南米ベネズエラ、人口約2500万人、世界有数の産油国。
  
1998年、貧しい生活を強いられてきた国民に「公平な富の分配」を約束して
 希望の星としてチャベス大統領が就任。
1999年、新しい憲法が発布。
 マスメディアは、チャベス派は国営放送1局、財界は民放を5局。
2001年のアフガニスタン空爆に対して、チャベスは、
 市民への「誤爆」の写真を見せながら、これは容認できません。と発言。
 その発言に対して、パウエル国務長官が懸念を表明。
 ベネズエラはアメリカにとって重要な石油供給国です。
 チャベスが国営石油公社の運営に介入し始めると、アメリカはチャベス批判を
 強めました。「チャベスはコロンビアのテロリストとつながっている」と。

 チャベス氏の祖父はメキシコの革命児サパタの指揮の下で闘っていた革命家だ
 そうです。
 チャベス氏は、ボリバルサークルという団体を結成し、
 国民に憲法を読むように等の運動を展開しました。 

2002年2月、チャベスは、国営石油公社の役員人事に介入。
「彼らは国営石油公社さえ私物化しようとしている。私には国際社会から強い圧力が
 かけられてきたが、それでも構わない。たとえ地獄の門をくぐらなくてはならなくても、
 私はやり遂げる」 
 ここから本格的な闘いが始まりました。
「チャベスの支援者たちは暴徒化しています」
「まるでムッソリーニやヒトラーの信奉者のようです」
民放はチャベスの石油産業への介入に対して「国民の財産を侵害するものだ」と批判し、
デモを呼びかけました。
反チャベス派の論調は、
「大統領はカストロ氏に特別な愛情を抱いているようです」
「この国をキューバのようにしようとしている」
「コロンビア革命軍やカストロの手先」
「CIA長官がこの事態に懸念を表明」
 反チャベス派の中心は、
経営者連盟会長カルモナ、労働者連盟会長オルテガ
ブッシュ政権とも接触し、話し合っていたことが分かっているそうです。
4月10日、軍上層部が民放で退陣勧告
      カルモナが民放で反チャベスのデモを呼びかける
4月11日、反チャベスデモ(石油公社へのデモ)
      大統領派は官邸に結集
      反チャベス派は法に触れることを承知でデモ行進のルートを変更し
      官邸へと扇動。
 首都カラカス市長は、国営放送で、
「デモの扇動者よ。無責任な行為はやめてくれ。官邸前での衝突を望んでいるのだろうが、
 我々はあなた方の挑発には乗らない」
官邸前の群集は、
「CIAが絡んでる。アメリカの陰謀だ」
「メディアがこの汚い戦いを扇動している」

 両派の衝突を防ぐため、警備の兵士が間に割って入る。
その時、反チャベス派へ銃が発砲され、数人が死亡。
 ベネズエラでは民間人も銃を携帯できます。
 チャベス派は狙撃犯がいる方向へ反撃の発砲。
用意よく事前に官邸前にカメラを設置していた民放は、陸橋から銃を撃つチャベス派の
人々の映像を放映。それはまるで下にいる反チャベス派を撃っているように見えます。
実際は彼らも狙撃され陸橋の上で伏せていたんです。ところがその映像は一切放送されず、
チャベス派が一方的に非難されました。この映像は繰り返し放送され、非武装の人々を
チャベス派が虐殺したように伝えられたのです。
民放は、「この映像をご覧下さい。チャベス派の男が銃を撃っています。
 下の道路にいる非武装の群集に向かって。平和的に行進していた人々を撃っているのです」
 反チャベス派はメディアを使って情報を操作し、全ての責任をチャベスに負わせようとしました。
 国営放送局が使用できなくなる。
午後9時、中継車から放送を始めるも、9時30分、放送は途絶える。
午後10時頃、軍上層部が官邸に入り、大統領の辞任要求。
 辞任を拒否したため、官邸を爆破すると脅す。
 閣僚は、「CIAが裏で糸を引いてるのよ。クーデターの証拠もあるわ」
 「メディアに対抗する時間がなかった」
午前3時半頃、チャベスは爆破を避けるため官邸を出ると決意。
 しかし辞任要求は受け入れなかった。
辞任を拒否したまま軍に拘束。
爆破予告時刻5分前、チャベスは官邸を去る。

4月12日
 民放では軍の将軍が、「計画とは群集を通りに集めて、興奮が頂点に達したときに
 軍を動かす作戦でした」
午後5時半、カルモナが大統領就任
 新法務大臣は、
「国民議会の解散、最高裁の解散、中央銀行総裁を解任、オンブズマンを解散、
 選挙管理委員会を解散」
 大統領派の市民は、「これは独裁政治だ、民主主義を返せ」とデモを行うが、警官隊が発砲。
「チャベス政権の3年間にこんな弾圧は一度も無かった」

 アメリカ大統領報道官アリ・フライシャーは、
「今回の混乱の責任はチャベス政権にあると考える。非武装のデモ隊が銃撃され多数の
 死傷者が出てしまった。それが引き金となって国民による暫定政権が発足した」
 「報道に対する検閲が始まりました」
 元民放局員は、「チャベス支援者の映像は放送を禁じられたのです。局長に言われました。
 『これは正式な通達だ。いやなら辞めろ』と。私は局を辞めました。
 信念に反することだったからです。」
 チャベス派は、完全にメディアから切り離されたかに見えました。しかしチャベス政権の閣僚達は、
ケーブルテレビで情報を流し続けました。「チャベスは辞任したわけではなく、軍によって拘束されて
いるのだ」と。情報は瞬く間に国民に広まっていきました。
 「憲法に書いてある。大統領が辞任させられるのは国民が決定したときだけだ」
「チャベスは辞任していない。拘束されてるんだ」

4月13日
 チャベス派が官邸に向かってデモ。
午後1時、デモ隊が官邸を取り囲む。
午後2時、大統領警護隊が官邸奪還作戦。
      新政府閣僚、将軍達はほとんどが逃走。
 チャベス内閣閣僚が官邸に帰還。
午後4時
 米CNNにカルモナが応答「官邸は異常なし」
 国民議会議長がCNNに抗議「事実と全く異なる」
午後8時、国営放送再開
午後10時、副大統領が暫定大統領としての宣誓式。
 軍が、「軍は憲法を尊重する」と表明。

4月14日
午前2時50分チャベス氏官邸ヘリポート着
深夜の会見
「反対派に言いたい。反論は大いに結構。私はあなた方を説得できるよう努力する。
 しかし国民の規範である憲法に背く行為は許されない。憲法はすなわち共同体の基本だからだ。
 それを理解すべきだ。だが最も大事なのは一部の人々のうそに惑わされないことだ。」

 カルモナ氏は、マイアミで目撃。
 将軍達の多くはアメリカへ逃亡。
 パウエル国務長官はクーデターへの関与を否定。

 
 <私の感想>
・チャベス氏の思想性については分かりません。
 社会主義、民主主義、民族主義、その複合、、、分かりません。
 しかし、反チャベス派の本質は、簡単に直感できます。
 石油利権に関わる一部の特権階層の人々と、その特権階層による石油の安定供給に
 利害のあるアメリカ政府です。
・1973年のチリのアジェンデ政権へのCIAによる謀略をいやでも彷彿とさせられます。
 あの時はCIAの思惑通りになり、今回はCIAの思惑通りにはならなかったと。
・ベネズエラの国民のエネルギーを感じました。
・よくこれだけ克明な映像を撮れたものだと感動します。
 まるでドラマのようにリアルに映像を見せてくれた報道に感謝します。

「チャベス政権 クーデターの裏側」:NHKスペシャル