NHKきょうの世界(2006.5.2)

ドキュメンタリー映画
「OUT OF PLACE Memories of Edward Said」
http://www.cine.co.jp/said/index.html

「サイードはパレスチナのキリスト教徒の家庭に生まれ、
後年アメリカに移り住んで、国籍も所得しました。
多様な背景を抱えていたことから、常に自分とは何かを問い続け、
単純化したものの見方に潜む危険を指摘したサイード。

特に9.11同時多発テロ以降は、一国主義への志向を強めるアメリカに対し、
辛辣な批判を加えました。

『アメリカのイラク攻撃に、
私はアメリカ人として、アラブ人として、
大いなる悲しみと恥を感じます。
この方法は決してうまくいきません。
民族の意志や思想の力は消去不能です。
思想の力とは何か。
それは、平等、共存であり、続けられる生活ということです。
環境・土地・社会の問題を問わず、これが守るべき原則なのです。
過去やかつての黄金時代に夢を見出そうとする幻想は駄目です。
現在こそが私達の戦場です。
そして最大の武器は知識なのです』
(イラク開戦直前にカイロのアメリカン大学で行った講演より)


『街の人の誰に尋ねてもサイードのことも、ましてその墓の場所も知らない。
人知れず、余りにひっそりとしているのに驚いた』

(サイードの西エルサレムの生家を訪ねて)
『当時とは、通りの名前も番地もすっかり変わってしまっている。
その為探し当てるのに何時間もかかってしまった』


『彼はパレスチナ人であるだけではない。
パレスチナ系米国人だけでもないのだ。
アイデンティティは自ら築くものだ。
彼は境界上に自分を置いたのだ。
東と西の境界に
パレスチナとイスラエルの境界に』
(Michel Warschawski:イスラエル人人権活動家)


『人々を分断し、仕切りに閉じ込め
人種、民族、国籍で分け隔てている
ナショナリズムの排外的な言葉を
乗り越えられると彼は考えていました
むしろこの多様性を糧にして
一つの哲学を築き上げました』
(Gauri Viswanathan:コロンビア大学比較文学)


サイードは多様性を認め、和解と共生を実現すべきだと訴え続けました。
しかしパレスチナの絶望的な現実を前に、
自分の無力を嘆くこともあったといいます。


『父は自分の非力に罪悪感を持ち、もっと主張せねばと思っていました。
あんなにたくさん本を書き、支持者やファンが大勢いたのに
現実が変わらないので無力を感じていた』
(Wadie Said)


『彼は知っていました。
この世の一切のものは他の存在への影響を免れない。
他者との交渉を絶っては存在しえないのです』
(Daniel Barenboim:イスラエル人 指揮者・ピアニスト)



(イスラエルに住むアラブの老人)

<イスラエル人との関係は?>

『関係っていうと?』

<タバコを売るとか>

『タバコを買いに来る。一キロとか半キロとか』

<彼らをどう感じる、好意を持てる?>

『どこに住んでると思ってる?
イスラエルだぞ、うまくやらないと』

<しかたがない?>

『そういうことだ』



一つにまとまっているかに見えるユダヤ人社会でも
様々なルーツを持った人々がそれぞれに問いかけながら暮らしていました。

(ハンガリー系ユダヤ人)
『私達の人生は根こそぎにされた樹だった。引き抜かれた私達の根っこ
私達はそれを新たに育て直しているんだ』

(シリア系ユダヤ人)
『いい暮らしだった、アレッパだってダマスカスだって
兄弟のように一諸に暮らしていたのよ
ユダヤにアラブにアルメニア
イスラム教徒もキリスト教徒も
同じ庭を囲んで一諸に暮らしていた』


『あるべき所から外れ、彷徨い続けるのが良い
決して本拠地など持たず
どのような場所にあっても
自分の住まいにいるような気持は
持ちすぎない方が良いのだ』


佐藤真監督は、
『余り政治的なリサーチとか、運動的なアプローチとかなしに、
普通の市井の人達に出会いに行こうということでスタートした。
そしたらやっぱりものの見事にイスラエルにもパレスチナの側にも
普通の暮らしをしている人達が、当たり前ですけれども、一杯いて、
そういう人達と出会うことで、その人達はサイードのことは
一切知らない訳ですけれども、サイードが言ってたように、
アイデンティティを自分で選び取っている、
ボーダー上に揺れている人達が一杯いる。
彼がずっと拘っていたのは、パレスチナ側の問題だけではなくて、
敵対しているユダヤ人の社会、イスラエルの中にも
サイードの思想と呼応する人達が一杯いて、
両サイドをちゃんと見ていかなきゃいけないと彼はずっと言っていた訳なんで、
両サイドの暮らしに出会っていくというのが、この映画が伝えたいこと。
暮らしに出会っていけば、あっなんだそんなに特別なことじゃないじゃないか
という風に感じてもらえれば、それで僕は十分だと思っています』



(マリアム・サイード未亡人)
『サイードの足跡をたどるこの映画は彼の自伝に基づいて、
監督の佐藤さんが美しい作品に完成させてくれました。
サイードは全く登場しませんが、映画は彼の存在にあふれています』


<映画の中では、アラブ、イスラエルが決して白黒はっきり分かれる世界では
ないということを映し出しているんですけれども、非常に印象的だったのが
サイードの息子さんの言葉で、
『多くの支持者がいたにも関わらず、父は常に無力感を感じていた』
という言葉が非常に印象的だったんですが、
一方では、常に勇気ある発言を続けました。
サイードさんが生涯を通じて強く訴えたかったものは何だったのでしょう?>

『多様性という言葉を使うかどうかは分かりません。
パレスチナとイスラエルの問題はとても複雑なんです。
この映像が示しているのは、
多様性、複雑性というのが、両方にあるということです。
ただエドワードが伝えたかったのは、パレスチナの人々に対して行われている
不正義、これはイスラエルが一度も認めたことがないんです。
そしてこの不正義は、今でも占領が続いており、家々が壊され、
樹も根こそぎにされ、土地も併合され、入植地が違法に作られているんです。
彼は生涯を通してそのことを世界に伝えようとしてきたんです』

<彼は決して希望は捨てなかったと思います。
ただ、仰ったように圧倒的なイスラエルとパレスチナの力の差、
世界のメディアもやはりイスラエルから多く出る情報をより伝える傾向がある。
非常に不均衡な関係があったと思うんですけれども、
それを大変嫌がっていたという風に我々は感じていますけれども、
サイード氏自身は、そういう大きな力の不均衡を
どういう風に考えていたんでしょうか>

『力の不均衡、これははっきりしていました。
片や占領しているということを最悪の形で使っていました。
パレスチナの人々は全く力がありませんでした。
そしてメディアの人達はこれを白黒とはっきりと切り分けて描いていました。
善があり、悪がある。
悪がパレスチナ、善がイスラエルとそのように書いていた訳です。
でもエドワードは、イスラエルが国として何をしているか、
パレスチナの人々に対して何をしているのか、
土地に何をしているのか、
そしてあらゆる所で何をしているのか、
占領が何を行っているのかを描こうとしていました。
この40年近い間、それを打ち出し続けていたのです』

<サイード氏はイラク戦争については一体どういう風にみていたのでしょうか>

『彼はサダム・フセインのファンという訳ではありませんでしたし、
彼に反対することも書いていました。
湾岸戦争、イラク戦争を通して、彼はどちらの戦争にも反対していました。
全く理に適わないものであると、これは国を破壊するものであり、
国民を駄目にするものであると、戦争を戦う理由などないと言っていました。
彼はどうなるか分かっていたんです。
もし彼が生きていたらきっと彼が戦争について書いたこと、
これはもう今はっきりと見えていると思います。
ですから彼は本当に戦争には反対していたんです。
そして他の国を理由なく占領することに断固反対していました』

<日本人が中東和平にどういう風に関わっていくことができるとお考えですか>

『エドワードは最後にはヒューマニズムの話をしていました。
イラクでの戦争が行われる前、アメリカが攻撃を始めようとした時、
彼は希望を持っていました。
というのも世界がきっとヒューマニズムに立ち返ると思っていたんです。

(イスラエルとパレスチナ)この紛争は解決されるのであれば、
双方が平等でなければならないと言っていました。
そうして初めて解決できるのだと言っていました』

<今、仮に生きていたら>

『彼は、ヒューマニティ、人というものを信じていたんです。人の善意に。
そしていずれは共生がはかられるだろうとそう信じていました』

「OUT OF PLACE Memories of Edward Said」:NHK(2006.5.2)