「ここで筆者が提示するのは、「協力者」を軸としてイラク戦争を
「イラク反体制派による外国軍の国内政治対立への誘導」とみなす観点である。
湾岸戦争を契機として、反フセイン勢力は国内でのフセイン政権転覆活動に
米を巻き込むことによって国内政治対立を国際化し、最終的にイラク戦争に
よって政権転覆を実現した。
視点を転ずれば、介入される側の国の反政府勢力が外国の軍事力を利用して
国内政治対立に勝利しようとしたとも認識することができる。
 それは換言すれば戦後の新体制確立過程で介入する超大国の意思が
どこまで反映され、どこに限界を持つのかを明確にすることでもある。

 イラク国内での政治対立が国外勢力を呼び込んで中央政権に対する交渉力を
強めようとする手法は、周辺国との間では歴史的に常に行われてきた。

 イラクの主要反体制派の多くは政府以上に反米姿勢をとり、彼らの側から
米国を取り込もうとの発想は生まれなかった。
主要な反政府勢力は反米外国勢力(イラン、シリア、ソ連)の干渉に依存し、
亡命先もイランとシリアに集中していた。

 米政権のイラク国内での「協力者」の歴史的不在が、湾岸戦争から
イラク戦争に至る米政権の対イラク干渉政策の失策に大きな影響を与えている。

 <第一期1991〜1996>イラク「協力者」発掘
 湾岸戦争後に米政権が志向したのは、政権交替に繋がる反フセイン勢力全般を
クルディスタンを地理的拠点として米政権の「協力者」として再編成するという
方向であった。
 イラク国内に基盤を持つ反体制勢力は関与に消極的であった。
米国から直接資金援助を受けているという事実が反米反体制派にとって
支持基盤維持のうえで障害となった。

 <過渡期1996〜1998>親米「協力者」瓦解:クルド内戦
KDPがPUKとの対立という国内の政治対立構造に引きずられて米政権の反フセイン
政策「協力者」として役割を一時的にでも放棄したことは、「国内組」の存在の
重みとそれを敵に回すことの危険性を如実に示すものであった。

 <第二期(1)1998〜2001>国内組反フセイン勢力の「国内協力者」への変質
 Oil for Food を通じて、仏露中などがイラクとの経済的関係を強化、
イラクは徐々に国際社会への復帰を強めていた。
 98年「イラク解放法」:初めて米政権はイスラーム主義勢力を
「協力者」から排除する従来の方針を見直した。

 <第二期(2)2001〜2002>「国内協力者」の積極的対米誘導
・民主党から共和党への米政権交替
・亡命ホスト国シリア・イランの対イラク関係改善
・アフガニスタン攻撃・政権転覆が短期間で実現
 これらにより、SCIRIは「国内協力者」としての役割を強調
 対イラク干渉の主導権がそれまでの「在外協力者」から「国内協力者」に移る

 (1)イラク戦争前後
米は支援対象に亡命イラク軍人組織を追加使命
「亡命政権を準備する必要はない」
「低コストの政権交替」
「イラク将来計画」を準備していた国務省から国防総省に主導権が移る

開戦前からSCIRIは米軍の対イラク軍事占領に反対、ORHAのINC重用を批判
ナースィリーヤでの亡命イラク人会合に
SCIRIやダアワ党は「外国勢力が招待する会議には参加しない」とボイコット
ガーナーはSCIRIの2002年以来突出した政治力を薄める為、
ダアワ党を対抗馬として起用

 (2)「純然たる国内派」の出現と移植された「協力者」との関係
ガーナーと「在外協力者」による新政権作りは早々に頓挫
CPAへ:米政権の対イラク戦後方針の変更
米政権が暫定政権設定を見送ることになった最大の原因は、戦後イラク国内での
予想外のシーア派イスラーム勢力の反米意識の高揚だったと言えよう。

 戦後組織的な動員力を発揮したのは、シスターニ師やサドル派などの
国内起源のイスラーム勢力
外国勢力とは一切協力関係を持たなかった「純然たる国内派」の台頭
「対米協力者」は「純然たる国内派」と対立するか、共闘関係を築くか選択
「対米協力者」は「純然たる国内派」との関係を軸に再編・強化せざるを
得なくなった
それは、しばしばCPAのイラク統治政策と齟齬をきたし、最終的には米政権の
意向を越えて一定の自律性を以ってイラク国内での権力基盤の確立を進めること
となった。

 <イラク戦争後の「協力者」の自律化>
 イラク戦争後、「国内協力者」が、米政権のイラク統治政策に反した
行動をとり、かつその政策を変えさせた事件は、少なくとも三回ある。
第一は2003年末以降活発化したシーア派住民の間での直接選挙要求
第二は主権移譲に際しての暫定政権人事
第三は2005年一月の国民議会選挙の結果

 (1)シーア派宗教界による直接選挙要求
CPA・統治評議会合意に真っ向から対立するシスターニ師の直接選挙要求
CPAは間接選挙(コーカサス方式)を断念せざるを得なくなる
直接選挙早期実施を困難視するCPAや国連に対して、SCIRIは「実施可能」との
詳細な報告書を作成して国連派遣団の説得に当たった。
SCIRIはシスターニ師とハウザへの接近と連携を強化
SCIRI幹部がシスターニ師のワキール(代理人)に任命される(2003.3)

 (2)暫定政権成立時の「協力者」たちの生き残り工作
ブラヒミ案の実務家中心政権作りは、非政治面での「国内」性に根ざしたもの
亡命政治勢力を中心とした対米「協力者」の不十分な国内定着性を疑問視し、
暫定政権中枢から排除するもの
それに対して「統治評議会によるハイジャック」

 (3)国民議会選挙
同じ対米協力者でも「国内協力者」の「在外協力者」に対する勝利
「在外協力者」として国内支持基盤を持たないチャラビもまた、対米衝突を起こ
したサドルの懐柔工作を通じてハウザとその周辺の地方名士との関係構築に成功

 アラウィ首相は、政府与党連合を組み、同じ与党たるSCIRIやダワワ党にも
参加を呼びかけていた。両者は十月末までの逡巡を経て、イラク統一同盟へ
 クルドも同様に暫定政権と別枠での立候補を決める
 
 SCIRIやクルド政党といった「国内協力者」が、戦争を前提に米を国内政治
対立に誘導するこれまでの立場から転じて、「在外協力者」との連携維持よりも
国内基盤を拡充し今後の国内政治における優位を確保することを優先した。
その決裂に対するイラク国民の審判は、「国内協力者」への支持として表れた。

 湾岸戦争以来米政権が登用してきた「在外協力者」の個人亡命政治家は、
イラク統一同盟に参加して生き残りに成功したチャラビを除いて、
惨敗を喫する結果になった。

 <結語>
「国内協力者」の中でもシーア派イスラーム主義勢力は、「純然たる国内製力」
との連携、協力関係の構築を選んで他の対米「協力者」と歩を異にし、
国民議会選挙では米政権が進めてきた親米派亡命イラク人を核とする
戦後のイラク政権構想と離れて、独自の派閥を構成するに至ったのである。

 旧体制の転覆=イラク戦争とイラク人による新たな政権の確立が
同時に進まず一年以上の時間を空けたこと。
その空白期間に、対米「協力者」の中で元来政権交替の意思と
国内経験を持つ勢力が、実質的な体制「交替」を実現していった。
ここでいう「交替」とは、軍事的にフセイン政権を追放するという
「戦争」という行為そのものではなく、戦後に残された体制自体の変革である。
歴史的に国内で反フセイン活動を展開してきた政治勢力こそが、
「交替」の最終段階である「新体制確立」の部分を担ったということになろう。

 1998年以降の米政権の対イラク干渉は、「交替」の発端を切り開く
「政権転覆」能力を持っていたにも関わらず、
「交替」の行き着く先を射程に入れていなかった。

 「外国」主体がイラクの政権交替を推進する上で、古い干渉パターン
(イラン・シリア)と、新しい干渉パターン(米)とで極めて対照的であった
にも関わらず、国内で政権交替を担ったのは、ともにクルド勢力とシーア派
イスラーム勢力という同じ政治主体だった。
イラク戦争による「政権転覆/交替」もまた、軍事力による「転覆」という点で
の新規性はあるものの、「交替」の側面においては、イラク国内の政治対立構造
の中で生きる諸勢力が大国を巻き込んで、その対立を国際化するという伝統的
手法の一例として機能したに過ぎなかった、と言えよう。」

「イラク戦争による政権転覆」介入する外国主体と国内反政府勢力の関係
(「国際政治」141号2005年5月:酒井啓子)