今年アメリカはラオスのモン族一万五千人の難民入国を認めました。

 タイ・バンコク郊外、周囲から隔離された二キロ四方の区域があります。
モン族の難民キャンプです。
ベトナム戦争終結当時故郷ラオスを出て難民となったモン族は30万人。
1992年、難民を支援してきた国連は、既に難民問題は解決したとします。
アメリカもこれ以上移住を受け入れないことを決定しました。
その後、タイに暮らすモン族の人達は、難民として保護される資格を失い、
国籍のない不法滞在者として扱われるようになりました。
その数は2万人以上と言われています。
タイ政府は行き場を失ったモン族難民の受け入れをアメリカに要望してきました。

 ベトナム戦争が始まるまで、モン族はラオス北部で焼畑などをして暮らす
山岳民族でした。
 ホーチミンルートをモン族の居住地域に作りました。
アメリカは周辺の地理に詳しいモン族と秘密協定を結び、味方に引き入れました。
ラオス国内で北ベトナムと戦い、軍事物資の輸送を阻止するという役割を任せた
のです。
アメリカはモン族を利用して、中立国であるラオスの中で密かに戦争を遂行して
いったのです。
難民キャンプにはラオスのジャングルでゲリラ戦を戦った兵士が多く残って
います。
アメリカはモン族を武装集団に変えていきました。
モン族がそれまで触れたことのない近代兵器と大量の弾薬を持ち込みました。
更にアメリカは、軍事教官を派遣して、モン族の若者達にゲリラ戦に必要な
戦闘技術を徹底して指導しました。
しかし戦争当時、アメリカはモン族との関係を秘密にしていました。
ベトナム戦争で戦死したアメリカ兵は約五万八千人。
モン族の犠牲者は20万人に上りました。
戦後アメリカがモン族との関係を認めたのは1999年のことでした。
現在ラオス政府はモン族の帰国を受け入れていません。
国内の反政府組織と繋がる恐れがあるという理由からです。
難民としての資格を失って以来、国連などからの援助が受けられなくなりました。
自活するしかありませんでした。
キャンプの中でできるのは刺繍や工芸品を作り、わずかな収入を得ることでした。
それだけでは生活できず、道路工事や農作業の手伝いなどをしてきました。
しかし、国籍も持たない彼らが働くことは、違法労働としてタイ国内での摩擦を
惹き起こすことになります。
難民とは認められず、不安定な立場に立つモン族の扱いに、タイ政府は手をこま
ねくばかりでした。
去年夏、難民キャンプの周囲に突然、鉄条網が設置されました。
タイ政府の採った強硬な手段に、ここで暮らす二万人に及ぶモン族の難民は
衝撃を受けました。
今年7月、難民キャンプにタイの国防大臣が来訪。
モン族の移住をアメリカが受け入れることになったと伝えに来たのです。
(タイ軍のイラク出兵:2003年9月)

 モン族は独特な大家族制の文化を持っていました。
一夫多妻も伝統的な習慣の一つです。
アメリカでは重婚は認められません。
どちらかの妻と離婚し、その証明書を提出しなければならないのです。
祖国ラオスを知らない若い世代は七割を超えています。

 アメリカミネソタ州セントポール、人口30万人のこの町に五千人のモン族が
移住します。
12年前までモン族を難民としてを受け入れており、現在その数は三万人。
アメリカは今回の移住受け入れの条件として、既にここで暮らしているモン族の
人達が保証人になることを求めました。
住宅や教育、就職の面倒をみることを期待したのです。
市長は、「モン族に借りを返すのは我々の義務です」
「一つの戦争があれば、これだけ長い間、人々の生活に大きな影響を及ぼすのも
 避けられないことなのです」
難民の彼らには正式のパスポートはありません。
今回の移住に当たって、アメリカ政府から一時金として一人に付き800ドルが
支給されます。その内の半分は手続きの費用などに使われることになります。
収入のない彼らには当面、生活保護として月に600ドルほどが支給されます。

 セントポール市民公園、年に一回全米から三万人のモン族が集まりました。
今年で24回目。モン族の夏祭りです。
モン族の運命を決めたバン・パオ元将軍も出席。
アメリカ軍のモン族兵士は五百名を超えるといいます。


 恥ずかしながら、私は、今日初めて、モン族について知りました。
私の疑問は、何故ラオス政府がモン族の帰還を認めないのか分からないという
ことです。
 もう既に戦後30年も経っています。戦争に直接責任のない世代が七割です。
それなのに何故帰還を認めないのか分かりません。
いや、一定の帰還者は認めているのかもしれません。それも私は知りません。
南ベトナムの元政府軍兵士がベトナムで普通に暮らしている例を知っています。
だから、ラオスでも可能だろうと思うのですが、、、

 30年間帰郷を夢みてきた年配の人達。
「人生がこれから始まる気分です」という笑顔の若者。
一人一人違うのかもしれません。

 早速ネットで検索してみたら、モン族関連のサイトもたくさんありました。
文献もたくさん出ていました。
どうやらかなり複雑な問題のようです。
モン族内部でも両対立陣営に分かれて戦ったようです。
とりあえず「モンの悲劇」竹内正右著(毎日新聞社)という本を明日買いに
行こうと思います。

「30年目の戦後処理:アメリカと共に戦った民族」:NHKドキュメンタリー