「D.I.」をDVDで買って、観ました。
一回目に観た時は、正直言って全然面白くありませんでした。
訳が分からないシーンが多かったし、爆破やアクションシーンも
少しも面白くありませんでした。
事実、私は一度も笑えませんでした。

 DVDに入っている小冊子の解説を読んでみました。
イスラエル国籍のパレスチナ人について知りました。
そういう人達もいるということを全く知らない訳ではありませんでしたが、
彼らが置かれている政治的・経済的状況については全く無知でした。
無知だったことを恥ずかしく思います。

 占領地のパレスチナ人とも、外国の難民キャンプのパレスチナ人とも、
重なりつつも、やはり『違う』モメントも確かにあるのだなと初めて知りました。

 政治的・経済的に抑圧されているイスラエル国籍のパレスチナ人のその鬱屈、
フラストレーションの表現こそが、私が訳が分からないと思ったシーンの
数々だったのだとやっと理解できました。

 しかし、二度目に観た時もやはり、私は一度も笑えませんでした。
一体何が笑わせるのでしょうか。私には全然理解できません。

 監督は、パレスチナ人が笑うことこそが、イスラエルに打撃・衝撃となるのだ
と語っています。

 確かに、日々抑圧にさらされているパレスチナ人にとっては、自らを自嘲的に
笑えるのかもしれません。

 しかし、日々、そんな非人間的な抑圧にさらされている訳でもない私には、
当事者でない私には笑えませんでした。

 いや、日本でも非人間的な抑圧が広く行われていることに無自覚なだけなので
しょうか。
 そうだとしても、そこまで論理的抽象度を上げれば、パレスチナ問題という
特殊性からすら逸脱してしまいます。
 少なくとも、日本に住んでいる私には、出かけるたびに毎日数時間も検問所で
待たされるということはありません。
 喫茶店に居る時に、ミサイルがぶち込まれるかもしれないという感覚は全く
ありません。
 夜寝ている時に、ブルドーザーで自分の家ごと押しつぶされるという不安を
抱きながら眠ることはありません。
 自分が長年大切に育て上げたものを、目の前で、同じ人間によって、
たった一瞬で根こそぎにされるという目に遭うとは思えません。

 この映画は、『イスラエル国籍のパレスチナ人の鬱屈』という
政治的プロテストしている作品として、私には非常に勉強になり、
更には、イスラエル国籍のパレスチナ人という私にとっては新たな問題意識を
生ぜしめてくれた有り難い作品です。
事実、ユダヤ人作家デイヴィッド・グロスマンがイスラエル国籍のパレスチナ人
をインタビューしたルポルタージュである「ユダヤ国家のパレスチナ人」という
本を読むきっかけになりました。
この本では、さまざまなタイプの人達が登場します。
必ずしも「自虐的」な人ばかりではありませんでした。
自己を自嘲的に笑うという行為は、素晴らしいものではありませんが、
そうせざるを得ない状況を問題提起しています。
ただ、その段階にとどまるべきでもないとも思いますが。

 この映画からは、実にさまざまな問題提起を受け、新たな問題意識も形成され
ました。しかし、映画の芸術性という観点からは、私には高くは評価できません。

映画「D.I.」:エリア・スレイマン監督