<まえがき>
「イラク国内に住む人々を抵抗運動に駆り立てる社会的経済的不満の構造が、
現実の世界において変わらない限り、占領に対する反抗がやむことはない
だろう」「国民不在の、力任せの強圧的政策だとしか見えていない」(p.ii)

 <第一章>帰還
「イラク人という「国民」意識と社会はサダム・フセインという独裁者の支配の
もとで、息の根を止められて、死に絶えていたと思っていた。死に絶えているか
らこそ、そこに新しい社会、新しい「市民社会」を簡単に築くことができる、
と考えたのである。だが、大いなる目算違いは、人々も社会も死んでいなかった
ことだ。それどころか、国際社会が気がつきもしなかったような社会的ネットワ
ークが、独裁が外れた途端に活き活きとイラク国民の生活の表面に浮き上がって
きた。占領軍となった米英は、廃墟に新しい家を建てるのではなく、均したはず
の大地にしぶとく張りめぐらされた根株に足を取られて、身動きがとれなくなっ
ている」(p.6)
「国民の不満のトップ(80%)に電力問題をあげている」
電線に使用される銅が高く売れるため略奪も起きている。
「不満項目の飲料水不足は49%」
通信網の回復もはかばかしくない。
「首都の目抜き通りに一日数回、交通整理が行われている」(p.12)
夜の11時ともなれば夜間外出禁止令。
イラクに銃社会が定着してしまっている。麻薬・売春の蔓延。
 フセイン政権に土地や家屋を接収された者達が、権利を主張し、武装した部族
集団が大挙して住民を追い出す。
 フセインの政治的目的から優遇措置が取られてきたパレスチナ人の追い出しも
多発。
 射殺された略奪者の部族が、部族的慣習である同害報復を利用して、相手部族
に「血の代償金」を求める。

 イラク人へのアンケート:「米英が戦争に踏み切った理由」
・石油利権の確保のため   :47%
・イスラエルの安全保障のため:41%
・大量破壊兵器を破棄するため: 6%

 イラク人へのアンケート:「望ましい政体はなにか」
・連合国の監視の下にないイラク・テクノクラートによる政体:62.8%
・アメリカの監視の下でイラク人顧問が運営するもの    :23.6%
・イラクの政党による政体                : 5.6%
・CPA任命の政治評議会                : 5.2%
 回答者の85%が「イラク政党はイラク人の意見を代表していない」

 一概に「これが大勢の意見が」といえるような意見が、存在していない。


 <第二章>フセイン、最後の戦い
「9.11事件は中東問題をアメリカの国内問題に変えてしまった」
「アメリカの国民がテロの不安に再び駆られることなく、安心して生活できるた
 めに、政府がそのために常に努力しているのだということを示すために、中東
 で「テロに対する戦い」を継続していかなければならなくなった」(p.63)
「アフガニスタン戦争での、予想外の早い軍事的成功によってであろう。ソ連を
 長年てこずらせたアフガニスタンで、わずか一ヶ月で政権の交替を実現した、
 という自信が、イラクでの政権交替も容易に可能だ、という認識を生んだ」
(p.64)
「フランスとロシアにとって最も大きな懸念材料は、(略)自国がフセイン政権
 と取り交わした利権契約はどうなるのか、(略)膨大な借金を返してもらえる
 のか、ということだった」(p.71)
国連は「イラクがこれまで輸入した819基のミサイルのうち817基を廃棄したこと
に満足している」(p.88)
「イラク兵死者数は1万人以上、民間人の被害は最低でも5千人」(p.102)

 
 <第三章>「アメリカの占領」の失敗
「米軍の圧倒的勝利のおかげで、イラク人各勢力の間での勝敗の「決着」が
 つく余地が生まれなかった」(p.117)
「ブッシュ政権のなかに、「民主化」と「伝統社会温存」と「軍事政権」という
、三つの相容れないポスト・フセイン政権構想が、並存していた」(p.130)
「アメリカが地方ごとの「草の根民主主義」の萌芽に対して、逆にこれを排除
 する方策をとった」(p.137)
「ある石油関連の国営会社では、他の組織同様、職員による自発的な選挙で新た
 な役員が選出されたが、そこで選ばれた者は確かに人望の厚い人物であった。
 だが、彼が仕事の面で優秀かどうかはまた別の問題である」(p.140)
「バグダードでの世論調査では、67.2%が「悪いバアス党員のみ」を追放すべき
 だ」とし、「すべてのバアス党員の追放」を主張する27.4%」(p.141)
「200万人にものぼるバアス党員」(p.142)
「追放された40万人の職員が一挙に生活難に陥る」(p.142)
「数十万人の軍人が職を解かれるのは深刻な社会的問題を生む」(p.143)
「結局、武装し困窮した「不平士族」が市中に徘徊することになった」
「旧軍人20〜25万人に恩給を支払うと発表」(p.143)
「フセイン時代の諜報要員が再雇用された。だがイラク国民がフセイン政権下で
最も恐れていたのは、こうした治安・諜報関係者の監視統制である」(p.146)
「統治評議会には、「閣僚の任免権、憲法制定準備委員会の設置、予算の執行」
といった権限が(最終的にはブレマーに拒否権があるとはいえ)与えられた」
(p.154)
シーア派法学権威は「憲法の制定が外国の占領者に任命された人々によって進め
られてはいけない」統治評議会は「宗派分断的でイラクを分割しようとの(米英
の)企み」(p.159)
イラク共産党機関紙は「アラブ諸国の左翼活動家達のフセイン「英雄」視」を
批判(p.160)
「親アラブとされるアル=ジャズィーラ放送の記者が、イラク国内で住民から
 露骨な嫌がらせを受けることも発生している」(p.161)
「多くのイラクは出稼ぎ、難民となってヨルダンに流入、そこで受けた冷遇の
 記憶が反ヨルダン感情となってくすぶっている」(p.161)
アラブ連盟は統治評議会に対してなかなか「認知」しなかった。(p.162)


 <第四章>宗教勢力の台頭
「崩壊した「国家」の代役を果たしたのは、もっぱら宗教的ネットワークや部族
 的紐帯などに支えられた地域共同体であった。」
「国家に徹底的に侵食されたと思われていた「社会」が、存外に自主性を維持し
 ていたのはなぜなのだろうか。アメリカは「イラクの民主化」という高邁な
 理想を掲げたが、その「民」が帰属する「イラク社会」をどこまで理解して
 いたのだろう。そもそもポスト・フセイン体制下の新しい政権がよって立つ
 べき「社会」とは、一体何なのか」(p.170)
「実際に政権が倒れてみれば、「社会」は不在ではなかった。そこではっきりと
 表出した「社会」とは、アメリカが最も見たくなかったはずの「イスラーム」
 であった」(p.170)
「シーア派の宗教的行事:聖地カルバラへの行進に、100万人もの信者が参加」
「シーア派の宗教行事は、常に地域共同体と一体となって運営されていた」
「バグダードのサウラ地区ではサドル派が制し、民兵6千人が配備され、地域の
 秩序回復が急速に進められた」(p.176)
「バグダードの33の公共病院の三分の一から半分が、イスラーム主義勢力の管理
 下に置かれた」(p.176)
・ハウザ:宗教的知識人サークル・学界
・ウラマー:イスラーム知識人
・ムジュタヒド:イスラーム学者
・ファトワー:イスラームの法学判断
「特に地方社会においてはアメリカの主導で地方議会が設置される以前に、宗教
 勢力が行政サービスのみならず、政治的指導性を確立しつつあった。アメリカ
 は、このようにすでに自律的な行政、政治システムを担いつつあったイスラー
 ム勢力を、あえていったん排除して新たに別の「親米」知事や評議会を植え付
 けていった」(p.182)
「すべての権力をハウザに」というスローガン
「シーアもスンナ派もない、統一イラク」というスローガン
「イラク建国前夜の1920年。シーア派とスンナ派が合同で宗教行事を執り行い、
 この行き来のなかで、宗派を超えた反英運動を拡大していき、最終的に全国的
 な反植民地抵抗運動に発展していった。こうした建国時の「祖国愛」を人々の
 心に喚起しようという意図が見え隠れしている」(p.185)
「サドル派の既存の宗教的権威に対する挑戦はとどまるところを知らない」
(p.190)
「イスラーム勢力が軍閥のような様相を呈していく」(p.201)

 イラク人世論調査
・8割が「アメリカ主導の占領統治に不信感を露にしている」
・7割が「イラクの宗教指導者を信頼する」
・9割が「イラクで今必要なことは民主主義」
「すべてのイスラーム的なるものの台頭に対して、過度に敏感な反応をして
「イラク国民の政治参加」を遠ざけてしまったアメリカは、フセイン政権と
 同じようにイラク国民とは遠い存在となってしまった」(p.209)


<終章>イラクはどこへ
「「テロに対する戦い」が「テロを拡大する戦い」に転じる」
「米企業が地元企業に入札を行う際、最初は百企業以上が殺到していたのに、
 その後その数は急速に減少している。事業を欧米企業や湾岸産油国のアラブ
 企業に取られてしまうことに、フラストレーションを強める」(p.221)
「アメリカに露骨に排除されたヨーロッパ諸国にとっては、イラク人政権が復興
 事業の主体となることが、現時点で復興に堂々と参加できる唯一の機会」
 (p.226)
「欧米型民主主義を望む者とイスラーム的な政権を望む者とが拮抗し、政体は
 政治性よりテクノクラートなどの非政治的存在によって担われるべき、
 という意見が強かった」(p.226)
「「食料のための石油」輸出計画という名の下で、国連がイラクの石油収入を
 国連活動に利用してきたことは明らかであり、その意味では国連すらも
 「イラクの富を掠め取るもの」と見なされていた側面は否めない」(p.227)
「生活インフラの回復すらままならない現状で、アメリカが唯一熱心に行って
 いるのは、イラク国営企業の解体と民営化である。200件にのぼる国営企業を
 独立採算性に移行する」「2004年春までの民営化計画の大綱を完成すべしと
 するCPAの予定通りに国営企業の民営化が進められれば、職員50万人が職を
 失う」(p.227)
「日本企業に最も多く建設事業を発注した国、イラクは77年と78年、81年には
 第二位、79年と80年にはトップ。イラクとの貿易相手国も仏独と並んで常に
 トップ」(p.229)
「イラクは今、国家解体ではなく、国家建設の長い道のりの入り口に立っている
 」(p.238)

「イラク 戦争と占領」酒井啓子(岩波新書)