日記コーナー

2003年12月12日(金)
放射能兵器劣化ウラン
放射線について、HPのTOPに「放射線」としてまとめた。「DNA」と「放射線」について書いて
みたのだが、まだまだ分からないことも多い。しかしまあ現段階までに私が理解している内容を
まとめてみた。 このような基礎的作業に踏まえて、「劣化ウラン」についても書き始めた。
まずは、「放射能兵器 劣化ウラン:核の戦場 ウラン汚染地帯」(劣化ウラン研究会:技術と人間)
をまとめた。
それをHPのTOPに「劣化ウラン」とした。
 他にも劣化ウランの本は数冊読んでいる。今のところ、この本が一番よくまとまっていると思う。
これからは、他の本についても、「書評」として記載していくつもりだ。
2003年12月13日(土)
DNAと放射線と劣化ウラン

DNAと放射線と劣化ウランについて書いてみた。実は、各7、8冊ずつくらいは読んでいる。
だから自分では結構理解していたつもりだった。しかし、実際に書いてみると=対象化してみると、
実は、あまりよく理解してはいなかったということが初めて理解できた次第である。
あるいは、何が理解できていて、何が理解できていなかったかが初めて理解できた。
更には、書いてみることによって初めて新たな疑問や問題意識も湧いて来る。
これもまた人間的な活動なのだろう。
 やはり、ヘーゲルやマルクスの言うように「対象化」こそが人間の類的本質なのだなぁと実感する。
趣味でやっているからいいのだが、生活の生産=労働に於いては、対象化=労働は、疎外された
ものになって
しまっている。
やはり、労働=対象化の疎外は、人間の類的本質の疎外なのだなぁと実感する。

2003年12月14日(日)
映画「愛する」(ハンセン病について)
 NHK・BSで映画「愛する」というのをやってました。途中から見始めたんですが、最後まで観ました。
ハンセン病に関する社会的プロテスト映画ですね。ハンセン病とは、ライ病なんですね。
お恥ずかしいことに知りませんでした。
全くいい歳まで、なぁ〜んも考えずに生きてきてしまったと痛感いたします。
 ライ病というと、私が真っ先に思い出すのは、映画「ベンハー」ですね。
主人公ベンハーの母と妹がライ病で、ライ病者達の洞窟に隠れ住んでいました。
 そういえば、つい先日も、ホテルの宿泊拒否という問題がありましたね。
で、早速、YAHOOで検索したところ、色々と遅ればせながら勉強しました。
基本的なことを易しく分かりやすく作られています。
実は、戦後、薬が開発され、完全治癒が可能となり、海外では在宅治療が主流になっていました。
戦後の強制隔離政策を推進した「らい予防法」は1996年廃止。
 う〜ん、ついこのあいだのことなんですね、、、
現在でも全国13の国立療養所を中心に約4,700人のハンセン病回復者が生活しています。
入所者は、ハンセン病自体は治癒していますが、過酷な処遇による後遺症を抱えています。
回復者に必要な医療的支援はいまも満足できる状況ではありません。
平均年齢は、既に74歳に達し、経済的に自立することは困難な状態にあります。
社会復帰された方々もハンセン病をひた隠しにして、ひっそりと暮らしているのが現状です。
療養所内で亡くなった方の大半は、故郷の墓に入ることがかなわぬまま、いまも2万3000を
超える遺骨が全国のハンセン病療養所内にある納骨堂に納められています。
入所者の読んだこんな一句があります。
「もういいかい お骨になっても まあだだよ」
1998年被害者たちによる国家賠償請求訴訟が提起されました。
原告数は500名を超えています。
2003年12月22日(月)
ウリハッキョ

 ウリハッキョ。朝鮮語で私達の学校という意味だそうです。ドキュメンタリー番組(関西テレビ)で観ま
した。
四国の朝鮮初等中等学校を取材したものでした。
在日コリアンは、現在約63万人。しかし1年間に約1万人が日本国籍へと変更しています。
日本の朝鮮学校は生徒が減少し続け、学校の統廃合が進んでいます。
拉致問題は、いやおう無しに朝鮮学校をも変更を強いました。金親子の肖像画の撤去。運動会での
北の国旗を先頭にした入場行進の廃止、教科書の変更(北の革命史の廃止。南の歴史の無視を
止める)等々。これらはむしろ良いことだと思うのですが。
朝鮮学校は在日同胞からの寄付でまかなわれているのですが、先生達への給料もままなりません。
校長が駆けずり回り、かき集めました。自身の給料は無しだそうです。
校長は「正直言って、逃げ出したい。もう自分を許してもいいかなとも思う。でも先輩達のことを考える
と、、」 ある生徒は「日本と北。その両方の良い面と悪い面の両方を知っているのは私達だけ、
だから両者の架け橋になりたい」と。
 う〜ん、これは用意された答えですね。北の悪い面って何か分かってるんでしょうか。

2004年1月2日(金)
劣化ウラン弾

 ここ数ヶ月間ずっと劣化ウラン弾について本を読み、ネットでも発言している。
しかし、よくよく考えてみれば、劣化ウラン弾の使用が禁止されれば、もうそれでよいのだろうか?
否そうではない、その他の通常兵器で行われる戦争そのものに反対なのだ。
 映画「カンダハール」を観た。アフガニスタンには一千万個の地雷が今なお埋まっているという。
対人地雷もまた残酷な兵器だ。


2004年2月11日(水)
NHKスペシャル「コロンビア麻薬戦争〜左翼ゲリラとアメリカ〜」

 NHKスペシャル「コロンビア麻薬戦争〜左翼ゲリラとアメリカ〜」という番組を観た。
 コロンビアは世界最大のコカインの輸出国だ。
アメリカは麻薬撲滅を口実に数十億ドルの資金援助をコロンビア政府に与えている。
しかし、そのほとんどは実は、反政府ゲリラ弾圧への軍事援助になっている。
軍事援助ではない部分も枯葉剤の散布費用となっている。
成分を公表しない強力な枯葉剤で、コカインを枯らしている。
しかし、コカイン栽培地は、移動するだけで、むしろ栽培量はここ十年で二倍に増えている。
強力な枯葉剤の影響で住民に被害も出ている。
また、アマゾン川へと大量に流れ込んでいる。
当初のコロンビア計画は、農民にコカインの栽培を止めさせる代わりに、代替作物の作付けと
その経済的援助だったのだが、農民達に言わせると、全然約束が守られていない。
また援助金も少なく、
これでは生活できないと口々に発言していた。

 コロンビア革命軍、政府軍とは別に、もう一つ、準軍事組織と言われているものがある。
民兵組織だが、
政府軍の別働隊だ。
誘拐・住民虐殺の8割は、
この準軍事組織の仕業だと発言があった。
政府軍ができない汚い仕事を行うという役割分担のようだ。
  
 ベネズエラは日産160万バーレル、コロンビアは日産90万バーレル。
中東以外からの石油供給源を
確保したいアメリカの国家的使命。
それを実現する為に、反政府ゲリラを壊滅し、親米政権をコロンビアで安定させることがアメリカの戦略だ。

2004年3月18日(木)
「イラクの歴史」

「イラクの歴史」(明石出版)と「西アジア史」(山川出版)を読んでいる。
本当は史的唯物論的に読まねばならないのだろうが、どうも西洋や日本のように
典型的な発展段階を経てはいないようだ。
また、史的唯物論の公式から歴史を眺めるのでは、逆転しているし、、、

2004年3月22日(月)
NHKスペシャル「大国ロシアはどこへ行くのか 始動第二次プーチン政権」
 NHKスペシャル「大国ロシアはどこへ行くのか 始動第二次プーチン政権」を観た。
大統領選挙で何と70%もの支持を得て再選。国民に支持された理由は経済的成長と安定であろう。
確かに7%もの経済成長を果たし、国民所得は80%アップしたそうだ。
しかし、7%の内訳はその5%が石油・ガス輸出によるものであり、その他の産業が国際競争力を
付けた訳ではない。国民所得80%アップとは言え、それは国民全体の平均であり、国民の70%は
賃金据え置きであり、インフレ率10%の為、むしろ実質賃金は減少している。これを新貧困層と言う
そうだ。つまり、一層の階層分化が進んだということである。
2004年3月27日(土)
元連合赤軍兵士の証言

「朝までテレビ:オウムと連合赤軍」を観た。元連合赤軍の獄中に十数年いた兵士の証言を聞いた。
たった29人山にこもって「革命ができるかもしれないと思った」には笑うしかない。
「俺達が権力を握る前に、内部矛盾が出て良かった」には苦笑いした。
29人中14人を処刑したことについては、西という中央委員が、かつて一度脱落したことがあった
メンバーなのだが、そいつが最も先鋭的に主導したという。一度脱落したということから、常に最も
先鋭的な主張をするということは、まあ理解できる。そうして「自分で自分を追い込む」と言っていた。
まあそうなんだろうな。連合赤軍に入りたいという奴には、まず銀行強盗をやらせてみると語ってい
た。思想性ではなく、実行力・実務能力があるかないかが評価基準だそうだ。
おいおい、マルクスは読まんのかとツッコミを入れたくなる。
自分は一兵士で、党が全てと語っていた。スターリン主義を否定するという出発点は無かったのか。
一兵士であり、党が絶対では、党物心崇拝というスターリン主義そのものではないか。

2004年4月19日(月)
原発反対の町:「勝者なき28年」
 富山県能登半島、ある過疎の町に原発誘致の話が降ってわいた。小さな町だ。賛成派と反対派が
長年いがみ合う。近所の者同士が、親戚同士が反目し合う。子供達同士もだ。
町のある地区に一軒しかない反対派の雑貨店がある。賛成派の人達は買ってくれなくなったため、
売上げが激減した。寺の住職は反対派で、賛成派の檀家は抜けていった。
そして、電力会社は、28年後、経営不振を理由に原発建設を中止した。
そして、対立・反目だけが残った。長年続いた対立・反目だ。じゃあまたすぐには、仲良くやろうとは
ならないようだ。「子供の喧嘩ではないのだから」とコメントしていた。
2004年9月26日(日)
ものづくり

 NHKの番組を何気なくボケーっと観ていた。 ある酪農家の話のようだ。
東京の浅草生まれ、中学生の時、理科の先生が、
「東京の人間だって、農業やってもいいんだぞ」って言われた。
19歳の時、全国無銭旅行に出かけた。
北海道で、パイロット・ファームの研修生をやっていた。
朝4時に起き、干草を集め、夕方、干草に乗って帰って来る。朝の星を見、夜の星を見る。
当時、東京オリンピックをやっていた。東京には何でもある。北海道には何にも無かった。
しかし、「何にもないけど、何でもあると感じた」という言葉が印象に残った。
 現在は、牛の放牧をやっている。牧草地も牧草だけでなく、雑草も交じっている。
雑草がある方が、牛は病気とかにかかりにくいそうだ。経済効率の悪い放牧はどんどん減っていった。
現在では過去のものになりつつある。 多くの牛を飼うには、放牧をせず、現在では、何と、無人の
全自動機械化の牧場もあるそうだ。牛が自分で機械の所へやって来て、機械が乳を搾る。
経済効率を突き詰めれば、そうなるのであろう。しかし、本当に経済効率は高いのであろうか?
牛乳の生産性は高いが、牛の平均寿命は5歳に縮んだそうだ。
牛のストレスが昂じているという要素もあるようだ。
総合的に考えて、<人間>と<牛>の両方、更には、環境、自然、生産された牛乳の品質・味、等々
トータルに考えれば、本当は、どうなんだろうか?要は、価値基軸の問題に帰着する。
奥さんは、その牛乳で手作りのチーズを作っていた。
その過程で出る不用になった、汁は牛に還元するという。
牛の糞尿からは、堆肥を作っている。二年経つと、有機物は全て分解され、無機物になる。
その土には、ミミズが住んでいた。

 う〜ん、私も何か、”ものづくり”をやってみたくなった。
 ”ものづくり”を通して、その経験を通してでないと、決して分からない
ものがあるという予感、いや、確信に近いものがある。
人間性を深める為には、是非とも、やらねばならないようにも思う。
現在の私は、日々、イラク、チェチェン、パレスチナ、アフガニスタン、旧ユーゴ等々の問題に没頭している。
全実存を賭けて没頭している。この基本方向に何らの迷いもないと断言できる。
しかし、その基本方向を更に、深める為にも、一見まわり道のように見えても、
”ものづくり”という経験というステップを踏んだ方がよりよいとも思う。
日々、イラク、チェチェン、パレスチナ、アフガニスタン、旧ユーゴ等々に想いを馳せながらも、
ふとそんなことも考えている。

2004年10月28日(木)
中国:内陸部との格差の拡大

 あるNHKの番組を観ていた。中国内陸部のある村で、五年ぶりに農業大学に合格した女性が
出た。しかし、入学するには、8万円必要だという。しかし、その家の月収は千円だという。
なんとか七千円かき集めた。全然足りない。そこで、虎の子の牛を売った。二万円くらいだという。
まだまだ全然足りない。父親は、娘をなんとか都会に遣りたいと泣いていた。
中国では、農村部と都市部とでは、戸籍が異なるそうだ。
これでは、まるで身分差別ではないか。

2004年10月29日(金)
「モーターサイクル・ダイアリーズ」:若きゲバラの青春

 ロバート・レッドフォード制作。
故郷ブエノスアイレスから、八ヶ月間、南米を旅する23歳のゲバラ。その青春日記。南米各地で、
理不尽なこと、不平等、圧政を目の前で、つぶさに見る。

2005年1月19日(水)
「小野田さんからのメッセージ」NHKBS

 「ブラジルで30年 小野田さんからのメッセージ」NHKBS
 (2005.1.18(火)放映)

 昭和49年3月12日、陸軍少尉小野田寛郎氏、日本へ帰国。
その翌年、ブラジルへ渡りました。

去年12月、ブラジル名誉州民に選ばれました。

小野田寛郎さん(82歳)
牧場経営、1200ヘクタール、1800頭の肉牛を飼育

戦地工作員という特殊な任務に就いていました。
命令が本人に直接下されない限り、帰還できない。

 地元日本人会の会長としては、日本人の移住地から州都の街まで60キロと離れ
ていることから、通学が困難な若者達の為に、学生寮の建設も行ったそうです。
この学生寮は小野田さんの強い希望でブラジル人の学生も受け入れ、地元のブラ
ジル社会からも高く評価されているということです。
 
 ブラジル空軍が小野田さんに最高位の勲章を授与したのです。
軍の演習の為、所有地を提供したことへの感謝と、かつての軍人としての経歴に
敬意が表されたのです。

 20年前から日本で小野田自然塾を始めました。

NHKでは、今夏小野田さんのドキュメンタリー番組を放送する予定だそうです。


たった一人の人生ですが、その何と起伏と波乱に満ち、そして困難を乗り越え、
充実し、豊かなことでしょう。

たった一人の人生のその内面の歴史とはどのようなものだったのでしょう。

イラクで失われた人命のその一人一人もまた、起伏に溢れ、豊かな人生だった
かもしれません。