2002年春、ブッシュ政権が出した法案「落ちこぼれゼロ法案」
(No Child Left Behind Act)に、
「米国内の高校は、米軍リクルーターに生徒の個人情報を渡すこと。
 拒否した場合は州からの助成金が打ち切られる」
 成績、親の職業・年収、国籍、市民権の有無、住所、携帯電話番号等々、、が
米軍リクルーターは、これらの情報を手に、貧しい地区の高校生を次々に
ピンポイントで勧誘してゆく。

 2003年の新兵数は21万二千人。
 リクルーターは、入隊と引き換えに、大学費用、健康保険、職業訓練など
貧しい若者達が喉から手が出るほど欲しがっているものを約束する。
 市民権も条件に加え、三万七千人の非市民を入隊。
入隊した兵士達の志望理由のNo.1は大学費用。
入隊すると最高五万ドルまでの大学費用を約束。

 NYのNGO「インターナショナル・アクション・センター」のデータによると、
入隊してから実際に軍から大学費用を受け取る兵士は全体の35%、
その内卒業するのはわずか15%だという。
大学費用を受け取る為には1200ドルの前金を支払うという条件が付いている。
貧しさから逃れようと入隊した若者にその金額は厳しい。
実際受け取る大学費用は平均を遥かに下回る額の為、
安い時給でアルバイトしながら通学する二重生活の辛さに、
多くの兵士は、結局続けられずに途中であきらめてしまう。

 大学費用に次いで魅力的な入隊条件は健康保険だ。
米で健康保険を持たない人口は約4500万人。
これに加えて2005年には新たに75万人の子供が健康保険を失う。
それに反比例して医療費は上がり続け、自己破産を宣告する理由の半数以上が
高すぎる医療費が払えないことが理由になっている。
軍人は兵役中は国防総省の傘下にいるが、帰国後は退役軍人会(VA)が責任を持つ
VAは一切の医療サービスを無料で提供する。
しかし米政府はVA予算を2003年から毎年一億ドルずつ減らしていった。
その為、VAの病院は次々に閉鎖される。
NY州ではVAの病院に診察を頼んでも予約は一年先まで一杯。
その為、現実には他の病院で有料で治療を受けざるを得ない。

 国防総省の俸給表では、最下級兵士の給料は年収で15550ドル。
毎月の給料の中から学費の前金として100ドルや生命保険の20ドルなど
さまざまな諸費用が天引きされる。
加えて新しい軍服(無料で支給されるのは最初の一着のみ)や細々した日用品を
買うと、手元に残るのはほんのわずかになってしまう。

 兵士のカウンセリングで一番多いのは経済的な問題だという。
「生活苦から逃れたくて入隊しても、結局は弱肉強食のアメリカ社会と軍という
 ピラミッド型システムの底辺から底辺へと横にスライドするだけだ」

 バグダッドの兵士達は自らローンを組んで防弾チョッキを購入したという。
「多くの兵士がイラク人の家のドアを叩き、靴下などの日用品と引き換えに水や
食料を貰っていた。帰国した後もまだ防弾チョッキのローンを払い続けている」

 米国のホームレス協会の調査によると、現在米国内には約350万人の
ホームレスがいて、その内の50万人が帰還兵だという。
VAがサービスを提供できているのは、その内わずか10万人だ。
残りの40万人は何のサービスも受けられないままに放り出されている。

 アメリカでホームレスがシェルターを申し込む時には色々規定がある。
最優先されるのは家庭内暴力を受けて家を逃げ出した人間で、殆どが女性だ。
優先順位の項目リストに「帰還兵」は入っていない為、
申し込んでも必ずリストの一番下になってしまう。


 米国で貧困ライン以下の生活をしている人口は3460万人。
二人家族で年収140万円以下。

 米国で次にいつ食べ物を口に出来るかわからない「飢餓人口」は、3100万人。
2004年の農務省の報告では、国民の十人に一人が政府の食糧配給切符で生活して
いるという。

「貧しさから逃れたいばかりに入隊する若者達
 歩兵隊に行かされたくないあまりに過剰なリップサービスをしてしまう
 米軍リクルーター
 戦場で極限状態の恐怖に晒されながらも翌月の家賃の心配をする薄給の兵士達
 帰国後に無用のごみのように棄てられる、増え続けるホームレス帰還兵達
 彼らは皆、弱者ががんじがらめにされるアメリカ社会で
 『戦争というビッグビジネス』を続ける為の捨て駒なんです」


 <私の感想>
 真実を正確に認識することは至難の業だと思っています。
 この記事のデータが事実かどうか、私には確信がありません。
 もしかしたら、一面的なデータ、恣意的なデータなのかもしれません。
 しかし、もし、事実だとしたら、私にとってはかなり衝撃的な記事でした。



「そして息子は戦死した」

 NHK地球街角アングル(2005.4.17(日)放映)

 スー・ニ−デラーさんは、一人息子(セス大尉)をイラクで亡くしました。
はやくに離婚し、女手一つで育て上げました。
大学に行く為に借りた学費のローンが120万円あり、早く返済したいと考えて
いました。
「息子は家計のため必死で働く私の姿を見て育ちました」
「自分に借金が重くのしかかり焦っていたのね」
 
「君なら仕官になれる。士官になれば戦争になっても前線には行かない」と
勧誘されました。

 休暇からイラクに戻る時、涙ながらにこう語ったという。
「本当はイラクには戻りたくない。
 敵がだれなのかすら分からない。全てが無意味だ」
「しかし部下を見捨てる訳にはいかない」と言い残し、去って行きました。


 米陸軍のリクルーターは7500人、月に二人の志願兵を獲得するという
ノルマが課せられています。

 スーさんは今、リクルート・ステーションから出てきた若者達一人一人に
声を掛ける活動を続けています。
パンフレットを手渡していました。 
「軍の勧誘に関する問題や軍隊に行かずに大学へ進む方法などが書いてある」
「いつでも電話ちょうだい」

戦死者が眠るアーリントン国立墓地への埋葬を拒み、
自宅近くの墓地に息子の亡骸を納めました。

「イラクの戦場に送られる若者たち」:堤未果(世界5月号)