ドキュメンタリー映像「ファルージャ 2004年4月」土井敏邦
  DVD・VHS(55分):3500円 
 申し込み・問い合わせ:falluja2004@hotmail.co.jp

 第1章 米軍によるデモ銃撃事件
 第2章 米人4人の惨殺事件の背景
 第3章 米軍4月侵攻の住民被害

 
「米軍はイラクで何をしたのか―ファルージャと刑務所での証言から」
岩波ブックレット 504円
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0093310/top.html

I ファルージャで何が起こったのか
II 米軍によるファルージャ無差別攻撃
III 医療関係者たちの証言
IV 米軍と闘った住民
V ファルージャの歴史
VI イラク軍元将軍の拷問死
VII 囚人虐待――聖職者の証言
VIII 囚人とされた女性たちの証言
 あとがき

 この岩波ブックレット取材時の記録映像が、このドキュメンタリー映像作品
です。

 全く同じ取材から作成したこの映像作品は、岩波ブックレットの内容の
上記のTからXとほぼ全く同じ内容です。

 しかし、書籍の文字情報だけよりも、やはり映像は、はるかにリアリティを
突きつけてきます。

 はっきり言って、目を覆いたくなるような映像もいくつかありました。
こびり付いた血痕だけでなく、壁にこびり付いた髪と頭皮、子供のミイラ化した
足先、、、


 2004年4月のファルージャへの米軍の攻撃に対して、スンニ派とシーア派
という宗派の違いを超えて、イラク全土からファルージャを救え!という運動が
瞬く間に巻き起こりました。
 ファルージャ攻撃を命じられた新生イラク軍は、半数以上がその命令を拒否、
逃亡したり、武器をファルージャ住民側へ手渡したり、あるいは住民側に立って
戦いました。
 シーア派のサドル派も援軍を送りました。
シーア派とスンニ派の結束は万全のように思われました。
ファルージャで戦っていたのは、アルカイダ系ではなく、そのほとんどは、
地元のレジスタンスでした。

 しかし、それから、わずか七ヶ月後の2004年11月のファルージャ攻撃において
は、事態は一変してしまいました。
 ファルージャを救えという声は、全く聞こえてきませんでした。
新生イラク軍も今回は命令拒否したのは少数だったようです。
サドル派は個人的な援軍は送ったようですが、全面的支援というわけでも
ありませんでした。

 シーア派は、戦略的第一目標である年内選挙実施に全力を傾注していました。
クルドも同様です。
スンニ派は、選挙の半年延期を求めていました。

 調停役たるムスリム・ウラマー協会と武装勢力とも齟齬がありました。
その後、聖職者達は米軍により次々と逮捕・拘束されました。
スンニ派のイラク・イスラム党は、ファルージャ攻撃に抗議し、暫定政権から
離脱しました。
 もはや停戦を調停する者すらいませんでした。

 一体何故こんなことになってしまったのか、私にはいまだに理解できません。

 一つには、アルカイダ系の外国勢力が伸張したこともあると思います。
 スンニ派武装勢力自身が、イスラム原理主義過激派へと一層傾倒しつつあった
ようにも思えます。
アルカイダ系だけでなく、地元武装勢力自身が、人質を残酷に殺害する戦術を
採り出したと思います。

 アルカイダ系の一般市民をも多く殺傷する外国勢力は、正真正銘のテロリスト
です。

 スンニ派の地元レジスタンス達も、もはやレジスタンスという名に値する質を
持っているのかどうか、私には、もはや分からなくなってしまいました。

 ただ、一言でスンニ派武装勢力といっても、数十のグループがあるわけです
から、十把一からげに、論ずることは間違っていると思います。
 ある組織はテロに手を染めているかもしれませんが、だからといって、
全ての武装組織がテロを行っていると断定するとしたら、それは論理的にも
誤っています。
 あくまでも、罪のない一般市民を殺傷する行為がテロなのであり、テロを
行った実行行為者がテロリストです。
 テロの実行行為者は処罰されねばなりません。
それが個人的な犯行なのか、組織方針を担った組織構成員の一員としての犯行
なのかによって、処罰の対象は広がります。

「ファルージャ 2004年4月」ドキュメンタリー映像:土井敏邦