NHKで数ヵ月前に、アーカンソー州の州兵が召集令状を受け取り、
イラク派遣前に軍事訓練を受ける様子を描いた作品を観ました。

 今回の作品は、前半は前作を、後半は、イラク現地での彼らの様子を描いて
いました。

 州兵は地元で災害が起きた時、救援活動に当たるのが主な任務です。
月に一度の訓練以外は普通の市民として暮らしてきました。
志願の理由は人それぞれでしょうが、月三万円の手当てがでます。

州兵がイラクへの出動命令を拒否すれば軍法会議に掛けられ、重い刑罰の対象と
なります。
州兵や予備役四万人を派遣することに決まりました。
期間は訓練を含めて730日。
 2003年10月体力トレーニングが始まりました。十代から五十代までの男性。
お腹がたっぷりと出っ張った中年男性が多かったです。
ですから、そのトレーニング風景には、むしろつい笑ってしまう光景でした。
 2003年11月からテキサス州で四ヶ月間訓練を行ないました。
 2004年3月クウェート着。
アーカンソー州は全米で最も多い四千人の州兵を送り出しています。
州兵を二年間務めれば大学の奨学金を貰えます。
若者のほとんどはそれを当てに登録していました。
イラクへ行くことを希望していた州兵はこの部隊にはいません。
アーカンソー州から持ってきた車輌は全て1950年代から一度も更新されていま
せん。
州兵の部隊が陸軍の装甲車を使うことはできません。
連邦政府の管轄する陸軍と各州の管轄する州兵は全く別の組織だからです。
廃材の中から鉄板を拾い出し、溶接して補強していました。
鉄板の数が足りないので、防弾チョッキをドアに縛り付けていました。
「国防総省は何を考えているんだ」
2004年4月バグダッド着。
部隊にはバクダッド周辺のパトロールが命じられました。
地元のイラク人警察官が同行します。
武装性勢力が攻撃の際、身を隠す為に使っている民家の垣根を撤去する作業。
まず、周囲に罠や地雷が仕掛けられていないか慎重に調べます。
垣根を壊す承諾を得る為、所有者に会いに行きます。賠償金を支払うと交渉する
も、所有者の同意は得られませんでした。しかし作業は開始されました。
これ以上待つ余裕はないという判断でした。
「米軍のやり方はいつもこうだ」
垣根の主柱を倒した時に、誤って水道管を壊してしまいました。
「またイラク人の敵を増やしてしまった」

フセイン政権時代の武器庫の処理。
大量の弾薬が無防備に放置されています。
反米勢力が武器を調達する場所となっていました。
「こんな場所があるなんて全く信じられない」

 召集前とは一変した現実にさらされています。

「州兵には登録するな。学費は俺達が稼いでやるから」

 4月24日朝5時、基地に迫撃砲着弾。破片はコンテナの壁も貫通。
死者四人、負傷者多数。全てアーカンソー州兵でした。
基地の中でさえ死と隣り合わせであることを実感させられた州兵達。
「私達の使命が何なのかそれを実感することができない」
防御強化にコンテナに土のうを積んでいました。

 6月28日主権の移譲を受け、州兵の任務も必ずイラク側の要請を受けて行う
という形に変わりました。

 アーカンソー州兵が復興支援を担当する街フセーニア。
毎週町の議会で住民の意見を聞き、復興支援策を決めます。
議員達は各部族・宗派から占領軍によって指名。
長期独裁政権下にあった為、政策決定に加わった経験がほとんどありません。
「みんな好き勝手に発言してばかり。これじゃ何も決まらないよ」

アーカンソー州兵は町の議会の要請を受け、24時間体制で町のパトロールを行う
ことになりました。
フセーニアは人口五万人弱。シーア派が多数。
軍や警察に協力するイラク人とその家族が武装勢力に相次いで襲撃されています。

パトロールは安全の為、必ず車輌五台で隊列を組んで進みます。
この町にはサドル師の支持者もいます。
7月15日武装勢力の攻撃を受け、車輌の一台が爆発炎上しました。
乗っていた四人の州兵は軽い怪我を負いましたが、何とか脱出に成功しました。
「俺は大丈夫なのか? 俺達は何故ここにいるんだ? こんなことの為にイラク
 へ来たのか?」

「ここの現実は俺の想像をはるかに超えていた。こんなに死者が出るとは考えて
 もみなかった」
「これから先うまくやっていく自信が持てない。イラクに来て見たもの、そして
 体験したこと。その一つ一つが心に重くのしかかっている。眠ろうとしても
 頭から離れないんだ」

アーカンソー州兵のイラク駐留、11月までの八ヶ月間で戦闘による死者は23人、
重傷者は二百人を超えました。

「イラク駐留アメリカ州兵部隊」:NHK