イランの映画監督モフセン・マフマルバフ。
 彼には、「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない
 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」(現代企画室)という著作もある。

「タリバン」(田中宇:光文社新書)によると、
「タリバン兵がブルカを着用していない女性に暴力をふるう。
アメリカの女性団体が女性差別だと声を上げた。
 しかし、パキスタンの難民キャンプで生まれ、パキスタンの神学校で
育った「戦争しか知らない子供達」であるパシュトンの息子達である
タリバン兵は、実は祖国で生活したことすらなかった。
もしアフガニスタンの農村で、見知らぬ女性に危害を加えたら、
その女性の親族による復讐を覚悟しなければならないという。
 故国を知らないタリバン兵は、そんな故郷の「常識」すら
知らなかったのだ。
(まあ、もう既に故郷は、内戦で破壊し尽されていて、最早存在さえ
 していないのだが、、、)
 ブルカは伝統的な上着であって、ブルカ自体を着たくないという
女性は一割しかいないという調査結果が出ているという。
 彼女達が嫌悪しているのは、たまたま何らかの理由でブルカを
着ていない女性に対して、タリバンが暴力をふるったり、投獄したり
することであるという。
 だから、アメリカの女性団体が、ブルカの存在自体が「女性差別」
であると主張しているが、これはアフガニスタンの女性達にとっては、
民族衣装を否定されたことになるため、アフガニスタンの多くの
女性達が怒っているという。」

 <タリバンの無知を笑う資格が私にはあるのだろうか?>

 世界最貧国であるアフガニスタン。
 その脆弱な経済機構。その低生産性。そういう<経済的下部構造>
その上にそびえたつ<上部構造>である意識、政治機構が封建的
なのは当たり前である。先進国の価値観で断罪するのではなく、
まずは、そういう社会科学的考察が必要だと思う。
 しかも、その上で、四半世紀に渡って戦乱が途切れずに続いている。
 そういうアフガニスタンに先進諸国は空爆を続けた。
しかもこの行為を支持しているのは、「仏像を守れ」と叫んだ
先進諸国の世論なのだ。

アフガニスタンには一千万個の地雷が今なお埋まっているという。

 「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない
  恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」(現代企画室)
「私はヘラートの町の外れで二万人もの男女や子供が飢えで
死んでいくのを目の当たりにした。彼らはもはや歩く気力も
なく、皆が地面に倒れて、ただ死を待つだけだった。この大量
死の原因は、アフガニスタンの最近の旱魃である。同じ日に、
国連の難民高等弁務官である日本人女性もこの二万人のもとを
訪れ、世界は彼らの為に手を尽くすと約束した。三ヵ月後、
この女性がアフガニスタンで餓死に直面している人々の数は
百万人だと言うのを私は聞いた。
 ついに私は、仏像は、誰が破壊したのでもないという結論に
達した。仏像は、恥辱の為に崩れ落ちたのだ。アフガニスタン
の虐げられた人々に対し世界がここまで無関心であることを
恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けた
のだ。」
「バーミヤンの仏像の破壊は、世界中の同情を集めた。しかし
何故、国連難民高等弁務官の緒方氏を除いて、このひどい飢饉
によって死んだ百万人のアフガン人に対しては、誰も悲しみを
表明しないのか。」
「現代の世界では人間よりも仏像の方が大事にされるという
のか。」
「仏陀の清貧と安寧の哲学は、パンを求める国民の前に恥じ
入り、力尽き、砕け散った。仏陀は世界に、この全ての貧困、
無知、抑圧、大量死を伝える為に崩れ落ちた。しかし、怠惰な
人類は、仏像が崩れたということしか耳に入らない。」

「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない
  恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」(現代企画室)