「できるだけ早い段階から、宿敵と親しくなることが大事なんです。
 そうしなければ、相手の動向を完全に見失ってしまうことになります」
(元国防総省情報アナリスト・アンソニー・コーズマン)


アリ・ハッサン・サラーマは
アラファトから警護隊フォース17を組織するよう命じられました。
サラーマのニックネームは「赤い王子」、「黒い九月」に所属
70年代初頭、レバノンで次第に追い詰められつつあったアラファトは
宿敵CIAとの対話を試みることを決意
サラーマがその大役を任されました。
CIAのロバート・エイムズとベイルートで接触

1972年ミュンヘン・オリンピック選手村での人質事件で
イスラエル政府は、サラーマをテロ事件の首謀者と特定
しかしCIAはサラーマとの協力関係を保持。

1973年夏、ベイルートのイスラエル情報部員は
サラーマとCIAの親密な関係についてイスラエル政府に警告を発する。
イスラエルは、アメリカに「サラーマはアメリカの協力者か、そうだと
認めるなら、そっとしておくが、そうでないなら殺害する」と問い合わせる。
米側は、肯定も否定もせず。
サラーマはレバノンのミス・ユニバースと結婚

1974年国連総会でのアラファトの「銃とオリーブの枝」演説
サラーマはアラファトの直ぐ後ろに付き添う。
総会前に、サラーマとエイムズはニューヨークで接触
パレスチナ側はレバノンでのアメリカの権益を守り
今後のテロ攻撃についてアメリカに警告を発すると約束。
見返りにアメリカは国連総会でのアラファトの演説を阻止しないと約束
「PLOは米大使館がテロ攻撃を受けないように保護すると約束」
(米国家安全保障会議ウィリアム・クアント)
1974年以降「黒い九月」の活動停止を決定
「PLOは米人居住地区を守り、米の権益を守りました。
 危険がある時は警告を発しました。
 米人が殺害される事件は一つも起きなかった」
(元CIAテロ対策責任者ヴィンセント・カニストラロ)

1975年キッシンジャー、77年カーター「PLOと交渉せず、承認せず」発言
1976年サラーマ夫妻を米CIA本部に招待
(当時のCIA長官はジョージ・ブッシュ)

1979年イスラエルがサラーマ暗殺
「イスラエルにとってサラーマと米の関係は脅威だったのです」
(元CIAテロ対策責任者ヴィンセント・カニストラロ)

1982年イスラエル軍レバノン侵攻
 PLOレバノン追放
「皮肉なことにレバノンでの米人の安全を保障していたのは
 パレスチナ人でしたから、その保証も消えてしまったのです」
 CIAとPLOの接触もその後十年間途絶える。
 戦艦ニュージャージーがシーア派の村々を砲撃
1983年ベイルート米大使館爆破事件:エイムズも死亡


1993年オスロ合意
1994年アラファトはフォース17に警護されガザに帰還

ジブリル・ラジューブ(治安部隊長官)
(17年間イスラエルの刑務所で服役)
米はかつてのサラーマの役割をラジューブに期待
治安部隊の使命は、イスラエルや米と連携して
ハマスなどの武装組織の活動を抑制することでした。
ラジューブはジレンマに陥りました。
パレスチナ人を守る為に同じパレスチナ人と戦わなければならなかったから
和平を裏切り行為と考える人々はラジューブを敵視

度重なる暴力の応酬で和平プロセスが脅かされた時、CIAが再び動きだす
「CIAの目的は純粋に治安を維持することでした」
(元米側交渉責任者デニス・ロス)
クリントン大統領は、CIAを通じ
ラジューブと治安部隊に数千万ドルを支給するよう指示
「イスラエルの治安部隊がどれ程強力でも、それだけでは効果がありません。
 パレスチナ人の社会で活動できるパレスチナ人の治安部隊員を確保することが
 必要です。そうでなければテロを完全に抑制することは不可能なのです」
(元米国務次官補ロバート・ベルトルー)

CIAはラジューブの治安部隊に
対テロの戦闘技術、尋問の技術を徹底的に教え込みました。
その結果、治安部隊は、CIAやイスラエルが指定したターゲット
特にハマスの抑制にかなりの効果を挙げました。
「治安部隊はハマスの指導者を全員逮捕し、宗教指導者イマームのほとんどを
 交代させました。ハマスの軍事部門だけでなく、組織の基盤そのものに
 切り込んだのは、あれが始めてでした」(元米側交渉責任者デニス・ロス)
大勢のハマスの活動家が殺害され
数千人が裁判を受けることなく投獄されました。
テロとの戦いに法律は適用されませんでした。
「それが現実というものです。容疑者の家を捜索し、取調べを行うのに
 欧米と同じ基準を満たすのを待っている訳にはいかないのです」
(元国防総省情報アナリスト・アンソニー・コーズマン)
投獄された容疑者には過酷な取調べが待っていました。
米の後ろ盾を持つラジューブとパレスチナ当局は
容疑者の人権を組織的に侵害しました。
「パレスチナの刑務所では拷問が日常です。
 当局に逮捕された人間で拷問を免れた者などいません」
(パレスチナ人権活動家バッサム・エイド)
「私も戦っていたのです。治安を維持する為に。
 それは全てパレスチナとイスラエルの和平プロセスを前進させる為でした」
(元治安部隊長官ジブリル・ラジューブ)
ラジューブは15歳の時にイスラエル占領軍に火炎瓶を投げつけ
17年間服役しました。
それが今や、同じパレスチナ人から米とイスラエルの手先として
非難される立場になっていました。
「パレスチナ人を苦しませたくありません。私自身も苦しみを知っていますから
 しかし法律を犯す者がいれば法に従って処罰されなければなりません」
(元治安部隊長官ジブリル・ラジューブ)
治安部隊による尋問にはCIAの情報部員も定期的に立会いました。
パレスチナ人の取調官は米で訓練を受けていました。
「取調べの方法についても訓練を行いました。
 正しい取調べの方法と、取調べでしてはいけないことを教えたのです」
(元米側交渉責任者デニス・ロス)
しかし拷問に関しては、CIA情報部員は見て見ぬ振りをしていました。
ロスによれば、米はイスラエルの意向に従って
アラファトとラジューブへの対応を決定していたといいます。
「今思えばイスラエルの意向を汲み過ぎていたと思います。
 ラビン首相は人権よりも治安の問題に集中するようラジューブに
 求めていました」(元米側交渉責任者デニス・ロス)
行き過ぎた取調べを制限するものはありませんでした。
刑務所にいた情報部員も容疑者への拷問を止めようとはしませんでした。
「私達はゼロからスタートしたんです。
 CIAは本格的な治安部隊を創る為に力を貸してくれました」
(元治安部隊長官ジブリル・ラジューブ)

「CIAの目的はパレスチナの内部で戦いを引き起こすことです。
 彼らは常にそれを画策しています。
 一部のパレスチナ人に住民を攻撃するようけしかけたりするだけでなく
 パレスチナ人を集めて訓練さえしています。
 訓練したパレスチナ人を使って、自由と独立を求める同胞の組織を
 弾圧させようと目論んでいるのです」
(ハマス指導者アブドルアジズ・ランティシ)(インタビュー直後暗殺)

米とイスラエルはラジューブのハマスへの対応を賞賛しました。
1997年から99年までに数百件の自爆攻撃が未然に防がれたのです。
CIA長官はラジューブを米に招きました。
「あの頃米政府は真剣でした。
 何とか和平プロセルを合意に向かって推し進めようと尽力していました」
(元治安部隊長官ジブリル・ラジューブ)

ベツレヘムのタクシー運転手ワリード・ザワハレは
CIAの秘密任務の全容を知っています。
治安部隊の精鋭だったザワハレは
米特殊部隊デルタ・フォースの訓練を受けました。
少なくとも40人のパレスチナ人がバージニア州にあるCIAの施設に招かれました
「CIAは私達に報酬を用意していました。情報を提供したり
 テロの容疑者を殺害すれば、望むものを貰えることになっていました」

米の訓練でより強力になった治安部隊は
住民の反発を招き、暴動に拍車がかかりました。
治安部隊は住民の敵とみなされ、パレスチナ人同士の対立が深まりました。
ラジューブは問題の根本を悟りました。
「政治的な裏付けのない治安は絶対に機能しません。政治的解決に向かって
 進んでいることを示し、住民に希望を与えなくてはならないのです。
 治安の為の治安は決して機能しないのです」
(元治安部隊長官ジブリル・ラジューブ)

米の交渉責任者も当時の方針は間違っていたと認めています。
デニス・ロスは米がパレスチナに民主主義を根付かせる努力をせず
アラファトが反対派を弾圧するに任せてしまったことを後悔しています。
「公正な裁判所を創るべきでした。公正な裁判官を置き、法律を整備し
 透明な社会を創るべきでした。そうしなかった点で間違っていました」
(元米側交渉責任者デニス・ロス)

2000年夏キャンプデービッド和平交渉決裂
シャロン「神殿の丘」訪問
「シャロンが訪問する当日、私は警告しました。
 もし彼がアルアクサに足を踏み入れれば
 イスラエルとパレスチナの治安当局の協力関係は消滅するだろうと。
 シャロンの訪問は間違いなく社会的大変動を招き
 一帯は悪循環に陥るだろうと」(元治安部隊長官ジブリル・ラジューブ)
アルアクサ・インティファーダ勃発

2001年9・11:CIAテルアビブ支局長ジェフ・オコナーがラジューブに接触
テロとの戦いに協力を要請し、資金と物資の提供を申し出
ラジューブは快諾

シャロン首相にとって米とパレスチナの接近は脅威
2002年イスラエル軍ラマラ治安部隊本部攻撃
「CIAは攻撃を止めるようイスラエルと掛け合ったものの
 結局説得することはできなかったということでした」
(元治安部隊長官ジブリル・ラジューブ)
本部には治安部隊が集めたパレスチナ人テロ組織の情報が保管されていました。
そのデータも全て破壊されてしまったのです。
「勿体無いことです。全てが無駄になってしまいました」
(元米側交渉責任者デニス・ロス)
シャロンにとってパレスチナの治安責任者達は邪魔な存在でした。
一方米は治安部隊を高く評価していました。
イスラエルは両者の関係がこれ以上深まるのを防ごうとしたのです。
「CIAのテネット長官はこの事件に大きなショックを受けていました。
 CIAはパレスチナの幹部と良好な関係を築き、治安部隊員を訓練しました。
 その成果として米はパレスチナからテロ攻撃の情報を得られるように
 なりました。治安部隊はCIAの期待に応えてくれたのです。
 そこにアラファトへの敵意からシャロンが割り込んできました。
 そしてこれまで地道に築いてきたものを全て破壊してしまったのです」
(元CIAテロ対策責任者ヴィンセント・カニストラロ)

イスラエルへの怒りからCIAの訓練を受けた治安部隊員の一部が
過激派グループに転向しました。
一人はアルアクサ殉教者団の為に爆弾を作っていた時に殺害され
その他の者も殺害または追放されました。
「テロを防ぐ為の訓練をしていた筈が
 訓練生の何人かが逆にテロリストになってしまったのです」
(元米側交渉責任者デニス・ロス)

クリントン政権はパレスチナ治安当局と良好な関係を築くことに成功しました。
しかしブッシュ政権は米と協力関係にあったパレスチナ人達を
イスラエルの攻撃から守ることができませんでした。
ラジューブは近年の米の姿勢を非難しています。
「ブッシュ政権がこの紛争に対し公平で正当な立場をとっているとは
 とても思えません。彼らはイスラエル軍の占領を支持し、保護しています。
 これこそが最悪なテロであるにもかかわらずです」
(元治安部隊長官ジブリル・ラジューブ)


現在の米政府はテロとの戦いを叫び、宿敵との対話を試みる代わりに
相手を壊滅させることに専念しています。
「敵を叩き潰せばいいという考えでは、テロは永遠になくなりません。
 新しい勢力の誕生を助長するだけです」
(元CIAテロ対策責任者ヴィンセント・カニストラロ)

2004年11月アラファト死去
米政府はパレスチナ治安当局に過激派を抑える為
新たに数百万ドルの資金を提供すると約束

「ホワイトハウスとPLO」宿敵との極秘情報ルート:NHKBS