<見せしめとしてのファッルージャ攻撃>

 真っ先に米軍に占拠されたのは、ファッルージャの病院であった。「主権」を
持つイラクで、死傷者が出たときにその被害報告を行うのは各地の病院であり、
病院を管轄する厚生省である。病院を制圧したのは掃討作戦での民間イラク人の
被害者数を隠蔽したかったからではないか。
 戦闘中、医療救援物資を搬入しようとした国際赤新月社のファッルージャ入り
を米軍が拒否したことにも、こうした意図を見て取ることができる。
 それだけ、民間人の被害の大きさが最初から想定される作戦であった。

 ファッルージャとその周辺が、イラク国内の多くのテロ行為の拠点となって
いたことは事実である。
 非イラク人の反米武装勢力がこの地を中心に活動を展開していたことは確か
だし、そうした非イラク人武装勢力の存在は、誘拐団のような一般犯罪者同様、
イラクにいる欧米人以上にイラク人にとって多大な脅威であり、早急に対処しな
ければならないものであった。ファッルージャとその南の延長にあるラーティフ
ィーヤやマフムーディーヤは、イラク人自身も移動できないほど、危険な地域に
なっていた。
 しかし問題は、そうした「危険」を取り除くためにファッルージャという街
一つを壊滅させるような軍事行動が適切だったか、ということである。
 組織的武装勢力はむしろ大規模戦闘開始以前にファッルージャから他地域に
移動し、イラク中・北部で反米武闘作戦を拡大している。
 ファッルージャ攻撃は非イラク人武装勢力を直接排除することを目的とした
ものではなく、「反米テロリストをかくまう」住民を見せしめ的に攻撃すること
を目的としたものとして映る。

 
 <第二次ファッルージャ攻撃の問題点とは何か>

 ファッルージャなどユーフラテス上流地域がフセイン政権の支持基盤ではなか
ったことは、1995年にファッルージャ西のラマディで、当時のフセイン政権を
揺るがす最大のクーデター未遂事件が発生したことを想起すれば、容易にわかる
ことだろう。
(第一次ファッルージャ攻撃に対しては)スンナ派で唯一の親米イスラーム政党
であるイラク・イスラーム党、ムスリム・ウラマー機構(日本のメディアでは
聖職者協会)も停戦交渉に加わり、反米派、親米派ともにファッルージャでの
衝突を終わらせようとの強い意思統一がイラク人の間に見られた。


 <「イスラーム自治体」建設と米軍の危機感>

 ファッルージャには五月半ば頃から、厳格なイスラーム統治を主張するイラク
のイスラーム主義者が勢力を確立していったようだ。
 アブダッラー・ジャナービを中心とするムジャヒディーン・シューラー評議会
が、二十近いスンナ派イスラーム系組織を束ねてファッルージャでの「自治」を
確立し、イスラーム法に基づく共同体運営を進めていった。
 参加勢力には、アンサール・イスラームも含まれていたと言われ、イスラーム
「過激派」の支配する「首長国」と化しつつあったのである。

 ジャナービを核としたファッルージャのイスラーム自治体は、九月頃には
ラーティフィーヤやマフムーディーヤにまで拡張の兆しを見せる。
このラーティフィーヤにスンナ派の「ファッルージャ首長国」が足を伸ばして
きとことは、シーア派社会にとって新たな懸念材料となるものだっただろう。
スンナ派のイスラーム「過激主義」といえばワッハーブ主義との連関が想像され
るが、ワッハーブ主義は「シーア派の敵」であった。そのシーア派社会にとって
、首都バグダードとナジャフ、カルバラーのシーア派聖地を結ぶルートが
ラーティフィーヤ・マフムーディーヤでスンナ派過激派に遮断されたことは、
大きな脅威と映る。


 <ムスリム・ウラマー機構の発言力低下が意味するもの>

 第二次攻撃が第一次攻撃と異なっているのは、調停者不在だという点である。
ムスリム・ウラマー機構の発言力低下、他政治勢力との信頼関係の喪失は、八月
末からはっきりとしてきた。
四月の日本人拉致事件でも明らかになったように、ウラマー機構はしばしば、
外国人を拉致する武装勢力に対して解放を呼びかけたり暴力行為の行き過ぎを
説諭したりして、スンナ派の反占領抵抗運動に一定の行動規範を与えてきた。
彼らが提示する「処刑対象の基準」は、徐々に自己弁護的になっていく。
人質に対する処刑方法が残虐視されればされるほど、ウラマー機構は殺害行為を
戒める方向の発言を強めるものの、その一方で「占領軍と殺害することは抵抗
運動として正当な権利」との立場は堅持していたため、常に判断が揺れていた。
 ウラマー機構が繰り返し強調してきたのは、「武装勢力を孤立させてはいけ
ない」ということである。
 停戦交渉に関与し続けていたウラマー機構は、十月半ばに停戦交渉が完全に
暗礁に乗り上げた途端、その幹部を次々に米軍に逮捕された。
イラク・イスラーム党も暫定政権からの離脱を決めた。


 <スンナ派とシーア派の現状をどう見るか>

 スンナ派社会を代表して政府に参画しうる政治勢力はいなくなってしまった。
 暫定政権は「スンナ派全体を力で潰しても政治プロセスを進める意思を持って
いるのだ」
 占領の最も残酷な被害を体現しているだけでなく、政治プロセスから置き去り
にされているという意識が、スンナ派社会をますます戦後体制への参加に消極的
にさせているのである。

「米軍のファッルージャ攻撃はイラク社会分裂をもたらす」:酒井啓子(「世界」1月号)