NHKスペシャル:「アフガニスタン:少女の悲しみを撮る」を観ました。
一度放映されて、更に、芸術祭参加作品として再放送されました。
映画「0SAMA(アフガン・零年)」の、まあメイキングとでも言えるのかもしれません。

 主人公の少女をストリートチルドレンの中から三千人ものオーディションで
監督自らが選ぼうとしました。
 マリナという少女を主人公に選びました。ある日、監督の下に物乞いの少女が
やって来ました。その少女がマリナでした。
 アフガニスタンの首都カブールだけでも、5万人のストリートチルドレンが
います。
 親がいないか、親に仕事がないため、一日中路上で、物乞いをするのです。

 映画の中のエキストラに物乞いの少年少女を使いました。
ストリートチルドレンが通う施設の少年少女達です。
数日間の撮影中だけは、出演料を貰えました。
12月、氷点下の寒さの中でも連日撮影は続きました。
しかし、撮影が終わると、またストリートチルドレンに戻り、物乞いとゴミ拾い
の毎日が待っています。

 他の出演者も全て実際の戦争の被害者を使ったそうです。
主人公の祖母役や母役も、難民キャンプの人です。
ポリオの後遺症に苦しむ少年。

 23年にも及ぶ紛争の傷跡。
国民の十人に一人、二百万人が亡くなったそうです。

 映画の舞台はタリバン時代です。
 女性デモに放水するタリバン。
タリバン時代、女性は学校に行くことを禁止されていました。

当初は、「虹」というタイトルの予定だったそうです。
 マリナが虹をくぐる場面。
虹はアフガニスタンの自由の象徴です。
少女が笑いながら、その虹をくぐる、という予定でした。
しかし、マリナは笑えません。

父親は、タリバンの拷問を受け、足に後遺症が残り、仕事ができません。
マリナは13歳。5歳の時から物乞いをしてきました。
幼い兄弟を抱えながらです。
映画撮影はマリナにとって、生まれて初めて物乞いではない仕事だったのです。

 マリナの戦争の記憶:「生まれてからずっと戦争でした。」
戦争中もっとも多くの難民を生んだマリナの故郷。
カブール北部のショマリ平野、今も地雷が埋められたままです。
二人の姉が、下敷きになり死にました。
アメリカによる空爆。


 パルマク監督は言います。
「私は、彼女が心までも物乞いにはなっていないと教えられました。」
「戦争や国の崩壊を目にした子供達は長い間、それを忘れることはできません。
 戦争の傷が癒えるには何世代も掛かるかもしれません。」
「映画を通して世界にアフガニスタンの悲劇を知って欲しかった。」
「悲劇は今も続いている。だから理想的なシーンは止めました。
 これが今も続く現実だと知って欲しいのです。」

 主人公の希望を描く、虹をくぐるラストシーンはカットしました。
 刑務所の中で縄跳びをする少女、監督は少女を檻から解き放つことができませ
んでした。

映画「OSAMA(アフガン・零年)」:「アフガニスタン:少女の悲しみを撮る」NHKスペシャル