「サダムの時代」相原清、久保健一、柳沢亮之
 (中央公論新社)1800円+税

 読売新聞に連載されたものに大幅加筆されたものだそうです。
 
・元バース党中級幹部のガジ氏
・反体制作家のシャウキー氏
・クルド人女性兵士のカフィーヤ女史
 この3人の若い頃からの生き様を描いている。

 ガジ氏は十代でバース党に入党。投獄経験も持つ。
 アラブ民族主義と社会主義に正義を見出していた。
バース党政権下で教育・医療が無料になる。これはガジ氏にとって偉大な成果で
あり、その為にこそ自分は頑張ってきたのだという喜びと確信に満ちていた。
「ほとんど例外なく、住民はガジ氏の言うことに従った。支配政党の威光は、
 本人が好むと好まざるとにかかわらず、ガジを地域の絶対権力者に押し上げて
 いた」
「教師のほとんどは党員であり、学校で子供に両親の考えを尋ねるため、親は子
 供にさえ本音を語ることができないといわれた。恐怖による支配−それがフセ
 イン体制の本質だった」
 独裁者が情報統制を行うのは当たり前だろう。国民はイラク戦争後、初めて、
それまで知らされなかったことを知ることができるようになった。
例えば、イランとの戦争にアメリカが偵察衛星の情報を提供していたこと等を。
83年のラムズフェルドの来訪も一切隠された。
中級幹部ガジでさえ知らなかったという。
「アラブの雄」を目指すフセインにとってアメリカとの関係改善は国民に知られ
てはならない情報だったのだろう。
「自ら危機を創出し、攻撃を誘うかのようなプロセスが共通して存在していた。
 絶対的に強力な敵と相対した時、国土を犠牲にして自らを「殉教者」に仕立て
 上げ、カリスマ性を高める−。これが、政治的生き残りのために湾岸戦争で
 フセインが見いだした究極の戦略だったのかもしれない」

 湾岸戦争後、フセインは延命化政策を取る。その一つが部族との妥協だ。
体制に部族を取り込むことで、部族連合の長として自らを位置づけたかったの
だろう。しかし、これはバース党古参党員には不満を抱かせた。バース党支配か
ら、部族に軸足を移したと。しかも他方、部族もまたフセインの窮地を見透かし
ていた。自分達への利益誘導として利用した。つまり、あくまで表面的な協力関
係でしかなかった。
 フセイン政権下での選挙も茶番でしかなかった。
 記入台のそばに党員が立ち、投票用紙の「ナアム(賛成)」の欄に印をつける
かどうか、じっと観察した。更に、ガジのような地区のバース党員の目の前のた
った一つの投票箱に、有権者のほぼ全員、「反フセイン」の嫌疑をかけられない
よう、投票用紙を広げ、ガジらに見せてから投票した。折り曲げたり、すばやく
投票して立ち去ろうとした者は、後に党員から執拗な尋問を受けた。
これがフセイン支持率100%の舞台裏だったのだ。



反体制作家のシャウキー氏は、フセイン政権崩壊の時、
「自分はただ、傍観するだけだった。反体制派を標榜してきながら、
 結局は米国にゲタを預けてしまった事実に打ちのめされたというのだ」
 自分の来し方を棚に上げ、米国の不手際だけをやり玉に挙げるのは、無責任
すぎるのではないか。<じゃあ、あんたは、いったい何をしたって言うんだ>
 30年余りのバース党支配下で知識人は、バース党礼賛の度合いに応じて
三階級に分類され、手当てを支給され、”飼い慣らされてきた”

 シャウキー氏は南部シーア派地域出身だった。
他の南部地域と同様、有力部族長などが大土地所有者として君臨し、大多数の
小作農がそれに仕えるという封建制的な社会構造が依然として続いていた。
「小作農への土地の再配分」を訴えるイラク共産党が貧しい小作農達の圧倒的
支持を集めたのは不思議なことではなかった。
 シーア派が大多数のイラク南部であれほど共産党への支持が拡大したのは、
共産主義の中にある平等や貧者救済などの思想がイスラム教徒にも違和感なく
受け入れられたからだと分析する。
 シャウキー氏は若くして共産党に入党し、何度か入獄、拷問も体験している。
 そのイラク共産党の敗因をシャウキー氏は、
・フセイン政権と手を組む形で権力の一角を占めようとした政治手法
・イスラム教が深く根づいたイラクの文化・政治風土を無視したこと
 イラク共産党の最大の誤りはイスラムと共存する道を選べなかったことと分析
「「サダムフセインの時代」とは、反体制を貫徹し、正論を唱えようとすれば、
 生きながらえることができなかった時代である。従って、シャウキーの
 「転向」は、フセイン支配の過酷さの中では、むしろ自然なことだったのかも
 しれない」

 シュウキー氏の自己否定的な姿勢は真摯だと思う。
 社会の隅々にまで張り巡らされたフセインの独裁体制下では、亡命活動や地下
活動という形態にならざるを得なかったと思う。
 イラクが反米=親ソに留まる限りに於いて、バース党のイラク共産党への激烈
な弾圧を黙認し続けたソ連への疑問は抱かなかったのだろうか?
 各国共産党をソ連一国の利益の為に、『駒』に使うというソ連共産党に疑問を
抱き、批判し、更には、そうなってしまう根拠の解明へと突き進まなかったのだ
ろうか?



 クルド人女性兵士のカフィーヤ
 クルド両派の長年にわたる陰惨な内紛、宿敵フセインとさえ手を組む、、、
そんなクルドの歴史にカフィーヤは、「私の心は、二つに引き裂かれてきたのだ
」と語る。
 クルド両派の対立の原因は、農地改革に反対する大土地所有制維持の、部族的
忠誠心を核とするKDP(バルザーニ派)と、土地改革を推進しようとする勢力
、都市知識人を中核とするPUK(タラバーニ派)の対立。
 サダムフセインの軍に加わったクルド人は裏切り者=ジャシュと呼ばれた。
 しかし、民族解放の美名の下に党利を優先させ、住民を犠牲にしてきたクルド
両派を批判し、あえてサダムに協力した部族もあったそうだ。

 クルドの新聞社が7月に行った世論調査では、独立を望むが45%、連邦制を
望むが51%だったそうだ。非常に拮抗している、つまり、クルドの意見は二分
されているとも言えると思う。もちろん、現状の自治権を享受し、守るという前
提の上でのことだと思うが。
 
 『国家を持たない最大の民族』であるクルド民族は悲劇の民族だと思う。
 周辺諸国が長年クルド各派を政治的に利用しようとしてきたこと。
 しかし、クルドの側にも反省せねばならない点も多いと思う。
 クルド両派の内紛の深層の原因は、クルド内の<大土地所有者階級>と
 <小作人階級・労働者階級>という階級対立にあると思う。
 ソ連共産党にもまた政治的に利用されてきたイラク共産党・クルド共産党。
 ソ連共産党のソ連中心主義=ソ連一国主義と矛盾をきたさなかったのだろうか。
私はイラク共産党・クルド共産党の戦略・戦術、情勢分析をすら知らないので、
それ以上に深いことは語る資格がないと思う。私自身の今後の課題としたい。

「サダムの時代」