「アラビアのロレンス」と共に、イギリスの諜報活動、政府統治顧問を担い、
「砂漠の女王」と呼ばれたガートルード・ベル女史を中心に、イラク建国に至る
話が展開する。

1919年パリ講和会議にベルもロレンスも出席し、アラブ人への約束を果たす
為に尽力するが、列強代表の横車の前で蹉跌を余儀なくされる。

1921年3月カイロ会議。植民地相チャーチルは、、ロレンス、東方秘書官ベ
ルを召集した。ベルはチャーチルにファイサルをイラク国王に提案する。ベルは
キルクーク油田の権益も考慮に入れ、地図に国境線を書き込んでいく。ロレンス
はクルディスタンは異質だと反対した。「この青二才!」ベルは怒鳴った。
この瞬間、新国家イラクの国境線は決定した。

 第一次大戦下、反英武装蜂起をイスラムの聖戦の名の下に組織しようとした
「ドイツのローレンス」たるヴァッスムスとニーダーマイヤーの活動もかなり
詳しく叙述されてる。
 しかし、アフガニスタンではイギリスの財政支援に競り負け、ペルシャ(現イ
ラン)南西部では一定の反英武装闘争を組織したことが描かれている。

 1920年のイラクでの反英武装蜂起に対して、ベルは、
「アラブ人にとって英軍は解放軍ではなく、しょせん新しい支配者が到来したに
 すぎない。面従腹背、おりあらば「どちらかの勝ち馬に乗ろう」という構えで
 ある」と称する。

「「父性」を欠いてはアラブは支配できない」

「彼女は見逃さなかった。ファイサルの政府の中核は、多くがメソポタミア出身
 のアラブ人から構成されている。彼らはもともとトルコの軍人で、近代式訓練
 を受け、欧化したアラブ人である。だが、軍の敗走とともに、ファイサルのも
 とに身を寄せたのだ」
「ベルはいち早く予見していた。将来、メソポタミアに誕生するアラブ政体は、
 彼ら軍人がきっと核になる」

 ベルは、語る、
「当地の唯一の活路は、はじめから(住民の)政治的願望を認めてやることです
 。われわれの鋳型にアラブ人を押し込めようとして、自縄自縛に陥らないよう
 にすることなのです」

 <死者の都>
「オアシス都市ナジャフはネクロポリス(死者の都)である。
 郊外は見渡す限り墓また墓なのだ。墓地は二十平方キロ以上あって、イスラー
 ム圏全土から運ばれた遺骸が安らっている。裕福なシーア派信徒は、死して後
 、この地に遺体を運んで葬ってもらうのが念願なのだ」
「ホメイニー革命後の米国歴代政権が試みたような、この双生児(ペルシャとメ
 ソポタミア)の分断策はやはり無理があるのだ。イラクに点在するシーア派の
 聖廟都市こそ、この国を「不可能な国家」にしてきた異空間であることが分か
 っていない。生と死を交換する砂漠の「気泡」ーナジャフのようなネクロポリ
 スは、近代国家を不可能にする「パンドラの箱」ではないか」
「ナジャフは一種の濾過装置と言っていい。国家が発芽する直前に、その共同幻
 想をハウザに転移してしまう。これは単なる国家観念の「未発達」ではない。
 聖廟都市という「禁制」が部族と国家のあいだに介在して国家として完結でき
 ず、ハウザを通してイランなど「外部」に開孔してしまう構図が見えてくる」
「ユーフラテス西岸地帯は、遊牧民を定住民に変える濾過装置の役を果たす」
「定住と漂流の「攪拌」」

 シーア派の最大イベントたるアーシュラーの祭礼が異様な狂熱を帯びるように
なったのは十九世紀後半からだという。
「これは、失われゆくベドウィンの荒ぶる魂の代償だったのだろう。ナジャフの
 アーシューラーは、遊牧から定住へ移行するシーア派社会そのものの劇化」
「ただ、それが国家という共同幻想の形成には、どこまでも障害となったことは
 否めない」

「本来、超国家だったイスラームは、近代化の黎明とともに民族主義へ接近して
 いったのだ。イスラーム共同体(ウンマ)という概念しかなかったところに、
 はじめて国(ワタン)という概念が生まれたのである」

「実は、ベルもサッダームもブレマーも、手法こそ違え、同じことをしているに
 すぎない。多数派(シーア派)の封じ込めーデモクラシーの原理の否定が、
 アメリカの言う「イラク民主化」とはいかなる皮肉だろう」

「英国はオスマン帝国と同じく、近代法治を部族社会に接木できると考えていた
 。だが、外挿された国家は部族製と教団が一体化した存在を許容できない」

 クルドの雄ムスタファ・バルザーニーの「台頭と挫折には、この部族支配の
 限界の逆説が凝縮されている。しかしイラクという人工国家もまた、近代国家
 を薄皮のように貼りつけただけで、実態は非均質な部族制社会の割拠にすぎな
 い。とすれば「国父」を演じつづけたサッダームの強権も、君臨する必然があ
 ったことになる。米国の単純な「サッダーム悪玉論」はその逆説を見落として
 いた」


 <エピローグ>国家の原点
「戦後の治安悪化と統治混乱は、単にテロリストの流入や行政技術的な失態とい
 うより「国家の不可能」が露呈してきたからではないのか。「民主化」を旗印
 にしながら多数派(シーア派)を封じ込めなければならないというデモクラシ
 ーの根源的背理に、アメリカは何の解も与えることができない」

 民族国家という虚構
イラク:「初めは傀儡アラブ人王政、次はコミュニズムと結託した軍事独裁、
そして汎アラブの擬似社会主義政党(バース党)独裁、そしてサッダーム個人
崇拝の恐怖政治と強権支配が続いたのは、部族制の根強いこの地では近代西欧型
の完結した国民(民族)国家が不可能だからだ

「イラク建国「不可能な国家」の原点」安部重夫(中公新書)