「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」


 「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(米原万里)は、小説ではなく、ノン・フィクションです。
国際共産主義運動の理論雑誌の編集局がチェコのプラハにあり、作者の父は日本共産党の
幹部として、その雑誌の編集委員として、プラハに家族と共に赴きます。(妻と娘=作者と)
 プラハのソビエト学校には、50ヶ国もの国々からの共産党関係者の子弟が通っていました。
1960年から1964年まで、作者がだいたい小4から中2くらいの時です。
 その時に仲の良かった3人の友達に30数年後に会いに行くという、3話からなるオムニバスです。

 1人目のリッツァの父は、ギリシャのパルチザン出身の亡命者です。
68年のプラハの春と呼ばれるチェコ動乱時に、ワルシャワ条約機構軍の侵入断固反対の論陣を
張り、自己批判書への署名を断固拒否した為に編集部をクビになり、実質上チェコに居られなくなり、
西ドイツに出国します。 西側では、ソ連の軍事侵攻を批判した人として一躍英雄扱いされ、反共
団体やメディアへの高額の出演料、大学のポストを提示されますが、「私は軍のチェコ侵入に反対
しただけで、私の魂は共産主義者なんだ。自分自身の魂を裏切る訳にはいかん」と拒絶します。
 いやぁ〜、なかなか筋金入りの人ですね。心底敬意を覚えます。
 で、長距離トラックの運ちゃんになりますが、事故死します。
 勉強が苦手だったリッツァは医学部に進みます。勉強が苦手なのに、医学部に進めたのは、
党官僚(ノーメンクラツーラ)のコネだろうと著者は推測してたんですが、事実は全然逆で、むしろ
そういう父親のせいで、進学には大いに逆境だったんですが、それを乗り越える猛勉強をしたんですね。
 しかも、現在は、西ドイツで開業医を経営してるんですが、患者は、ドイツへの出稼ぎ労働者
(東欧系、トルコ系など)です。彼らは色々な意味で辛酸を舐めていますからね。
 そういう生き方のなかに、リッツァの思想性を推し量ることができますね。

 スターリン主義国での生活なんて、悲惨なものだろうという私の独断と偏見とは違い、現実の
状況は、まあ勿論マイナス面も大きいでしょうが、結構プラス面もあるんだなと思いました。
・学費、医療費は、無料。金の無いリッツァでも医学部に進学できた。
・芝居、コンサート、美術館等が非常に安く、3日に1回は行く程に、普通の人々の毎日の生活に
 空気のように文化が息づいていた。しかし、ドイツでは高価な贅沢品とリッツァは述べています。
・ソ連圏では、別に医者だからといって、お互いに特別視しない。(職業に貴賎なしか、、、)
 ドイツではまるで特権階級のようとリッツァは述べています
・公権力に楯突いた父を持つリッツァに、公権力側の人達は圧力を加えるが、多くの友人や
 教師達は、公然とは擁護できないが、暗に擁護してくれたこと。
・身体的特徴を嘲笑することがない。
・結構人間的な側面も知ることもできました。
 生徒同士で結構エロい話もするんだなとか、生徒と先生が寝たとか、、、
 ちなみに学校の春夏冬休みには宿題というものが無い。


 二人目のアーニャは、虚言癖があります。父はルーマニアのチャウシェスク政権の幹部です。
これぞノーメンクラツーラという豪華な生活をしています。しかも、貧しいルーマニアの民衆の生活と
余りにも乖離しているにもかかわらず、アーニャは矛盾にさいなまれることもないかのようです。
 そして、チャウシェスク政権崩壊後のルーマニアを訪れます。チャウシェスクは処刑されますが、
頭だけを切った、イリエスク政権になっていました。つまり、ノーメンクラツーラはそのまんま健在
だったのです。そんなアーニャの父に対して、
 「父の夢見た共産主義とあなたの実践した似非共産主義を一緒くたにしないで欲しい!」と
心の中で叫びます。が、
 「自分の父も、万が一、日本で共産党が政権をとっていたら、アーニャのパパのようになって
 しまったのだろうか」と自問します。

 モスクワ大学に留学していたアーニャの兄の一人は56年のソ連軍のハンガリア軍事侵攻に
 対して反対の態度を示し、学校を退学処分にされています。


 三人目のヤスミンカの父は、ユーゴのパルチザンで、チトーの戦友です。
少女時代の著者は、彼女jの家を訪問する。
質素な家、朴訥な父親は、パルチザン時代のエピソードを話す。
勇敢なパルチザンではあったであろうが、外交官という政治畑の仕事に大いに戸惑っている
様子がありありと窺える父親。ほのぼのとした、しかし、とても暖かい家庭だった。
 あの朴訥なパルチザン上がりのヤスミンカの父親が、30年後、何と、ボスニア・ヘルツェゴビナ
選出の旧ユーゴスラヴィア最後の大統領ディズダレーヴィッチだった。
ムスリムであった彼は、軍事包囲下のサラエボで、既に年金生活に入っていたが、ボスニア最後の
大統領だった自分がここを離れるわけにはいかないと、ガスも水道も止まった地下室で頑張って
いるという。朴訥な彼の人柄が滲み出ていると感じる。
 1999年、白い都ベオグラードは、NATOの空爆を受ける。著者は静かにそれを告発する。
そのリリシズムに、胸の奥から澎湃と捲き起こってくるものを止められない。