。
それで、停戦状態を生み出し、撤退に向かうというのであれば、
それも肯定する。
<最も大切なこと>は、アラブ・スンナの地元住民の願いを実現することだ。
アラブ・スンナの地元住民は、戦闘など望んでいない。
平和と安定をこそ望んでいるのだ。
降りかかる火の粉は振り払わねばならないが、
自ら火を点けることを望んでいる訳では全くない。

アルカイダなどのイスラム原理主義超過激派は、
平安を実現することを目指している訳では全くない。
米軍と戦い続けているという、その<ポーズ><仮象>こそが必要なだけなのだ
その仮象さえあれば、世界各地の各種のムスリム諸組織や個人から
経済的支援を受けることができるからだ。

12月2日のアルカイダ四百人によるラマディ数時間占拠では、
ほとんど全く戦闘は起きなかった。
米軍との間で戦闘はほぼ全く起きなかった。
極めて不可解な出来事である。
まるで米軍はアルカイダを『泳がせて』、
アルカイダに存在証明をさせ、
米軍によるラマディ攻撃の『口実』『正当性』を与えたとしか思えない。
アルカイダは全世界に存在証明ができ、
米軍はラマディ攻撃の口実を手に入れた。


アルカイダ系の再生産構造を断ち切らねばならない。
全世界のある種のイスラム宗教施設等では、イギリスであれ、パキスタンであれ
米軍のムスリム一般市民への残虐な映像をこれでもかと見せつける。
ムスリムではない私が観ても憤激する映像を見せて、
ムスリムをジハードへと駆り立てるのだ。

米軍は一般市民への誤爆等を公式に認め、公式に謝罪し、
補償することを公式に表明するべきだと思う。
ファルージャには慰霊碑を建設するというのはどうだろう。
たとえそういう努力をしても、効果のほどは分からないが。
ともかく、そういう努力もすべきではないか。
たとえ「欺瞞的だ」との反論があるだろうが、
それでもそういう努力もすべきではないかと思う。


現時点で最も重要なことは、アラブ・スンナの地元武装勢力と
折り合いをつけることだと思う。
イラク北部で治安維持活動を担っているのは、地元の武装勢力ペシュメルガだ。
南部シーア派地域で治安維持活動を担っているのは、シーア派各派の民兵だ。
だから、スンニ派地域では、地元スンニ派の民兵に
治安維持活動を担ってもらう方が自然だ。
各宗派・各民族の軍事的バランスを取るという意味でも、
それしかないのではないか。
ただ、2004年4月のファルージャでの停戦後、武装勢力の解放区と化し、
アルカイダ系もその中で勢力を伸ばしてしまった。
30万都市ファルージャを攻撃してくる米軍と戦うアルカイダ系は、
その限りでは、ファルージャの住民にとっても味方だったからだ。

しかし、現在では、アラブ・スンナの地元住民自身の
アルカイダ系への評価は根底的に変わったと思う。
現在では、アラブ・スンナの地元住民にとっても
アルカイダ系は味方ではないとより明白になっていると思う。

米軍がアラブ・スンナ地域の治安維持活動を地元武装勢力に担わせる場合、
アルカイダ系への明白な戦闘姿勢を担保にすればよいのではないか。
米軍もアラブ・スンナもこの間、色々なことを学んだ筈だ。
12月15日のラマディはそういう意味でのモデル・ケースと言い得るのではないか

現時点のイラクでは、そういうこともようやく可能になってきつつあると思う。
その為の諸条件は整ってきつつあるように私には思える。

そしてそれは、イラクで流血を止める道だと私には思える。

私は投票行為への攻撃を弾劾する